http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/277.html
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(回答先: ”国家戦略”は国家に保存され常に研究されつつ執行中であるか出番を待つべきもの 投稿者 仁王像 日時 2010 年 7 月 07 日 20:06:40)
・小沢一郎に依存する方法論は「(国家)戦略」足り得ない!
http://www.asyura2.com/10/senkyo89/msg/797.html
小沢一郎の胸三寸にすべてを任せるとすれば(仮定の話)、これ自体戦略的な方法論ではない。一個の男の運命に(国家の)すべてを託すわけにはいかない。たとえ若く、健康で政治生命が向こう数十年あってもである。言い換えれば小沢一郎一個人に国家戦略を託すわけにはいかず、そのこと自体が戦略的でないということは明らかである。
では小沢一郎に託せる部分はなんであろうか。「政治理念」というのが浮かんでくる。小沢純粋党の代表になれば「国民の生活が第一」という政治理念?の立役者になれるかもしれない。だがこれが「政治理念」だとすれば、それは党の綱領等に書いておくべきものである。党の綱領であれば、小沢が世代交代で退いても党に引き継がれて行く。そうすると小沢がこの政治理念の立役者であったとしても小沢という個人に依存すべきものでもない。
そもそも「国民の生活が第一」というのを党の綱領等に入れるべき政治理念であるかどうか筆者には大いに疑問である。あるいは「政治理念=あるべき未来社会」としても同じと考える。ただ党のやることだからカラスの勝手である。
「国民の生活が第一」というスローガンは、そもそも「改革を止めるな」と言って日本を荒廃させてきた小泉に対抗するため、参院選での選挙スローガンとして登場した歴史性を持つ。そもそもが政権公約的な出生の秘密を持つ。
ところが気が付くと、小沢信者たちは「あるべき未来」の姿として持ち上げてきた。まあ、一人歩きして政治理念にまで格上げされてきたと言える。これが政治理念に堪え得る教義かどうかに疑問があるが、いずれにしても小沢純粋党が考えるカラスの勝手である(ここから先はあなた方の領分)。
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