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「起こりうる可能性がある」を、「起こる確率はきわめて低い」から
「めったに起こらない」に読み替え、「杞憂だから考える必要はない」と結論付ける。
これは凡人としては、しごく真っ当な考え方だ。
いちいち心配していたら体が持たない。
しかしこの考え方を施設の管理者がしているとすれば、かなり危ないことになる。
そんなところに限って、事故が起こると真っ先に従業員が避難してしまい
回りの一般人は最後まで何が起こったのかわからず、右往左往するだけとなる。
それでいて、明るみに出されると「想定外の原因による事故だった」と言い訳する。
自分たちの都合で「想定外」にしたのを、すっかり忘れている。
少なくとも、事故の影響がハンパでない施設を運転している事業者は
「事故が起こったら補償すればいいや」では通用しないのだから
考えうる事故の「可能性」に対して、あらゆる手を尽くしておくべきなのだ。
今回の福島第一原発事故においても
賠償金の額は日に日に増え続け、そのうち東電と国が束になっても払いきれなくなる。
最後は国民の財布から支払うことになるのだろうが
それでもなお「事故が起こったら補償すればいいや」と考えるのだろうか?
電力会社は、原発を国策として遂行しただけだと言い
国は、国策として行なったのは国民が承認したからだと言い
国民は、あんな危険なものとは知らなかったと言い
結局、被害者だけが「ハズレくじ」を引いただけとなる。
引いたくじがハズレだったことは、いまさら抗議しても「引き直し」はできないから
地域住民、自治体、県、国が総力を挙げて、元に戻すしかないのだが
しかし、今回影響のなかった地域の住民には最後に言いたい。
「入っているハズレくじは、一枚だけだったのか?」と。
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