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国家は世界から見れば私的なものである。
領土や国益にこだわる姿勢は世界を分割した一片の利益を追求するという私的な行為である。
いずれも私的なものであるに過ぎない個人や国かの二者択一は普遍性としての世界を排除する為の思想的トリックである。
世界権力の真の敵は普遍性を獲得した個人やその影響下にある人々である。
だから世界権力は私的な事の中に人民を閉じ込めようとするのだ。
実は世界権力自体が世界を私的に支配しているのであるが普遍性で対抗されればその支配が瓦解するかも知れず世界権力自身があたかも普遍性を体現するかのように振舞うのだ。
普遍性の形としてこれしかないと人民に思わせるのである。
国連もそういった機能を持つ組織である。
世界権力はその為に世界政府を作ろうなどというプロパガンダを行う。
人民が真の世界政府を作らせないようにする為にハリボテ的世界政府を構想し人民を誘導するのである。
だから人民の中から真の意味での人民の為の世界政府を作ろうと主張する者が現れてもそれを世界権力が提起している世界政府を作る為の工作だと形式的な誤解をするのだ。
世界政府という言葉だけが同じで内容は全然異なるものであったとしても言葉で惑わされて同じものだと判断するのである。
だから世界政府ではなくて小さい地域での自立が必要だという主張が表れる。
しかし、小さい地域というのも又私的なものである。
ことほど左様に人々は私的なものの中で戯れていたいのである。
何故ならば私的なものであればまだ自分がやりたい事ができるが普遍的なものでは自分のやりたい事ができないなどと考えているのである。
普遍的なものの確立が個人の自由意志にとっても必要不可欠である事が分かっていないのだ。
アメリカ、中国、ロシアの日本攻撃は日本人を私的にするだろう。
国家という名の私
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