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瓢箪から駒で「有罪判決」を勝ち取っても、検察の上に栄冠は輝かない。なにしろ彼らは途中で棄権したのだから。いくらコーチとして新人選手(検察審査員)にアドバイス(虚偽報告書だ)を贈ったからといって、プレーしたのは選手であり、胴上げされるのは検察審査員のほうである。試合後に姿を現せばの話だが。
インタビューではこう聞かれるだろう。「虚偽報告書に提出証拠の悪意選別、さらに審査補助員の明らかな誘導(親分子分)などの進路妨害にもめげず、よく有罪を勝ち取りましたねぇ」「ええ、市民の感覚これに尽きます」。言っておくがこれは仮想現実での出来事だ。くれぐれも誤解のないように。
最初に「瓢箪から駒」と言ったが、識者からすればまさにそうだろう。素人審査員が優勝に至る「工程表」を頭に描いていたとは思えない。行き当たりばったりで法廷論争をやっていたら、たまたま「有罪判決」が出てしまったようなものだ。スポーツの世界でも強いものが必ず勝つというわけでもない。しかしビギナーズラックで勝ってみても、すぐに化けの皮は剥がれる。だから厳密な法廷の場で「市民の感覚」などとは言ってもらいたくない。
さて検察に目を移せば、試合では途中欠場しバックネット裏で観戦するはずであったのに、なぜかダッグアウトの陰のほうで怪しいデータで指示をしていたらしい。正式なコーチではないからグラウンド(法廷)には出てこれない。だから優勝の胴上げにも参加することはできない。しかし黒子に徹するほどプライドは低くないから、何事かはマスコミに発言するだろう。「若いチームも波に乗ると怖いですね」あるいは「データ野球も時には負けることはあるのですよ」とか。
新人監督(指定弁護士だ)だけが上気した顔で「苦しい練習が報われました」とマイクの前で答えるだろう。前監督(検察のこと)の長年(捜査期間)の地道なチーム作りの成果なのだが・・・。しかし最近のファンならこんな感動物語の裏に、スポンサーの影を感じるかもしれない。「作られた優勝」とか・・・。
9月14日の議決(議決書に明記してある)や控訴期限ギリギリの発表など、政治と無縁の検察審査会とは思えぬ振る舞いが疑惑を呼ぶのだ。強く正しい者が勝つ、スポーツも法廷もこのシンプルな法則が正確に発揮されなくてはならない。高校野球なら変な振る舞いをすれば「出場停止」だぞ。
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