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当り前のことですが、「曳かれ者の小唄」とは刑場に曳かれていく罪人が、処刑者に最後の言葉
を発した時に、当の勝利者である役人が、罪人を嘲笑して投げつける侮蔑の言葉です。今まさに
死に行く者が何をほざくか!といった類いのものです。
当然ながら、他人に対し「曳かれ者の小唄」と嘲笑できるのは、勝利者の側なのです。
今回の「W辞任」で去年の夏、「国民主権」「民族自立」を夢見た私たちは、一定の敗北を余儀
なくされました。繰り返しますが、私たちはこの国を支配する官僚、マスゴミ、警察権力、その背後に
そびえる「アメリカ」に敗北したのです。
仁王像さん、あなたはこれら支配権力に連なる者の一人ですか?もしそうであれば、存分に嘲笑して
けっこうです。ですが、私にはあなたがそのような存在であるとは少しも思いません。
では、あなたは、どの意味において、勝利者なのか。
うるさく跳梁跋扈していた「小沢信者」たちが、今回の敗北で冷水を浴びせられていることに、
只喝采を送っているだけの人なのでしょうか。(当初、私はそのように思っていました。この点、
お詫びします。)そうではありませんでした。総括を要求し、戦略と戦術を語るあなたが、そのよう
な感情的爆発であのような言い回しをするだろうかと考えました。
あなたが「勝利者」然とし、私たちを「曳かれ者」と嘲笑できる唯一の点は、その論理性において
私たちよりも遥かに勝っているときにおいてでしかありません。
とすれば、私たちが見る未来=「国民の生活が第一」の政治、を児戯に等しいものとするだけの別の
未来をあなたが見ているということになりませんか?
ですから、「あなたはどんな未来を見ているのですか?」の質問の提出は理の当然だと思われませ
んか?私たちは自らを「曳かれ者」だとは思っていません。そう呼んだのはあなたなのですから。
これは、あなたが言う「すりかえ」ではありません。当然の論理的帰結です。
時局の劇的混乱の中で、政権交代に夢を託した人々も混乱し続けているように見えます。
この混乱を「曳かれ者」と断じるあなたの中に、「総括」,戦略−戦術論,組織的統合などへの
過度な信頼を私は見ています。
失礼ですが、私はそのような論理は前世紀の遺物であろうと考えています。
現在は、混乱は混乱のままでいいのです。それこそ「国民主権」なのではないでしょうか。この混乱の中、人々は賢明に自分の立脚点を、それぞれが求めています。
これは混乱かもしれません。だが、確実に未来につながる混乱だと私は考えています。
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