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整理してみましょう。
細川政権(93〜94年)が対米関係を中心に戦後体制の見直しを掲げていたのに対して、村山(自・社・さ)政権(94〜95年)は、その意味では、戦後体制への復帰と言えるものでした。 そうして、久しぶりの自民党本格政権と言われた橋本政権(96〜98年)の時に、この総崩れとも言うべき転向が起きている。 とすると、ターニング・ポイントは村山政権の時に有った事が分かります。 外交・軍事面で言えば、95年2月の「ナイ・イニシャチブ」から始まった流れが「新ガイドライン」ー「安保再定義」へと繋がって行くように。 そうして、この動きは、細川前政権時の「多角的安保」や「国連待機軍構想」で示された方向へのアメリカ側からの巻き返しでした。 つまり、小沢氏を中心とする勢力が日米安保(=対日軍事支配)からの離脱を志向したことへの危機感から発し、再度、軍事・外交的に箍を締め直す=対日軍事支配の強化ーそれが「新ガイドライン」「安保再定義」であった、ということです。
そして、これが表の動きであったとするなら、裏の動き、それが「サリン事件」だったのではないか?
地下鉄テロは、当初の「霞ヶ関が狙われた」という見方から、やがて、単に、「捜査の撹乱を狙った」という焦点のボケたものになって行きましたが、その理由はお解かりでしょう。 一から十まで、全てオウムがやったとするならそのような図式にならざるを得ない。 その結果、内実が、木に竹を接ぐ様な、辻褄の合わない、メチャクチャなものになり、麻原彰晃の弁護人を務めた渡辺脩氏が慨嘆するデタラメな「オウム裁判」になって行ったのでした。
それでは「地下鉄テロ」とは何だったのか? ーそれは、この五つの路線が霞ヶ関で8時10分前後に交差する、というところに求められます。 しかも他の曜日とは異なる官公庁の登庁時間に合わせてることからして、官僚に向けられたものと考えていい。 そして、ダミー=オウムの使徒達が撒いた時間と被害者が出た時間帯に矛盾があるように、真犯人は周到にそれを避けている。 もしも使徒達の撒いたモノがホンモノだったら、撒かれた時間帯からして、被害者の多くが霞ヶ関から出たことが考えられるからです。 更に、最大の被害者を出したのが、当時防衛庁の在った六本木を通る日比谷線。 その上、実際に使われたのがサリンより遥かに劣るものとなるとー この辺りから、この「テロ」の無言のメッセージが見えて来ないでしょうか?
「我々は、その気になれば、いつでも、日本の国家の中枢を殲滅出来る!」
そしてその10日後、日本の治安への不安が擡げてきた時に、その治安のトップが標的になるテロ(国松警察庁長官暗殺未遂事件)が起きますが、これも又「地下鉄テロ」と同じく、ダミー(小杉巡査長)と真犯人という構図であったことが後にバレることになる。 また、何故、現場のトップである警視総監ではなく、事務方だったのか?から、「地下鉄ー」と同じ様なメッセージが覗えるのです。
「我々の標的は治安にではなく、あくまで国家ー官僚にある!」
更に、犯人が置いたものと思われる、北朝鮮軍のバッジと韓国硬貨ーそのまさに同じ日、「日朝の国交樹立」を目的とした、超党派の訪朝団(渡辺美智雄団長)がピョンヤンを訪問していることから、これまでの半島政策を変えようとすることへの脅し(!)でもあったことが見えて来ます。
こうして、95年3月の2つのテロは、日本の<国家意志>に向けられた(暴力を伴う)脅迫であった、と言えるのです。
戦争を、個人レベルでの暴力と同様、自らの意思を相手に強制することをその本領とするなら、正しくそれは戦争と言うべきでしょうが、しかしながら、一般には(当事者以外には)それが見えて来ない。 これは、無論、旧来の(見える形の)戦争概念では捉えられない、新しい形の「見えない戦争」とでも呼ぶべきで、かってボードリアールが『湾岸戦争』に関して論じた事と本質は同じ、徹頭徹尾<メディアの時代>になって、<見せる>ことが政治(の力学)そのものとなり、見せる・見せぬ(=可視化)が政治の最大の要諦となる時代の趨勢を示すものなのでしょう。 しかしながら、そこでは、見せることは隠すことー明らかにされたものは隠蔽されたものーという逆説も又成り立つ(尚且つ、見世物になるのは敗者であり、見せられるのは弱者、勝者は見せる側で、強者は常に不可視の側に居る)、<メディアの時代>においても又、権力の一般的な法則は貫かれてる、ということです。
ほぼ同じ時、「ナイ・イニシアチブ」として、表向き「日米のパートナー・シップ」を謳い上げながら、その実それが装いを替えた対日(軍事)支配のタガの締め直し、そして日本へ提案する一方、影ではかかる暴力的な脅迫!
ーまぁ、戦争は政治の別の手段とする古典的な定義が当て嵌まってるようにも思いますが、とはいえ、私は、ここで、このテロに米国政府が直接関係しているとは、無論、考えておりません。 当時のクリントン政権と軍部は疎遠だったことを思うと、特にね。
それに、米軍が直接手を下さなくとも、「松川事件」や「下山事件」同様、周辺がその意を汲んで暴走すれば、結果としては、同じことですからね。
日米関係は、或る面から言えば、かっての日本と満州の関係にソックリでして、在日米軍は、言わば海の関東軍と言える。 そして、関東軍の周辺に謀略・破壊活動を旨とする幾つもの組織が在った様に、在日米軍及びその周辺にも、キャノン機関やガーゲット機関の流れを汲む数々の組織・集団が、日本の独立後も姿・形を変えて生き残り、戦後の怪事件・謀略事件の背後で暗躍していたことは、ご存知の方も居るでしょう。 極めて興味深いことに、この新旧の関東軍の「特務機関」は、その多くが、人脈的にも重なり合っており、そのネットワークは旧満州=中国東北部から朝鮮半島=北朝鮮・韓国まで繋がっているんですね。
(その辺を勘案しておれば、「日本人拉致」の真相などというものも案外解り易いと、私などには思えるのですが)
更に、このダークな部分が自衛隊の一部及びその周辺と重なっていたことは、「三無事件」や「三島事件」でも窺えるところです。
そしてこの流れは、現在にも引き継がれていると見るべきでしょう。 だって、謀略・破壊活動の(実戦)訓練なんて、この部分じゃないと、現実には出来ないわけですから。
従って、真犯人或いは本当の実行犯は、海の関東軍と海の満州国軍の交わりの部分ー灰色のこの部分及び周辺辺りーということが必然的に導き出されるのです。
「地下鉄テロ」の余韻冷めやらぬ95年6月、その後首相になる橋本通産相が、会談に入る前の入り口の所で、USTR(米通商代表部)のミッキー・カンター代表が持っていた竹刀の先を、自分ののど元に押し当てるパフォーマンスを演じてみせました。
ニコリともせず、感情を押し殺したようにして自らの喉笛に押し付ける様子を見て、オウム事件を上記のように捉えていた私には、日本国民に向けて、日米関係の真実を、現在日本がどのような立場に置かれてるかを暗示した、ギリギリのパフォーマンスのように感じられたのですが、穿ち過ぎだったでしょうか?
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