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欲があること自体は悪いことではないでしょう。ただ、それが一定の度合いを超え、しかも、他の人々を不当に犠牲にするものである時、当然、そういった強欲さは不当なもの、よくないもの、まずいものになると言うだけです。 ただ、現実には、こういったことが分かっているにも関わらずに、かなり多くの人が強欲さに走ってしまっています。そういった方々へ、もう一度、何がまずいのか、それをなるべく具体的に述べてみます。 1. 不当さが巧妙に隠されたものであること: 2.隠された強欲さが非常に大規模であり、単なる勢力争いではないこと: 3. ごく普通の正義感、純粋さが、強欲さにより利用されていること: 4. どうすれば、強欲さの罠から抜け出せるか:
強欲さがなぜまずいか。
現代の強欲さは、それが巧みに隠されているのです。隠されていると言うことは二つの意味があります。一つは、一種の合法性です。日本において1989年に消費税が導入された時、それ以前はスポーツカーとか宝石のぜいたく品にかけられていた物品税30%が廃止になり、消費税3%(今は5%)に統一されました。これは明らかな富裕層優遇の措置であり、合法的に不当な優遇がされている例です。これと同様な富裕層優遇の法制度が、労働法制を含めて日本には見られます。
もう一つは、非可視性というもので、被害そのものが当事者、または、直接の加害者にも見えないようにしてしまうと言う手法です。イラク戦争で無人の攻撃機が無線操縦で現地の人々への攻撃に使われていますが、まさに、これがそうです。
より日常的には、被害の訴えをマスコミや行政が取り上げないように圧力をかけたり利権をばらまいたりした上で、食料品や医薬品に細工をすることがあります。多くは下剤を仕込むのだから大した被害ではないと当事者に言い、実際、当初は下剤を仕込み、しかし、最終的には、かなりの毒性のあるものを仕込んでいくと言う手口です。当事者、つまり、スーパーやドラックストアの人々は被害者が普通に買い物をしている姿しか見ませんから、その苦しみは見なくて済みますし、分かりもしないわけです。
しかし、この影響はとても大きいのです。一般的に不当なものを告発しようという方は結構いるのだと思います。ところが、そういった方たちが、ごく普通に買い物をし、食事をした結果、体調がおかしくなる。しかも、この食品がおかしいと保健所や警察に訴えても、清浄な食品だと言う答えが返ってきてしまったり、または、そもそも訴えそのものを取り上げてもらえない。こういう時、その恐怖感というか、ストレスは、非常に大きなものになります。まあ、こう書いても、実際に体験しなければ、そのストレスは分からないのかも知れませんが。
2009年に明らかになった「かんぽの宿79施設のバルクセール」の不当性は、取得価格の20分の一以下(一括譲渡対象の79施設の土地取得代と建設費は合わせて約2402億円に対し譲渡価格は約109億円)で公的な不動産を安売りし、一部の買い手に利益を不当に供すると言うものでした。2001年以来の小泉純一郎政権下で行われた郵政民営化は、一貫して、そういった不当な物件の安売り(平成19年度までの5年間に628施設を計約1093億7600万円で売却。これは取得額の3分の1程度)をやっていたわけで、その不正の規模は1000億円単位のものであったわけです。1989年に始まったバブル崩壊では、それをはるかに超える何兆円にもなる規模で不当な利益が日本社会の各層へあてがわれていったはずです。
なぜ、そんなことが起こっているかと言えば、日本社会全体を植民地化する動きが背後にあるからだとしか言えません。特定の人たちに不当な利益を供与し、彼らを使って日本全体を植民地支配しようと言うことです。不当な利益を得ることでその人は、不当な利益を得ていない一般の人や、植民地支配に反対する人に対して、自分が不当な利益を得たということを隠したいと言う動機が生まれます。植民地支配とは関係がまだないはずの段階で既に人々の間に溝ができ、社会が分断されてしまうのです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8C%E3%83%BCやhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%83%E3%82%AFにある南ベトナムのファーストレディであったマダム・ヌーの態度がこういった植民地化の結果を良く表していると思います。1963年6月に起こったティック・クアン・ドックというベトナム人僧侶による焼身自殺、それは、アメリカの傀儡政権であった当時の南ベトナム政府に対する抗議の自殺でしたが、それをマダム・ヌーは「僧侶のバーベキュー」と呼び、自殺に使ったガソリンがアメリカ製であることを取り上げ、「西欧化に抗議するのにアメリカ製のガソリンを使うことは矛盾だ」とまで言ってしまっています。この言葉が世界中の非難を浴び、南ベトナム政府崩壊を早めたはずです。しかし、マダム・ヌー自身も、長兄一家を共産主義勢力により殺され、自らも数か月にわたる軟禁生活を送ると言う悲惨な体験していて、それなりに反共産主義の思想を彼女が持つことは理解できることです。重要なことは、ベトナム人同士の対立がこうしてフランスやアメリカの植民地化政策により作られたと言うことです。植民地化に乗った勢力とそれに反対する勢力という対立が一度作られると、その対立自体を利用して、より重層的な植民地支配が行われるわけです。マダム・ヌーが南ベトナムのファーストレディの地位を占めたのは、彼女自身の共産主義者からの虐待の経験を、植民地化を進めたフランスやアメリカの勢力が利用したからでしょう。
現在に起こっている植民地化の巧妙さは、マスコミ支配が徹底されていて、例えば、ベトナム人僧侶ティック・クアン・ドックによる抗議の自殺のような事件を、そもそも、世界中にも、そして、この場合ならベトナム社会一般にも報道をさせないと言うことです。または、マダム・ヌーの失言自体を一切報道させないというものです。
こういったマスコミ支配のもっとも典型的な例は、911のアメリカ同時テロに見られます。つまり、個人が何かを告発しようとしても、それを社会へ伝える手段自体が奪われてしまっているわけです。それどころか、反対に、告発する側が何か悪事を働いていると見せかけることがインターネットや行政側により行われてしまいます。
バブル崩壊や郵政民営化によって行われた大規模な不当な利益の供与は、日本社会をまさに大規模にそういった偽装社会、うそつき社会に変えてしまったと言えると思います。そして、重要なことは、その背後で確実に日本社会の植民地化、強欲さの支配がかなりの程度まで進行していると言うことです。
もう一つ、そういった大掛かりな情報管理の典型例があります。それは、2008年8月にアフガニスタンで起こった伊藤和也さん殺害事件です。彼はアフガニスタンで医療援助や農業援助をやっているべシャワール会のメンバーでしたが、よく背景の分からない勢力により誘拐され殺害されました。それを受け、ペシャワール会自身も日本人スタッフはアフガニスタンから引き揚げてしまったと言います。明らかに背後にあるのは、イラクやアフガニスタンで何が起こっているかを外国から遮断するという意志です。イラクやアフガニスタン政府を完全な傀儡政権にしてしまい、一般民衆に何が起ころうと単に植民地支配に協力させるがために、一般民衆の生活が外国へ漏れ、外国からの非難を浴びないようにしようと言うわけです。
アフリカの多くの国では第2次世界大戦後、独立はしましたが部族間の対立がひどく、内戦状態になり、独立前よりも状況が悪化してしまった国が多くありました。イラクでは、911のテロ以降、ブッシュ大統領による誤った判断(イラクが大量破壊兵器を持っている)で、アメリカからの戦争が仕掛けられ、それ以降、イスラム教シーア派とスンニ派による内戦が止まりません。旧ユーゴの一部であったサラエボでは1984年に冬季オリンピックが開かれ、そのわずか8年後には民族間の内戦が起こり、9万人を超す死者を出しているわけです。
これらの内戦のどれもが、故意に外部から内戦をするように仕向けられた可能性が大変に高いと思います。
例えば、ルワンダでは、ツチ族とフツ族の対立が恣意的に作られ、それが植民地支配に利用されていました。もともとはほとんどまじりあって生活していた人たちを特に理由なく区別して、一方にだけ特別待遇を与えて、他方を支配させるわけです。それによって、本来なら等しく富を分かち合っていたはずの人々を全体的に搾取し、巨額の富をルワンダから搾り取ると言う植民地支配が行われました。不当な差別に対してそれに怒りを感じ、それを是正しようとするのはとても自然なことであるはずです。しかし、多くの植民地国家においては、そういった動き自体が支配する側によって利用され、同じ国民であるのに互いに争い、殺しあうように仕向けられていったわけです。まっとうな正義感が、まさしく、新たな搾取、新たな悲劇へとつながっていったのです。
ごく単純なこと、つまり、他者に何らかの危害を加えるときは、公的な手続きを踏み、相手にその理由を知らせ、相手にそれについての弁明をさせ、公的な第三者により相手に罪があるかどうかを判断させることです。こういった手続きを踏んで、公的に罪を認定されたものだけが罰を受けるようにするというだけのことです。こういった手続きを踏まないと、新たな争いを生むだけに終わり、いつまでたっても争いから抜け出すことができません。
第二には、さまざまな形で行き詰ってしまった場合、あまり自分でそれをしょい込んでしまわず、さまざまな人に相談して、たとえ相手に迷惑をかけても、強欲な勢力へ関わりを持とうとしない、または、関わりを断ってしまうことです。
第三に、植民地化は、自国内での勢力争いではなく、他国によって支配されるのだと言うことを、常に意識することです。自国内での勢力争いなら、強そうな方へ味方して便宜を図るほうが結局は有益だと言う面がありますが、植民地化は決してそうではなく、最終的にはほとんど誰でもが犠牲になってしまうと言うことを理解しておくべきです。
*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<35>>
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