http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/436.html
Tweet |
日本の近未来 311の地震が起こり、2004年のスマトラ沖地震と同じように誘発地震を起こすことが予測されている。 2004年12月26日----スマトラ島沖地震 (2004年)------9.1-------スマトラ島北西沖 つまり、今後5年から6年で日本各地にM7越えの地震が頻発するわけだ。311の揺れ残りの部分である青森県沖と千葉県沖はほぼ確実に揺れるだろうし、東に数メートル動いた東北地方と西日本を結ぶフォッサマグナ上にある関東地方で、例えば東京湾北部地震が起こる可能性は強い。そして、更に、東海地震や若狭湾近辺でも地震が起こる可能性は強い。 2008年に起こった四川大地震は揚子江プレートというユーラシアプレート内のマイクロプレートの西北端が動いたものだった。そして、揚子江プレートの東端は九州南部にほぼ接していて、その位置には川内原発がある。九州南端の鹿児島県にある桜島の噴火が活発化したのは四川大地震の後の2009年からだし、2011年1月には新燃岳の噴火も始まった。 新燃岳の噴火は享保噴火 の再来と言われ、1716年以来の本格的噴火に発展する可能性が指摘されている。311の東北地方太平洋沖地震も869年の貞観地震の再来とされている。 ここで、貞観地震や享保噴火の前後にどのような地震や噴火活動があったか、それを見てみよう。 863年7月10日 越中・越後地震 - 死者多数、直江津付近にあった数個の小島が壊滅したと伝えられる。 要するに、311の東北地方太平洋沖地震の前例であった869年の例でも、新燃岳の前回噴火の1716年の例でも東海地震が10年以内に起こっていて、南海、東南海との連動型であったと言うことだ。このプレート境界型の大地震が起こると、直下型の地震が多く起こることは、今回の311地震がよく示している。1700年代でさえ、人口は今の半分以下で地震が起こっても記録に残っていないものがかなりあるはずだし、ましてや800年代ならかなり大きな地震でも記録されていない例があるのは確実だ。今後、日本は東海地震など、プレート境界型地震が順次起こり、それに付随した直下型の地震に常時襲われることになる。 仮に、原子炉が破壊されなくても、首都圏や関西圏が地震に襲われればその損害は50兆円は軽く超え、今後、日本の財政破綻は避けられない。公務員給与の切り下げや年金の切り下げは当然のこと、給与の遅配やハイパーインフレも起こる。 原発震災が起これば、これがもっと早まるし、居住ができない地域や農業ができない地域が広範囲になり、海外移住するしかないような社会になるだろう。一般人はまさしく路頭に迷うしかない。 そして、最も大きな問題は、こういったことがごく常識的に考えて予測できるのに、政府もマスコミも、国会議員や地方議員も、ほとんど対応策を考えているように見えない点だ。 対応策は比較的簡単だ。原発をすぐに廃止して、核燃料を何処かへまとめて移すこと。首都機能を分散すること。地熱発電を全国各地で開発して、少なくとも全電力の3割以上を供給できるようにすることだ。ただ、さまざまな利権や思惑があって、動こうとしない。 *6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<566>>
2005年3月28日-----スマトラ島沖地震 (2005年)------8.6-------メダン南西沖
2007年9月12日-----スマトラ島沖地震 (2007年)------8.5-------ブンクル南西沖
2009年9月30日-----ストラ島沖地震 (2009年)--------7.5-------パダン西北西沖
2010年4月6日-------スマトラ島沖地震 (2010年4月)---7.8-------バニャック諸島付近
2010年5月9日-------スマトラ島沖地震 (2010年5月)---7.2-------バンダアチェ南南東沖
2010年10月25日----スマトラ島沖地震 (2010年10月)--7.7-------パダン南沖
868年8月3日 播磨・山城地震 - M 7台。
869年7月9日 貞観三陸地震 - M 8.3〜8.6、地震に伴う津波(貞観津波)の被害が甚大で死者約1,000人。多賀城損壊。津波堆積物調査から震源域が岩手県沖〜福島県沖、または茨城県沖の連動型超巨大地震の可能性も指摘される。
878年10月28日 相模・武蔵地震 - M 7.4、死者多数。京都でも揺れが感じられる。
887年8月26日 仁和地震(南海地震) - M 8.0〜8.5、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり。地質調査によればほぼ同時期に東南海・東海地震も発生。
1694年6月19日 能代地震 - M 7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
1703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震) - M 8.1、死者5,200人(20万人とも)。関東南部に津波。
1707年10月28日 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) - M 8.4〜8.7、死者2,800〜2万人以上、倒潰・流出家屋6万〜8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数ヶ月間止まる。
1710年10月3日 因伯美地震 - M 6.6、山崩れなど。死者多数。
1714年4月28日 糸魚川地震 - M 6.4、山崩れなど。死者約100人。
1716年3月11日 享保噴火
1717年5月13日 宮城県沖で地震 - M 7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1729年 能登半島で地震 - M 6.6〜7、死者少なくとも5人。
1731年10月7日 宮城県南部で地震 - M 6.5、死者数名、家屋が倒壊。
貞観大噴火(じょうがんだいふんか)とは、平安時代初期の864年(貞観6年)から866年(貞観8年)にかけて発生した、富士山の大規模な噴火活動である。この噴火で埋没した剗の海の残片が現在の富士五湖のうちの2つ、西湖と精進湖であり、溶岩流の上に1200年の時を経て再生した森林地帯が青木ヶ原樹海である。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。