http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/264.html
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オニのいぬ間の何とかの積りか知らないが、こちらが居なくなったら登場してるなw それにしても、愚劣かつ卑劣過ぎる。 オマはん、一年前のやりとりで、コテンパンにやられたじゃない。 反論らしき反論はせぬまま、人格攻撃に終始する情けない状態。 目をつぶったまま喚き散らす様を見て、そぞろ哀れを催し、以後は窘める程度にしておいたが、ここまで増長してくるとは!
こうなりゃあ、足腰立たぬまで、叩きのめしておくとするか(無論、論理的にね)。
ファシズムの問題は既に下記で多少論及しておいたし、改めてこの問題は論じる積りなので、ここでは割愛しておく。
http://www.asyura2.com/09/dispute29/msg/593.html
http://www.asyura2.com/09/dispute29/msg/597.html
http://www.asyura2.com/09/dispute29/msg/603.html
また「国家主義者」については、国策捜査の標的、露骨に言えば「国家の敵」となってる小沢一郎が「国家主義者」であるわけがない。 それが分からぬのは、マスコミの表層に決して出て来ない部分(タブーというわけではないが)を無視し、表層だけを追ってるからだ。
今回は国策捜査に関して、論じておくー
国策捜査の根本に在るのは「国体の護持」だ。 そうして、戦後日本の「国体」とは「日米安保体制」である。
更に言うなら、軍事を見れば一目瞭然、「日米安保体制」とは「占領体制」の継続・更新されたものであり、精々、それを隠蔽し、合法化又は正当化したものに過ぎない、即ち戦後権力とは米国印が刻印されたものなのだ。 従って、GHQ支配下において、占領体制をスムーズに進ませる為に、「隠匿物摘発」を目的で作られた東京地検特捜部が、その後、「日米安保体制」の阻害要因になるものを排除する役目を担うことになるのは、当然と言えば当然。 「造船疑獄」以降鳴かず飛ばずの状態に在った特捜部が「ロッキード事件」で息を吹き返してくるのは必然ですらあるのだ。
何故なら、ロッキード事件とは、余りに軍事に偏重することで失っていった米国の国際的指導力の再生の為のものであり、それが、日本においては「米国の指導力を弱める者の排除」という文脈になったものだから。 そしてそこには、米東部支配層と軍部をバックにした共和党右派の齟齬が軍部の基盤=右派の金城湯池である日本において顕れている、と見るべき。 本来の「児玉ルート」(岸、中曽根)が慎重に隠蔽され、田中角栄氏が狙い撃たれた理由も又、そこに在る。
これを今回の場合に当て嵌めれば歴然としてるであろう。
”チェンジ”を掲げたオバマ大統領の登場自体、ブッシュ前政権による「余りに軍事に偏重することで失っていった米国の国際的指導力」の再生の為であることは誰にも異存は無いだろう。
とすれば、従来にも増して米(軍)への国際的な信頼低下が言われる中、持論の「(対米)自立論」を引っ提げた、小沢氏を中核とする勢力が政権に復帰する時、前回と同じ力学「米国の指導力を弱める者の排除」が働くことになるのは自明であろう。
事実、「600人訪中」や「外国人参政権」等、小沢氏の進める隣国との協力・友好路線は「極東安保体制」に真っ向から挑戦するものだったのである。 互いへの不信・猜疑こそ<分割=支配>の要諦なのだから。
だとすれば、”田中逮捕は国家の論理”(布施検事総長)と「小沢捜査」はパラレルであることが判るはずだ。
しかも、今回、小沢氏ばかりでなく、鳩山氏、石井氏、小林氏、及び有力な支援団体である日教組が狙われた通り、民主党全体にも向けられているのであり、従って、一部の暴走ではなく、検察全体の意思を背景にしていると考えるのが自然だ。
詰まり「正義感に駆られた若手検察官僚の世直し暴走」という佐藤優氏の見立ては完全に誤りであり、寧ろ意図的な隠蔽がそこには在る、と私には思える。
何が隠蔽されているのか? 「国体」である。 戦後日本の国体としての「日米安保体制」である。
「国体」に関わる最低の鞍部を見て見ぬ振りをすることで、「国家主義者」佐藤優は自らを成り立たせており、その点においては彼は「改良主義者」である。 つまり、アメリカと事は構えないー軍事支配を甘んじるーことで、その中での、日本にとって有利な地歩を固める処に自らの立ち位置を置いてる、と思われるからだ。 そして、これは多くの官僚のメンタリティでもあろう。
彼の議論を見てみると、「国体」に関わって来る部分は慎重に除き、それ以外で論理を立てて行くということで一貫しているのだ。
例えば鈴木宗男氏についても、「新自由主義」に絡めて「時代のけじめ」と佐藤氏は言ったが、誤りではないというものの、同じく意図的な作為がそこには在る。
それなりの存在感は在ったとはいえ、鈴木宗男氏が「日本的社会民主主義」の象徴的存在だったろうか?又その関わった事件が象徴的事件なのか?と言えば、首を傾げるだろう。 寧ろこれは、そのようにも見做せるということで、本質を隠蔽したものだと思う。
何故なら、彼自身がその書で披露している様に、外務省に大きな影響力を持ち、また日露関係の進展を図ろうとした故に、外務省主流からは”癌”のように思われ、切除されたーと見るのが自然だからだ。
取調べを担当した検事のあからさまな言辞で分かるように、日ロ関係は日米関係の関数に過ぎない。 日米関係を阻害する要素は排除するーというのが検察の大方針であることは読み取れるからだ。
そして、それが<法>で排除出来ない(するまでもない)となったら、メディアによってこれを行う。
ほぼ同じ時期、自民党次期最有力候補と登りつめた山崎拓氏が、国策メディア※(1)「文春」により「女性スキャンダル」で徹底的に攻撃され、潰されていったことも政治的には同じ意味を持つ。 山崎拓氏は、福岡玄洋社の流れを汲むアジア派の有力政治家であることは、知る人ぞ知る。
つまり、ロシア派(鈴木宗男)、アジア派(山崎拓)を政権中枢から追っ払う!ー
これは、90年代末辺りから顕著になり、小泉政権と共に本格化した「日米は運命共同体」(親米にあらずば人にあらず)路線が捜査方針及び国策メディアの編集方針に顕れたもの、と解すべきだろう。
※「国策」という時、単に官僚の作為だけに目をやるのではなく、メディアにも向けられるべきであろう。
既に「ロッキード事件」の際に、「文春現象」として、これは論じられている。
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