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93年夏に、米国防総省が、英国の研究機関に将来予測されるテロの様相についての研究を委託しておりますが、同じ頃、オウムはサリンなど毒ガス兵器によるテロに言及し始めます。 そうして、同研究機関による、地下鉄テロを予測した「テロリズム2000年ー将来のテロリズムの様相」と題した報告書が出たのは、何と、「地下鉄サリン事件」の直前の95年2月!
ーこれを見れば、ある程度客観性を保つ為に、英国に「どのような形態のテロが起こるのか?」研究させ、日本で、実際に、その中身を研究、そして実験する、という図式が浮かんで来ます。
事実、日本の医療研究機関は米国防総省関係の委託研究が多い事で知られますが、中でも林郁夫の母校である慶大医学部は「化学・細菌戦」関連の研究が最も盛んな所だとか。 もし背後で、何等かのルートで繋がっていたとするなら、その林郁夫を筆頭に、医者グループの事件での位置及び役割はこれまで思われてきたよりも遥かに重要であったのかも知れません。 そうして又、オウムの信者達は米軍に攻撃されてると信じていたようですが、実はそれは実験(ケム・トレイル?)だったと考えれば、納得も出来ます、実際に被害者が多数出ていたことも。 また、これに関して、麻原彰晃は、毒ガス攻撃にやられた上に、Q熱リケッチアにも罹っていたと思い込んでいた様ですが、それが医者等による(仕組まれた)ものとしたら、全てが納得出来るように思えるのです。
94年の3月から4月にかけて、林郁夫は「化学兵器資料調査」を名目に米国に出かけていますが、本当は何しに行ったのか?
自分達の「師」や「仲間」を攻撃してるという、その国に。
その頃には麻原は体調を崩し、病状が悪化して、上九一色から外に出ることは滅多に無くなり、床に伏せることが多くなっている。 それから間もなく「松本サリン事件」が起きるのですから、彼の手を離れた途端、オウムは暴走するー否、暴走させられる? ーということを考えれば、麻原彰晃は殆ど”ツンボ桟敷”に置かれていたのでしょう。 主治医の法皇官房中川智正は、恐らく、見張り役というか監視役も兼ねていたのではないか?
後に法廷で「証言」に立った中川智正が、殆ど狂人になった(された?)麻原彰晃を見て流した涙は、或いは”ユダの涙”だったのかも知れません。
渡辺脩氏によると、外に出なくなってからというもの、麻原の目及び耳となったのは「大蔵大臣」石井久子と「科学技術省大臣」村井秀夫。
-ところで、この構図で村井を排除すれば、実は、「オウムの犯罪」は成立します。
どういうことかと言えば、全ての犯罪を<麻原→村井→実行犯>と繋げばーそういう図式を取ればー全てを(村井を通して)麻原の指示でやったという構図の(村井を通して)の部分が証明不可能になれば、この構図について、立証も反証も出来なくなるからです。 これがもし村井が生きていれば、当時、他の誰よりも全体を見通し、統括出来る立場にあり、オウムが具体的に何をやっていたのか知り得る立場に在ったのだから、反証も反論も容易だったでしょう。 つまりは村井を消すことによって、逆に「オウムの犯罪」は成立しているのです。
「地下鉄テロ」の大きな謎に、「実行犯」は、林郁夫以外は、豊田亨や広瀬健一等、「科学技術省」の幹部達ばかり、というのがあります。
何故、「シークレットワーク」お得意の「諜報省」井上嘉弘直属?の(現?元)自衛隊員にやらせず、「実戦」にはあまりに不向きな(特別その方面の訓練をした形跡もない)、医者とか技術者・研究者達ばかりだったのか?ーから、逆にこの真相が見えては来ないか?
多分その「実行犯」達は実際にサリンを撒いたかその仲間であったと思ってるのでしょうが、彼らには、そう思い込み、また参加せざるを得ない、何か抜き差しならぬものが在ったのではないか? そしてそれは、彼らがサティアンでやっていたことと関係しているのではないか? この際だから想像を逞しくして言えば、それは恐らく、”プロフェッショナル”の指導・協力を得て、オウムの信者達を使い、様々な兵器の人体実験・生体実験を行っていたということではないか? オウム信者には何人もの死者が出ていますが、それは”修行”を名目にした、この種の実験によるものだったのでは?(勿論、その中にはスパイも居たでしょうが)
そうだとすれば、彼らが選抜されたのは、こうした生体実験・人体実験を含む研究の全貌を、彼等の存在共々、永久に封印することがその真の目的であった?かも知れません。
医者達のやった事を始め、オウムの背後の闇を追求すべきだという声に、当時の警察中枢は”警察でもどうしようもないことが日本にはあるのだ”と漏らしたといいます。 数々の「冤罪事件」が物語るように、我々からすれば、警察が日本の中で出来ないことなど無いようにすら思えるのに、このチョー弱気の発言は、しかしながら、問わず語りに、その間の事情を伝えてくれている?
「警察でもどうしようもないこと」とは、この問題は治安上のマターではなく、更に上位、安全保障に関わって来る問題であるということ。 そしてもしこれが自衛隊がやったと見ているのであれば、「日本には」という限定は付けず、単に「国家には」と、もっと一般的な言い方をしたでしょうから、この発言は、自ずと、その正体を暗示するものとなっているのです。
「オウム裁判」を振り返って、渡辺氏は「警察・検察が本当は一連のオウム事件の真相に触れたくなかったからではないのか」と述べていますが、正解です。 何故なら、オウム事件の真相を明らかにすることは「防衛」の真実を明らかにすることであり、それは日米関係の真の姿を明らかにすることだからです。
まさに今、同じ事が「韓国哨戒艦沈没」についても言えるのです。
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