http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/285.html
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(回答先: 政治板はコップの中の嵐を煽りたてていることに終始し、あとは思考外にあるように見えるが、それでよいのか。 投稿者 仁王像 日時 2010 年 7 月 17 日 07:47:10)
(その一)
独立を「目的」とは考えないで「手段」と考えている男がいるので驚いた。
「目的のない独立」は「盲目の独立」であり、「手段である独立が目的化する」ことになるのだという。これにも唖然としたが、「何のために対米独立を目指すの? 」と真顔で問うてくるのにも唖然とした。こんな本末転倒した考え方が世にあるとは夢想だにしなかった。独立を「目的」としか捉えない筆者のような者は脳挫傷でも起こしているらしい。
筆者に言わせれば、独立を「手段」と捉えるのは甚だしい思想の劣化であり誤りである! 日本の(いや阿修羅の)思想シーンはいつの間にこのように変容してしまったのか。
もし国際政治学とでもいう分野があるなら、独立という概念を”敢えて”「目的」か「手段」かのどちらかに区分けするとすれば、どちらに捉えるのが自然な解釈なのかは自ずから明らかになのではないだろうか。
(その二)
先の一連のやりとりの中で感じたのは、ここの住民の何人かは本心は対米「完全独立を果たす」ということ躊躇あるいは望んではいないのではないかと疑うに到った(筆者と直接対決した男を除く)。これが阿修羅で小人数なのかかなりの人数がいるのかは分からない。
もしそうであるなら、なんという気概の無さであろうか! 戦後65年もの間米国の支配下にあり属国状態が続いているのである。このまま放置すればやがて属国100周年を迎えることにもなる。飼い慣らされたまま100周年を記念するつもりなのか。
米国が衰退モードに入っていることは確かだが、帝国が自然崩壊するのを待っているだけなのであろうか。
完全独立を本心では望んでおらず、属国状態に甘んじていた方が安心だとすれば(if)、牙を抜かれた上金玉も抜かれているといわざるを得ない。言いかえれば「敗北主義」にほかならない。
こう言ってしまっては身も蓋もない状態らしいことにも最近気づいた。
日本が完全独立すると「とてつもない危険な国家」になるのではないかと危惧していると見られる意見も散見された。これに応えよう。完全独立を成し遂げた日本の命運を左右するのはこの国の構成員たる人民=国民(政治家)の総意である。これが近代国家のほとんどが採用している民主政体の原理である。人類史の現在までの到達点であるこの原理以外の何を拠り所としようというのか。他に何を、誰を頼ろうと言うのか。
完全独立を果たせば、たとえば何も描いてない画布に自在に描ける立ち場になる。だが、属国状態ではすでに画布にいろいろな枠組みが描いてあり、われわれは残された自由度は多くはないということ。真っ白な画布では不安なので属国状態に甘んじたいというなら、属国根性もこれに極まれりである。下の小室氏を見よ!
http://www.asyura2.com/07/dispute26/msg/458.html
>小室直樹氏は『日本の敗因』のなかで、日本は大東亜戦争に勝つべきであったし、また勝つチャンスもあった、と言明している。それに対し、一部の人の「あの戦争は、やはり敗けたほうがよかったのではないか。もし勝っていたら、軍人が威張ってどうしようもあるまい。自由もデモクラシーも、日本が敗戦したからこそ得られたものではなかったのか」との指摘に対して、「自由もデモクラシーも自らの力で獲得すべきものである。断じて、他人から与えられるものではない。イギリスやアメリカ、フランスの歴史を一瞥しただけで明白である」と一言のもとに切り捨てている。
・「真の独立」を国家戦略の第一位に掲げることの意味
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/282.html
投稿者 仁王像 日時 2010 年 7 月 12 日 18:28:17: jdZgmZ21Prm8E
・独立ーwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E7%AB%8B
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