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もっとはっきり言えば、役人はどっちに転ぶか分からないような第三者委員会的なフリーな討論と結果受諾を好まない。さらに露骨に言えば出たとこ勝負の博打は決してやらない、ということは前にも述べた。委員会に諮る以上目的とする評決を確実にするためには人選から入念に準備をし、「アレレ?」などということは決して許されない。
だから、検察か最高裁事務総局か分からぬお役人が、素人審査員を誘導して「起訴議決」を得ようとすることは前述の「出たとこ勝負の博打」を打つのと同じなのだ。ほんとに素人なら、いくら誘導しても最後の得票がどうなるかは保証できない。こんな綱渡りのために検事が何人もして汗をかくだろうか? 確実に「起訴議決」が欲しいのなら、間違いのない方法を取るのではないだろうか。
私なら、「任務に忠実な検察審査員」を使う。第三者委員会の「省庁に理解のある委員」と同じだ。両方とも結果まで安心して見ていられる。それでは田代検事ほかの「捏造報告書」の役目はなんだったのか? 素人を騙すためではなかったのなら。
ひとつには、審査補助員の議決書作成に対する支援だったのだろう。審査員は「こいつは悪党ヅラだ」でも起訴を決められるが、公表する議決書はそんなことは書けない。曲がりなりにも「認定した犯罪事実を記載」しなければならないから。
もうひとつの理由として「検察審査員はやはり素人だった」と思わせたかったから、とも考えられる。あれだけ小沢氏に不利な証言や調書を見せられれば「素人ならコロッと騙されるわな」と誰もが思うだろう。実際はそんな報告書など「特命審査員」の評決に何の影響もあたえなっかったとしても。9月14日に突然審査の打ち切りを決めても何の騒ぎも起きなかったくらいだ。
ただこの説の弱点は、ICレコーダーの一件がなければ「捏造報告書」や不利な調書の不開示などの暗闇は一切表に出なかっただろうということだ。国民は「正しい報告書」と「すべての証拠の開示」のもとに、検察審査員が公平に審査・議決したものと信じて疑わなかっただろう。そうであれば、わざわざ国民を欺く伏線を張る必要などない。ということは、やはり検察審査員は「素人」で、密かに誰かさんに騙されていたのか?
あるいは、これら「作為的な」報告書や調書類は検察審査員などのためではなく、ひとえに審査補助員に利用させるためだけにあったのか? 私は、確実な2度の「起訴相当議決」と有無を言わせぬ「議決書」との両方を得るには、「特命審査員」と報告書・調書類による強力な後方支援が欠かせないと考えるのだが、いかがだろう? そうしないと「起訴議決による起訴」は完結しない。
検察が一生懸命報告書を捏造していたとき、どこかの誰かさんは少なくとも起訴議決が評決されることは分かっていたが、問題はその後の「議決書」をすんなり書き上げられるかどうかだった、としたら。検察審査会は極秘でも、議決書は国民すべて見ることができるのだから寝言を書くわけにはいかないもの。最高裁事務総局が検察審査員を、検察が審査補助員をそれぞれ担当したみごとな分業体制、と言ったら言い過ぎか?
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