http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/456.html
Tweet |
原子力発電は原爆を保有し続けるため! 原子力は決して安い発電方法ではない。しかし、なぜか、1kwh5円程度と日本政府もアメリカ政府も言い続けてきた。しかも、使用済み核燃料の処分方法も決まらないまま、世界中で既に60年もの間、原子力発電は行われてきていて、現在では500基以上の原子炉が世界にはある。これほどまでに原子力発電が世界に広まっているのはなぜだろうか? 原発、つまり、原子力発電が世界で進められたのは1953年、アメリカ政府が Atoms for Peaceとして、原子力の平和利用を言い出してからだ。1951年、アメリカで世界初の原子力発電に成功している。それを受けて、世界中に原子力の平和利用を広めると言うのが表向きの理由だ。 しかし、真相は違った。1949年にソ連が核実験に成功してい、1953年当時、ソ連はかなりの数の核爆弾を保有していた。当時アメリカは大陸間弾道弾をまだ持っていなかった。だから、国土の広いソ連に対抗するためにヨーロッパ各国に核武装させる必要があった。 1953年8月、ソ連が水素爆弾実験に成功する。アメリカもその前年に水爆実験を行っているが、50トン以上の重さのあるもので実用兵器とはならないものだった。 このような状況でアメリカは「平和のための原子力」を提唱した。一つには、原子力の平和利用を叫び、ソ連の核兵器開発の抑制を狙ったのだろう。その一方で、西側各国に平和利用の名目で原子力技術を供与し核武装させることを意図していたのだ。 「平和のための原子力」を提唱はソ連の水爆実験成功4か月後の1953年12月の国連総会の場でアイゼンハワー米大統領により行われる。当然、その陰でアメリカは水爆開発を進めていて、1954年に実用兵器としての水爆開発に成功する。この時の水爆実験がビキニ環礁で行われ、第五福竜丸事件を引き起こした。 この第五福竜丸事件についてのアメリカ政府の行動が「平和のための原子力」と言う言葉が単なる隠れ蓑であることをよく示している。「米国は、第五福竜丸の被爆を矮小化するために、4月22日の時点で米国の国家安全保障会議作戦調整委員会 (OCB) は『水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト』を起草し、科学的対策として『日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする』と明記し、『放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る』と決めていた。実際、同年9月に久保山無線長が死亡した際に、日本人医師団は死因を『放射能症』と発表したが、米国は現在まで『放射線が直接の原因ではない』との見解を取り続けている。」( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%94%E7%A6%8F%E7%AB%9C%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6 から一部引用) 国際原子力機関(IAEA)はこういった状況の中でアメリカの提案によって1957年に作られた国際機関だ。核兵器の廃絶を目標にするわけではなく、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国という核兵器保有国の独占的地位の維持と原子力の平和利用促進を謳った機関だ。 原子力発電のためという口実でウラン鉱山の開発が進められ、そこで得られるウランは原子力発電とともに原爆製造にも使われる体制が作られた。核兵器製造に伴う副産物の劣化ウランも原子力発電の燃料製造時に出たものと同じであり、使用済み核燃料も兵器としての寿命が尽き解体処分した原発の廃棄核弾頭の隠れ蓑になってきた。 もし、原発がなければ、ウラン残土を大量に出すウラン鉱山の開発や劣化ウラン、廃棄核弾頭などが深刻な問題として意識され、原子爆弾反対の動きが今よりもずっと大きく世界各国で表面化していたはずだ。 特に、高レベル放射性廃棄物の問題は原爆を大量に保有し始めた1950年代には意識されていたはずで、1960年代後半には海洋投棄が行われ始めている。ロンドン条約によって1972年に海洋投棄は禁止されたが、それ以降もヨーロッパ各国やソ連によって続けられた。 1979年のスリーマイル島原発事故は米国内で既に100基以上の原子炉が稼働した時期に起こったものだ。つまり、原子力発電が原爆関連の活動を十分にカバーできる程度にまで発達した時点でそれ以上の発展をストップさせるために起こされたと見ることが出来る。 スリーマイル島原発事故の2年前の1977年まで、一年間ジョージ・H・W・ブッシュがCIAの長官を務めていた。そして、彼がアメリカ大統領の職にある1986年にチェルノブイリ原発事故が起こるのだ。父ブッシュが大統領に就任する前の副大統領時代にレーガノミックスが始められる。レーガノミックスによりソ連はアメリカとの軍備増強競争に敗れ、チェルノブイリ原発事故により共産党政権の瓦解へと追い込まれていくのだ。 チェルノブイリ原発事故は当初運転員の操作ミスが事故原因とされ、その後、ソ連製の原子炉の構造そのものが原因であると説明が変化していく。そして、一貫して地震原因説は隠ぺいされていくのだ。同時に放射性物質による被害はほとんど検証されず、小児性甲状腺癌という放射性ヨウ素の甲状腺への蓄積により特異的に起こる癌のみが被害として認知されていく。このような状況は、アメリカ製の原子炉であればたとえ操作ミスがあっても大丈夫であり、また、たとえ放射能漏れがあっても被害は軽微だと宣伝し、世界各国へ広めた原発を廃止させないためであった。 上に述べたような経緯を見れば、アメリカの原発政策が大まかに3段階に分かれているのが見て取れる。原爆や原発の存在そのものを正当化する時期が1950年代から1986年のチェルノブイリ島原発事故までだ。この時期、日本や台湾と言う地震国に原発が建設されていく。1986年のチェルノブイリ島原発事故から2001年の小ブッシュによる原子力ルネッサンス宣言までが原発冬の時代だ。ヨーロッパやフィリピンなどで原発反対運動が盛り上がり、多くの原発が廃止されていった。この時期がちょうどエイズの流行期と重なるのは興味深いことだ。エイズは1981年にアメリカで初めての感染例が確認されている。タイ、インド、マレーシアなどでエイズが初めて確認されたのが1986年ごろであり、その後の数年間でエイズ感染爆発が起こる。そして、今は第3期で、地球温暖化や新興国による原油需要増などが懸念され、原発建設が特に新興国に対し売り込まれつつある時期だ。 ただ、今年福島第一原発事故が起こったため、改めて原発事故の深刻さが意識され、幾つかの国で原発廃止の動きがある。ドイツで原発廃止が決定されつつあるのは、ドイツが原爆を保有していないことに関連があるのだろうし、電力の80%程度を原発に依存するほどの原発大国フランスで反原発の動きがないのはフランスが原爆を保有しているからだろう。同様に原爆保有国であるアメリカ・イギリス・ロシア・中国でも原発廃止の運動は起こらない。 そして、原発廃止の動きがあるドイツで主に起こったのがO104という新種の腸管出血性大腸菌の大流行だ。日本においても、原発事故後、O111という腸管出血性大腸菌による食中毒事件が起こり、北海道ではすんでのところで200名以上の犠牲者が出るような列車事故が起こっている。 日本が戦後一貫して原発建設を進めてきて、アメリカやフランスとは異なり大変な地震頻発国であるのに、アメリカと同じ耐震設計でよしとしてきたのはこのような背景があったからのはずだ。 原発の廃止は原爆の廃止に結びつかざるを得ない。世界で唯一の被爆国であり、原発事故も経験した日本は世界に向かって原発の危険性を示し、核軍縮の運動をリードしていく資格があるし、その責任もある。地震国であり火山国でもある日本は地熱発電技術を発展させて、原発・原爆のない世界を作れるはずだ。 *6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<588>>
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。