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碁は空いている所ならどこにでも石を打てるようだが、実は打ってはならない所があるのだ。打っても自滅行為になる所には、禁じ手として打ってはならない。では小沢氏の判決で裁判官の「禁じ手」はあるのだろうか?
@公訴棄却
検察審査会の起訴議決そのものを、無効と判断するもの。私も審査会の審査内容には疑問を持っているから、この判断が出れば気持ちはいい。事件はそもそも存在しなかったんだと、国民みんなが納得してくれれば申し分ない。不起訴にした検察の顔も立つ。
しかし裁判官にとっては、これは禁じ手である。素人の判断である「起訴議決」を、騙されやすい素人であったがゆえに門前払いにしたとなれば、次からの起訴議決にも同様の判断が迫られる。プロの法曹者による入口チェックが始められるのだ。この事態は審査会法成立時には想定していなかっただろう。2009年に起訴議決により審査会が独自で起訴できるようにした法改正の主旨に真っ向から反する。裁判官は、無罪か有罪かの判決を下すしか道はないのだ。
A有罪判決
検察審査会によって起訴されたのであるから、検察の顔色を伺う必要は毛頭ない。のではあるが、もし有罪の判決を出せば検察の顔にドロをぶつけたことになる。「弱腰・無能の検察!」「素人審査員の勝利!」とマスコミに書かれるのだ、いい気持ちはしないだろう。
もっとも不必要な告発を受理した段階で、検察はこうなることも当然覚悟していただろうから、裁判官はさほどに同情はしないかもしれない。しかしこれも禁じ手ではある。なぜならプロの捜査・起訴機関である検察よりも素人の判断が正しかったとなれば、これまでの捜査・起訴体系がガタガタになる。そうなることを予見できても裁判官は有罪判決を出せるだろうか?
B無罪判決
検察が起訴した案件を無罪にするのは、裁判官にとって脂汗ものだろう。しかしこの裁判は検察審査会が起訴したものである。そんなに悩む必要はないのかもしれない。もともと検察は2度不起訴と判断しているし。
検察審査会も起訴はしたが「白黒は裁判所でつけてもらえ」と言っていなかったか? とすれば無罪にしたとしても審査会の顔を潰すことにはならない。検察と検察審査会は両方ともクリアーできる。問題は、陰で立案した誰かさんがどう思うかである。これは禁じ手ではないが、大きな賭けではある。
結論として、素人でない打ち手なら最初から禁じ手の所に石を置くようなまねはしないだろう。
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