http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/497.html
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死を目前に控えていた高木仁三郎は、今日の大事故を予見していた、と言い換えても良いと思う。それは霊感ではなく直観であったろう。その直感は、日本の原子力産業を内と外からよく観察・体験したことから必然的に産み出された。
「この大事故は起こるべくして起こった」と言えば平凡で何の面白味もないが、その内実は深く重い。あえて短い言葉で要約すれば、「上から作られた原子力産業の歴史であり、明治以来(と思われる)国家体制」であった。根は深い。
高木の最後のメッセージ
「歴史を見通す透徹した知力と大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な終局に英知を結集」することは容易ではない。
どこかで「脱原発にイデオロギーはいらない」というようなタイトルを目にした覚えがあるが、小生はそうは思わない。
原発推進のイデオロギーは国が上から作り国の隅々にまで浸透してきたのである。事故直後から数年ぐらいは、事故の衝撃と事故への激情がさめやらぬからイデオロギーなしの脱原発運動も可能だろう。
だが、幸いよれよれでも事故収束の見通しが立ち、20年後ぐらいに原発解体可能の見通しなどが提起されてきたらどうであろうか。激情にかられた脱原発運動は長続きするであろうか。
やはり国民の側からの強靭で長続きする反原発の思想を練り上げていく必要があると思う。これは党派性の強いイデオロギーとして全国民に深く浸透させていく必要のあるもの。
脱原発を推進するのは、個々の政治家の個人的資質ではなく(政治家個人は内外の原発マフィアに屈し易い)、結局は国民世論であり、国力であると思う(ドイツが良い例)。
・今日の過酷事故への強い予感を抱いていた故・高木仁三郎
http://www.asyura2.com/11/genpatu16/msg/564.html
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