http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/563.html
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・21世紀前半は、社会科学の中心が経済学から歴史学にシフトする…複雑系科学の成果も取り入れて/金子邦彦・安富歩
http://www.asyura2.com/12/hasan75/msg/359.html
上のコメントの前半を見て、フト思ったことである。彼らは経済学を専攻したのだろう。だから経済学を根本的に否定される響きには本能的に抗いたくなる。その気持ちは分かる。
これが経済学で生計を立てている学者や言論人になればなおさらだろう。彼らは学説間の違いを越えて、「歴史物理学」などという学問が勃興してくれば、結束して立ち向かってくるのではないか。すでに彼らは「経済学村」という利権の構造のなかで生きていると見る。
小室直樹が経済学の根本に横たわる重大な秘密※をサラリと言ってのけたのは、彼が在野の学者であったからこそではないか。彼が官学などに席を置いていたとしたら保障の限りではない。
経済学者のなかで、この小室の知見をフォローしているのにお目にかかったことはない。彼らは経済学は確立された学問で、あまねく世界に通用するような暗黙の前提のもとに理論を振りかざして、カクカクすればシカジカになると毒にも薬にもならないことを並べて糊口をしのいでいる。
経済学を学んだと思われる阿修羅人のなかにも、これら学者・言論人の向こうを張ってカクカクとやっている。肩腹痛いとはこのこと。彼らはプロの学者や言論人を凌駕する知見を備えているかのようである。可笑しくてしょうがない。
小室の言を端的に言えば、近代資本主義の原理を明らかにした経済学は、近代資本主義が過不足なく営まれている国・地域にしか適用できない、ということだろう。
今、地球上で近代資本主義がほぼ正常に営まれているところはあるのだろうか。皆、重大な危機に直面していて、半身不随である。経済学は終焉を迎えているのである。
「歴史物理学」などという着想は、世界同時多発出来に湧き起こってくる可能性がある。カタストロフィーである。このとき経済学は見向きもされなくなる。
※)http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/117.html
>経済学が研究するのは、近代資本主義に限定されている。時代的に限定されているだけではなく、地域的にもまた限定されている。 …
資本主義とは、歴史的にまた地域的に、ごく特殊な出来事である。古今東西をつうじて、いつどこにでも見出されうるものではない。資本主義は、ごく特殊な特徴をもつ経済である。ゆえに資本主義市場もまた、特殊な特徴をもつ市場である。
(補足)
小室直樹は京大の数学科を出た。その後日本でも一流の経済学者の下で学び、アメリカに留学。サムエルソンにも直接師事した。その他有力な経済学者の門もたたいた。帰国してもこの彼を受け入れる大学はなかった。これが彼と日本にとって幸いしたのか、不幸だったのかは分からない。
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