★阿修羅♪ > 議論30 > 203.html ★阿修羅♪ |
|
新たなシステムのキーワードはノーブレス・オブリージュと儒教 http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/203.html
(回答先: 肝要なのはどの様にしてそこへ導くのかではなく、どこへ導くのか 理想を掲げることです 投稿者 有島実篤 日時 2010 年 4 月 23 日 10:34:58) 本能や欲望は遺伝子に組み込まれた生存本能に由来するものであり、社会システムの中で生存に一番有利な形態を選択する。資本主義社会ではそれは『お金』ということになる。 確かに相互扶助の形態を取ることはあるが、それが自分の生存本能の目的に適うかどうかがポイントになる。 民主主義が発達した理由も産業革命で資本を蓄えた市民が、それまでの既存勢力と闘うために一般市民を巻き込むために利用したという背景があったからではないのか。しかし、民主主義を獲得した後は富裕層がかつての貴族のように如何に自分の権益を守るかの観点から政治を動かし、システムを組み上げてきた。その結果が今のグローバル経済であり、新自由主義であったとおいらは考えている。 http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/201.html#c3 でも同様のコメントをしているので参考までに・・・。 さて、確かに、高い理想を掲げることは大切なことだとは思う、しかし、人間が生来備えている生存本能を奪うことはできないし、すべきではない。 そして、そこへどの様に導くのかが肝要なのは、それを実施する人間によって達成の可否が決まってしまうからだ。そのいい例が社会主義国家の崩壊であるからだ。 これも何度か取り上げているんだが、 自律者の徳目(仁義礼智信)と従属者の徳目(忠孝悌) これが儒教だとするならば、東アジアから新たなシステムの構築ができるのではないだろうかとも考えるのだがどうだろう。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
▲このページのTOPへ
★阿修羅♪ > 議論30掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。 すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。 |