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<不安が陰謀論を呼ぶ>
患者達は共通の症状が見られます。狂信的レイシスト発言や上からモノを言う態度は、
自分達が「大衆の知らぬ情報を知っている」という思い上がり<優越感>から生じます。
しかしその肝心の情報は、自らの経験に照らしたものでもなければ、足で取材した一次情報でもなく、大半がネット検索で見つけた二次、三次情報にすぎません。
大変興味深いのは、彼らは官僚やマスコミ権力者を頭ごなしに貶す一方、自分達のアラスジ、シナリオに沿う報道の断片や教授や博士などの言動を選りすぐって利用しようとする、一種の「権威にすがる側面」も見え隠れしているところです。
彼らの動機は何なのでしょうか?
私は政治の世界である種の謀略が存在することを常日ごろ疑ってはいます。
検察や財界利益追求が、様々な支障をきたし不条理な冤罪の多くも見てきたからです。
ですから反権力的な立場に喜んで賛同します。
しかし真実に接近しようとする者は、大前提として常に冷静に現象を検証しなければなりません。そこに感情を持ち込むことは大変危険です。
陰謀論を支持する多くの方の動機は善意や正義感からであって欲しいと願っています。
正義や善意が動機ならば、いかに一般に噛み砕いて丁寧かつ論理的にその事実を広めることを第一目的に考え言動するでしょう。
しかし陰謀脳患者の方々はそれどころか対話拒否、不当な断定、罵倒の嵐です。
つまり彼らの動機は別のところにあることを暗に示しています。彼らを観察して自明であるのは、
@常識<ネット情報
A信念>社会
という価値基準。これは社会を疑うが、自分を疑わないという自己愛へ通じています。
Aは小説家や画家、音楽家など、何か創造的な職業の者にとってはとても大切なものですが、他者と通じ、公的なものの権利分配をする政治にそれを持ち込むのは大変危険です。
患者の自己愛の顕れだとすると、彼らの現実生活が不遇で充実していないがために、
何がしかのコンプレックスを抱え、陰謀論に通じることで世間を見返そうとするルサンチマン根性が見え隠れします。
彼らの言動に見え隠れする優越感は、プアホワイトが有色人種に振りかざすレイシストのそれと同類です。
つまり陰謀論が彼らをアイデンティファイする主柱、重大事な事柄なのです。
人は不安から存在理由に悩み、何か特別な自分を確認できる対象を欲します。
ここで奇妙な逆転が起こります。
それは陰謀論や巨悪が存在しないと自分を確認できない。
この時点でかつてあった動機、「正義感」が
「自己保存」、「自己顕示欲」へとすり替わります。
恐ろしいことに、彼らは本人の気付かぬ深層心理で、
「陰謀があって欲しい」と願って日々ネットサーフするわけです。
自ら描いた、あるいは崇める陰謀論者が説くアラスジ、シナリオに沿う情報を見つけると大喜びする。(存在確認できる。)
陰謀や応援する政治家が反論を受けたり、論破されると自身の存在理由すら揺らがす危機的事態。
なぜなら陰謀が思い過ごしの錯覚であったなら自らのアイデンティティの破壊、
存在理由を喪失するからです。
だから感情的になり、冷静な対話が成立せず、
反論者への攻撃は、罵倒やレッテル張りなど総動員して逃れようとする。
彼らのような人種が誕生したのはネットがあれば全てわかるという「過信」、
つまり通信技術インフラが生み出した病理ともいえます。
複雑な社会システムは特定の巨悪があるのではなく、そう見えないもの、
当事者もその意識のないまま悪事を働いている場合が多数ある。
かつてのナチにみられるように、ハンナアーレントのいう「悪は凡庸」とい視座がまるで欠けている。
マンガやTVドラマのようなわかり易い善悪二項対立の単純構図とは違います。
(これは社会経験をそれなりに積めば普通に気付くことですが。)
しかし全て科学的演繹法で物事が産まれるわけではなく、
時に帰納的な思考は必要とされます。
しかし帰納と妄想は似て否なるもの。
取材も思考もしない、何かを論じる前提に立てない者が、
不安や被害妄想を大声でわめくのはこれだけネットインフラが整った今日、
公害とさえ呼べるのではないでしょうか。
悪名高き陰謀論者を多数排出した阿修羅で、あえて問うてみたいのです。
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