http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/480.html
Tweet |
原発の将来 福島第一原発についての報道も次第に沈静化し、311以前のように娯楽や政治・経済についての話題が多く取り上げられるようになってきた。しかし、福島第一原発の事故自体は依然として全く収まってはいない。それどころか、311の地震による誘発地震が今後5年以上にわたって日本の各地で起こることが確実で、1995年の阪神大震災以来日本全体が地震の活動期に入ったことは事実だ。つまり、福島第一原発の直下でかなり大きな地震が起き、再び事故が悪化するとか、または、浜岡原発の直下で東海地震が起こるとか、次の原発震災は目の前に迫ってきている。しかし、そういった危機に対処する動きはほとんどないと言っていい様子だ。 確かに原発廃止の議論はいろいろされている。電力危機は誇張されていて原発停止でも電力は足りるとか、自然エネルギーとして海底に眠る化石燃料の開発などが話題に上っている。しかし、どうも本質的な問題を忘れている様子だ。 本質的な原発の問題。それは放射能の制御の不可能さだ。その典型が使用済み核燃料の処理だ。または、福島第一原発から漏れ出た放射性物質の処理の問題と言ってもいい。現実的に言って再処理は無理だ。すでに2万トンを超えた量の使用済み核燃料がたまっている日本。六ヶ所村の再処理工場が仮に稼働しても年間800トンしか処理できず、一年に出る約1000トンの使用済み核燃料の処理には200トンほど処理能力が初めから不足している。フィンランドに完成しつつあるオルキルオトの最終処分場は12000トンを100年以上かけて地下に埋却する計画だ。日本は、原発の運転をすべて現時点で停止したとしても、オルキルオト規模の最終処分場が2か所以上必要な計算になる。最低でも10万年の保存が必要な使用済み核燃料。10万年前は文明成立のはるか前、ホモサピエンスが出現してまだ間もない時代だ。 報道によると、日・米・アラブ首長国連邦で進めていたモンゴルでの最終処分場計画はとん挫する様子だ。菅直人首相も否定的であるという。 そもそも、原発はなぜ作られたのだろう。夢のエネルギーだったのだろうか?もし、夢の理想的なエネルギーであるなら、もっと最初から世界各地に普及していったはずだ。そうではなくて、最初から原子爆弾保有国でのみ普及し、その次にIAEAという原爆監視機関による厳重な監視のもと日本や韓国へ普及をしていく。原発はまさしく原爆保有をするために、原爆保有の負の側面を覆い隠すためのものとして生まれ、今ではその戦略がより推し進められて他民族を殲滅するための時限爆弾として使われようとしている。 原子爆弾は最終的な兵器として、自らを絶対的に優位な地位に置きながら他者を滅ぼすための兵器として保有されている。その背後にある思想は、共同ではなく対立、平等ではなく支配と隷属、信頼ではなくが命令と監視、思想ではなくロボットとしての規律が世界を作っていると言うものだ。そして今、その同じ考え方が原発の背後にもある。 やがて、何年か、又は何十年か先の人々は、世界が騒々しくも多様性に富んでいた過去を振り返り、自らの孤独と老いを嘆きながら、次のように呟くのだろう。「夢のエネルギーであった原発はまさしく夢の実現をもたらした。遅れた文明を滅ぼし、真の強者のみの世界を作ってくれたのだから。」 しかし、彼ら自身も老いと死から逃れることはできはしない。そこに残るのは、ただただ何万年、何十万年と続く放射能だ。そして、これこそが原発の将来そのものだ。
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<621>>
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。