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政治を良くする方法は各々のイデオロギーから脱皮することだ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/177.html
投稿者 のんぽり 日時 2010 年 2 月 23 日 15:47:01: 7p9CCripgLT3w
 

 おいらの共産党に関する知識は「日本共産党の研究」を読んだぐらいのもの。確かに、何とか査問事件やらスパイ事件やらいろいろ物議をかもしたこともある程度のことは承知している。
 しかし、敗戦直後の殺伐とした状況の中で起こったことをことさらに取り上げてねちねちやるのもどうなんだろう。
 自民党にだって、様々な不祥事で死者を出したり様々な問題があったやに記憶しているが。
 確かに民主党は殆どないと言えばないが、結党してからの年月が浅いからだと言えばそう言えなくもない。

 おいら、過去がどうたらを知ることは大切なことだと思う。しかし、何故大切なのかと言えば、それは現在との比較に必要だからということではないのか。
 過去の過ちを認めてどう変わったのかを見極めるために必要なので、旧悪をいつまでも政争の具にするためではないとおいらは考える。

 今回の政治と金の問題にしても、今どうなのか、これからどうするつもりなのかが大切なのであって、政治屋(いまの議員に政治家と呼ぶにふさわしい連中がいないと考えているので敢えてこう表現させてもらう)を失脚させるネタにしようなどという姑息な考えばかりだから、政局論争ばかりで政策論争に一向に転換せず、国民の政治離れを引き起こしている。

 一度どこかに線を引いて、やり直すしか方法はない。
 旧来型の政治屋には身を引いてもらう外ないのかもしれないが、かと言って新人ばかりで出来るものとも思えない。その辺のジレンマを抱えた状態が今のおいらである。

 一番いい方法は有権者が賢くなることだ。
 イデオロギー論争は政党のシンクタンクや政策担当者に任せて、有権者はそれを競わせ、選択する方法がベストではないだろうか。
 その有権者が、一方の尻馬に乗って、他方を攻撃するような状態では、如何にうまく扇動するかが全てということになる。
 それが、ナチスドイツの勃興を生み、日本を太平洋戦争へと駆り立て、米国を戦争中毒へと追いやり、陰で大儲けしている連中がいる。

 結局、金のある奴が情報を握り、政治を左右することができる背景には、こういった扇動に乗りやすい人が多過ぎることがあるのだと思う。
 本来、多数派を占めているはずの大衆がなぜ、自分たちの政権を作れないかと考えれば自明のことのように思う
 過去を学び、現状を正確に把握し、未来を描くためには、過去に学んで、今考え得る選べるベストの選択を自らの意思で選択することであり、その選択に責任を持ち、誤った時には速やかに変えていくということ、そして、その過程を出来るだけ正確に記録し、次世代に受け継いでいくことではないかと考える。  

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コメント
 
01. スットン教 2010年2月23日 17:30:06: CmuKS.2SNuq/E
 思ったのですが、マルクス主義を含めるところの近代思想一般に共通して言えるのは、死生観に欠けることではありませんかね。死生観というのは詰まるところ宗教的に行き着くわけでして、そもそも近代という時代は宗教的な封建世界からの解放として発展して来たのですから、これは避けがたい欠如であるとは思います。

 死生観に欠けると、私としてはどうも腰が定まらないように思うのですね。人類の一員としてのアジア人として、アジアの一員としての日本人として死ぬ、そういうことを自らについて落ち着いて考えられるようになること抜きには、アイデンティティの確立ということはあり得ないような気がするのです。アイデンティティの確立がなされないということは、現実の生の足取りもおぼつかないままであるということです。


02. 2010年2月23日 17:46:08
”百年河清を待つ”
アンタの言ってることを読んで、浮かんできたのはこの言葉。
詰まるところ、何も知らないんだね。

03. 2010年2月23日 17:47:54
スットン
「知らないんだね」と相手の無知を決め込んで、自分は何も語らない人なら山ほど見せられましたよ(笑

04. 2010年2月23日 17:53:41
>自分は何も語らない人なら山ほど見せられましたよ

そのうち語るぜよ(笑)


05. 2010年2月23日 17:56:18
上修正。
そのうち語るぜよ→再び語るぜよ

06. 2010年2月23日 17:57:43
スットン
では勉強して来て下さいね(笑

07. 2010年2月23日 18:08:06
> 勉強して

???? その必要はあまりないようだが(笑)


08. 2010年2月23日 18:14:33
>一番いい方法は有権者が賢くなることだ

オレはこういう発想について、言ったんだが。

しかもー
>おいらの共産党に関する知識は「日本共産党の研究」を読んだぐらいのもの。

程度で何か分かった積りになってもなあ、とね。


09. 2010年2月23日 18:31:45
ついでに付け加えておこう。
立花隆の「日本共産党の研究」は「田中角栄批判」でお先棒担いだ日共に呈して、体制側からのカウンターであったということ。

つまり、70年代半ば、田中角栄を切り、返す刀で(増長した)左翼を切るという体制戦略に従って、書かれたのがこの「日本共産党の研究」だったということ。
即ち、同時代にあった鬼頭判事補の謀略と同じものというわけ!


10. 2010年2月23日 18:33:12
>日共に呈して

>日共に対して


11. 2010年2月23日 20:03:10
スットン
 死生観は基本的に個人単位のものですが、イデオロギーは全体主義的ですね。戦前の唯物論思想家の戸坂潤の『日本イデオロギー論』を読んでも、「部分と全体では全体が良いに決まっている」というような言い方をしています。

 全体主義を否定することが必ずしも抽象的な個人主義を支持するとは限りません。個人主義か全体主義かの二律背反的な対立は米ソ冷戦の反映に過ぎないかも知れませんね。その冷戦終結から特に同時テロ以後は、統制的国家資本主義(国家全体主義)が一方的に強化されてしまいました。


12. のんぽり 2010年2月23日 23:11:43: 7p9CCripgLT3w
 スットン教さんへ

 死生観は大切であると思う。
 ただ、現代の宗教を考えると、日本人として共有できる死生観を作ることができるのだろうか。
 現在の宗教は壮麗にして華美、こけおどしでで人々を惑わしているに過ぎないのではないだろうか。
 天国と地獄を描きだして、死への恐怖を募らせ、救いの代償として金を巻き上げる。特に日本の仏教は葬式仏教と揶揄されるように、葬式だ、何回忌だ、何だかんだと理由をつけてはお金を巻き上げようとする。末寺は煩悩の限りを尽くし、本山では権力争いに明け暮れる。
 精神的なバックボーンであった儒教も忠孝悌と言ったたけ(tk)氏がいう従属者の徳目ばかりが強調され、自立者の徳目である仁義礼智信は人間の良く徳の前に潰えてしまったかの感がある。

 今、日本人に必要なのは今の宗教ではない、原点回帰の宗教ではないだろうか。
 それは、儒教でも、神道でも仏教でも構わない仁義礼智信は全ての宗教の根底にあるものだから・・・。


13. スットン教 2010年2月24日 00:37:37: CmuKS.2SNuq/E
いやいや、トピックえお占拠してしまったようで、どうにも申し訳ありません。いらぬ虫が沸いてついアタマに血が、、、

御説、ごもっともであります。私自身は葬式仏教の信者なのですが。


14. のんぽり 2010年2月24日 06:43:36: 7p9CCripgLT3w
 再度、スットン教さんへ。

 イデオロギーが全体主義的であるという部分、非常に共感しました。

 自由闊達な意見のぶつかり合いが、バランスのいい社会を作る礎になる。
 日本人は「男は黙ってサッポロビール(大分古いが)」などといって、議論することを嫌う。それが日本の民主主義が成熟しない元凶なのかもしれん。


15. 2010年2月24日 18:22:49
スットン
同時テロ以前は反イデオロギーということについては一貫していましたね。最近はそれが許されない雰囲気です。全体主義でなければ戦争を出来ませんからね。

16. 2010年2月24日 19:05:01
スットン教さんへ

貴方の「全体主義」への理解は のんぽり さんと同じものと考えていいのですか?


17. 2010年2月24日 19:21:38
スットン
「アメリカが反共資本主義の国だってのは単なる冷戦後遺症だ。

進歩と言ったら人類の進歩だ。自国の内側に閉じこもって考え
ても実にならない。ナショナリズムは進歩の敵だな。 」

最近、このようなことを言ったら、大手メディアがふと我に返って、それから顔を真っ赤にして打ち消しに来ましたね。実に分かりやすい奴らであります(笑


18. 2010年2月24日 20:33:57
スットン
自立心があると、謙虚であることと卑屈ではないことは矛盾しないんですがね。自立心ということを考えると、やはり問題は>>1辺りに戻るでしょうか。

故・家永三郎氏の旧版『太平洋戦争』の後書きにあった文章を、バカの一つ覚えみたいに貼らせて頂きます。

「国の古を慕い、その栄光を楽しみ、もしくは国家の屈辱を悲しむのみならず、よく自国の罪過を感覚し、その逃避せる責任を記憶し、その蹂躙せる人道を反省するは、愛国心の至れるものにあらずや。(中略)我が国の愛国心なるもの、(中略)滔々たる天下歴史に心酔するにあらざれば、悲歌慷慨、外に対して意地を張らんとするに過ぎざるなり。自ら国家の良心をもって任じ、国民の罪に泣くものはほとんどまれなり。甚だしきはこの種類の愛国心を抱くものを非難するに国賊の名をもってす。良心を痴鈍ならしむるの愛国心は亡国の心なり。これがために国を誤りしもの、古今その例少なからず。」

(植村正久「三種の愛国心」『福音新報』明治二九年六月二六日号、『植村正久著作集』1所載による)


19. 2010年2月24日 21:05:37
数々の疑問が湧いて来てるのですが、まぁこれは、別の機会に、改めて論じることにしておきましょう。 (これから出掛けますんで)

>やはり問題は>>1辺りに戻るでしょうか。

近代、或いは国家と宗教の問題を考えると、例の「大審問官」(カラマーゾフの兄弟)の話になりますですね。 


20. 2010年2月24日 21:41:00
スットン
西洋近代の発展は、ローマ・カトリックによるキリスト教の体制宗教化と関係が深いでしょうね。

ドストエフスキーが大審問官のテーマを持ち出したのは、カトリックがダーウィン学説で権威を落としてしまって、プロテスタントとの差別化を図るために法王無謬説を打ち出した時代です。

近代以前の日本における政治権力と宗教の関係とは、やや違った世界だと思います。


21. 2010年2月25日 19:31:43
>西洋近代の発展は、ローマ・カトリックによるキリスト教の体制宗教化と関係が深いでしょうね

その説は初めてですね。 まさにビックリ!

オーソドックスな理解は、例えばM.ウェーバーの言うように、プロテスタンティズムの方とじゃないかな?

しかも、ローマ・カトリックは「体制宗教」としてずっと支配して来たはずですが、、

「大審問官スターリン」という亀山郁夫氏の著作も有りますが、大審問官とキリストの関係は国家と宗教の関係で理解すべきじゃないかな?

近代国家は宗教を排した世俗国家となっていますが、それ故にというか、国家が擬似宗教的役割も持ってしまってるということでしょう。
だから、宗教がライバルになるのですね。
この点が解れば、中国のダライ=ラマへの態度も理解出来るはずですよ。
或いは戦前の日本での「大本教弾圧」なんかも。


22. 2010年2月26日 18:11:25
スットン
 プロテスタンティズムはカトリックに対するプロテスタントですからね。進歩思想(啓蒙思想)は、どちらかというとプロテスタンティズムとは対立ではなく平行関係でしょう? ローマ帝国がキリスト教化したのが、四世紀でしたっけ。ギリシャの天体崇拝とか、古代オリンピックなども、禁止されてしまったのですよね。

 大審問官については、どれが正解ということはないでしょう? 私はいつもの癖で同時代的な関係を調べていて、気づいたのですが。ドストエフスキーの著作は、その経歴の比較的初期からダーウィン学説による世界観の変化と非常に関わりが深いものですね(ニヒリズム世代というのはダーウィン学説による世界観の激変の影響で登場したのしょう)。

 そうやって考えて見ると、ダーウィン学説による新しい世界について懐疑的だったドストエフスキーの描くキリストの大審問官に対する態度は、私としては理解しやすいですね。


23. 2010年2月26日 18:24:07
スットン
 ドストエフスキーはナロードニキと呼ばれる人民革命主義者としてサークル活動をやっていて検挙され、流刑体験をしました。このナロードニキというのは、ナポレオン革命の煽りで生じた運動で、発端に、カラコーゾフという絞首刑にあった暗殺未遂犯人がいます。『カラマーゾフの兄弟』はもともとの原案は『偉大なる罪人の生涯』という題材で、カラコーゾフがモデルだったのだと私は思います。やや遅れて、ダーウィン後の世界観に伴う新しいタイプの革命運動家が登場します。これが『悪霊』の主人公たちです。この二つの作品は、同時進行的にプロットが練られていたようですね。

24. 2010年2月26日 18:51:41
スットン
 ダーウィン学説がヨーロッパ、ひいては人類全体に及ぼした影響を客観的に考察するには、宗教、思想、哲学、科学論などについての広い理解が必要で、全く未開拓の分野と言って過言ではありません。我々は19世紀以後、合理主義の世界にならされ過ぎてしまっていると言えるでしょう。私などは文字通りカマリキの斧で人類史と一人で戦っているような状態ですね。

そういえば、「人類」という言葉も、ダーウィン後の世界の生物学主義的なイメージが強いですね。


25. 2010年2月27日 18:48:25
スットン教さん

>プロテスタンティズムはカトリックに対するプロテスタントですからね。

普遍(カトリック)に対する抵抗(プロテスタント)ですね。 では何故、恰も体制に対する反体制のように、抵抗運動が起きて来たと想われますか? 貴方が「西洋近代の発展は、ローマ・カトリックによるキリスト教の体制宗教化」というトンデモ説を言っておるので驚いて、「プロテスタンティズムが資本主義を発展させた」というM.ウェーバーの説も有るのだから、キリスト教をいうのならプロテスタンティズムでは?と言ったのですよ。

それを貴方は次の様に言う。


>進歩思想(啓蒙思想)は、どちらかというとプロテスタンティズムとは対立ではなく 


何だか、文脈を無視して、言葉だけに反応しているようです。
次もそう。


>大審問官については、どれが正解ということはないでしょう? 
>ドストエフスキーの描くキリストの大審問官に対する態度は、私としては理解しやすいですね。

少なくとも私は、国家と宗教との観点から「大審問官」の問題を出したのであり、当然ながら、それはキリストに対する大審問官の態度でなければならないはずですが。

>カラコーゾフがモデルだったのだと私は思います。

三島由紀夫の「金閣寺」と同じ様に、モデル問題に比重を置いて考えるべきではないですね。 重要な事は、作者がそれに何を表現しようとしたのか?ということ。
「罪と罰」にせよ「悪霊」にせよ、人が神(の立場)になって、丸で神である如く振舞おうとする時何が起こるか?ということじゃないかな?

そしてこれはね。 中世までの神中心主義から人間中心主義になった西欧近代に倣おうとする時、露西亜に何が現れてくるのか?ということで、似たような立場に在った日本にとっても決して他人事ではなかった訳で、それが日本の近代文学に他の西欧文学よりも深い影響を与えた原因だろうと思いますよ。


>ダーウィン学説がヨーロッパ、ひいては人類全体に及ぼした影響を客観的に考察するには、宗教、思想、哲学、科学論などにつ
>いての広い理解が必要で、全く未開拓の分野と言って過言ではありません。


貴方がどういう意味仰ってるのかがイマイチ分からないので言わせてもらいますが、「神中心主義」から「人間中心主義」への転換ーその生物への適用が「神が創った生物」から「生物が進化したその先頭に居るのが人間」という生物学=進化論でしょう。
「全く未開拓の分野」だなんて、そんな大袈裟な、、それは不勉強というものです。


より根本的な視点を提示すれば、宗教改革とルネッサンス、この二つがヨーロッパの歴史においてどのような意味を持つのか?ということです。  それが分からなければ、こういった事や私がこれまで述べた事は解らないかも知れませんね。


26. 2010年2月27日 19:09:10
スットン
>。ヨ神中心主義」から「人間中心主義」

 人間って何なのでしょうかね。「人間とは何か」という問いによって、我々は「人間はどう生きるべきか」を問うているのだと思います。

 進化論が実は疑似科学であるというのは、ごく一部の人しか理解してませんよね。しかも、それを歴史、なかんづく思想史的な広い視点で考察した成果のようなものをご存じでしたらお教え頂きたいですね。


27. 2010年2月27日 19:45:34
スットン
>重要な事は、作者がそれに何を表現しようとしたのか?ということ。

 モデル問題ですが、『カラマーゾフ』には描かれなかった続編があることは周知の問題でして、小説の前口上で作者が主人公のアリョーシャを「奇人とも呼べる変わり者の活動家」としたり、小説のエピグラフに「もし、一粒の麦落ちて死なずば・・・」という福音書の言葉の採用されている理由も、歴史を知らないとピンと来ないところはあると思います。


28. 2010年2月27日 22:23:12
スットンさん

>思想史的な広い視点で考察した成果

科学史家的なものじゃないんでしょ? 

進化論についてですが、何か発想が逆立ちしているようで、、

「神が創った」というキリスト教の教義の根幹に抵触するから彼らヨーロッパの人間にとっては甚大な影響を与えたとは言えても、他(異教徒)には、単に西欧近代科学の一つに過ぎないでしょ。 つまり、これは西欧近代科学が与えた影響の一環として、本来見られるべきのものであって、「進化論」だけ取り出すというのはどうも、、意味無いんじゃないかな。 丁度、現代の金融工学もスミスの経済学にその基本を依拠しているように、現代の遺伝子工学もダーウィンの進化論生物学にその基本を依拠してる、それだけに過ぎないと思えますね。

>。リカラマーゾフ』には描かれなかった続編があることは周知の問題でして

「アリョーシャが革命家になる」(江川卓)とか「皇帝暗殺」(亀山郁夫)とかいうやつでしょ?
私は、その事を含めて言っておるのですが、、、

>人間って何なのでしょうかね。

ここでいう「人間中心主義」とは僕らが普通に考える人間ではないのですよ。
西欧近代に現れた特殊な<人間観>であり、それが西欧人以外を差別する根拠となるものなのです。


29. 2010年2月28日 09:38:58
スットン
 科学史ももちろん重要でしょう。なかんづく生命論的な観点から、ダーウィン学説にはそもそも、生命とは何かを説明する資格がない点など。この点に関して言えば、セム系一神教のみならず、アジア人の我々にとってもいわゆる進化論的世界観の考察は重要な問題になるでしょう?

 ドストエフスキーについても、そもそもの話は、ダーウィン学説の流布によって始まった科学的世界観とドストエフスキーとの関係性が発端でしたね。

 我々の「普通に考える人間」とは?


30. 2010年2月28日 09:42:44
スットン
 ああ、例えば在日の方々は人間扱いされないとか、そういうことですか?

31. 2010年2月28日 11:14:14
スットン
 第一次大戦後のロスト・ジェネレーションの時代に流行った形而上学批判は、イデオロギー批判と同質のものだと思いますね。時代が下ると、みんな、そういう記憶をなくしてしまうのです。

 イデオロギーという言葉は人工物的なニュアンスが強いです。人間中心主義批判の意味もあるでしょうか。神中心か人間中心かの二律背反だけで考えるのは粗雑な議論だと思います。ヨーロッパ辺りではカトリック・キリスト教=保守みたいな側面が強いですから、皆さん、ムキになって人間中心主義を主張したがるんでしょう。日本で「天皇中心か人間中心か」みたいな議論にはなかなかなりませんね。


32. 2010年2月28日 22:17:47
スットンさん

>ドストエフスキーについても、そもそもの話は、ダーウィン学説の流布によって始まった科学的世界観とドストエフスキーとの関係性が発端でしたね。


それは貴方の切り口でしょ。  「科学的世界観」とは神を放逐した世界と見なし、そのような世界になって行こうとしている露西亜に起こるのは何か?が作家ドストエフスキーの最大の関心事であって、単なる科学批判とは眼目が違う、位相が違うということです。


>我々の「普通に考える人間」とは?例えば在日の方々は人間扱いされないとか


「人間らしい」といった時、思い浮かぶ人間像ですね。
近代的人間観とは、例えばアメリカ「権利章典」から、ジェファーソンが黒人とインディアンを対象外としたのはその「人間観」から外れていたからですね。 或いは第二次大戦中の米英で交わされた「核は日本に使う」としたハイドパーク秘密協定も同じ理由。 勿論、今現在、イラクやアフガンで盛大に現地の人々を殺し捲くってるのも同じ。



>神中心か人間中心かの二律背反だけで考えるのは粗雑な議論だと思います。

「粗雑な議論」(笑)  ヨーロッパの思想文脈ではそうなる、ということです。


>日本で「天皇中心か人間中心か」みたいな議論にはなかなかなりませんね。


当然でしょう。 思想文脈が違うのですから。  

逆に言えば、彼我の思想的差異という思考の根幹まで遡って捉えてないから、彼らの大事は我らの大事みたいな発言「 我々にとってもいわゆる進化論的世界観の考察は重要な問題になる」になるんじゃないかな。

例えばニュートン力学だって、キリスト教やヨーロッパ、更には近代科学、それを通して近代文明に与えた影響はダーウィン進化

論に負けず劣らずでしょ? こういった事は、私には問題は同じ、その本質は同じと思えますね。

じゃあ、まぁコトのついでにお伺いしますが、この間の生命工学或いは遺伝子技術の進展乃至展開は「進化論的世界観」の発展を意味しますか?それともその終焉でしょうか? ーどのように考えますかな?


33. のんぽり 2010年2月28日 23:52:49: 7p9CCripgLT3w
>>32
>「人間らしい」といった時、思い浮かぶ人間像ですね。
近代的人間観とは、例えばアメリカ「権利章典」から、ジェファーソンが黒人とインディアンを対象外としたのはその「人間観」から外れていたからですね。 或いは第二次大戦中の米英で交わされた「核は日本に使う」としたハイドパーク秘密協定も同じ理由。 勿論、今現在、イラクやアフガンで盛大に現地の人々を殺し捲くってるのも同じ。

 これにはおいらも同じ印象を受けている。

 ところで、スットン教さんともう一人の議論をしている人に願いたいのだが、もう一度お互いに論点を再整理してみたらどうだろうか。なんとなく議論が発散している感じがしているんだが。

 ドストエフスキーを論じることで何が言いたかったのか?
 何のためのカトリックとプロテスタント比較なのか?
 キリスト教世界観は進化論以降どの様に変化したのか?
 ・・・

 いずれも大きなテーマでパラレルに議論できるようなものでもないだろうし、一寸した言葉の齟齬が誤解を増幅しているようにも感じられるのだが・・・。
 おいらは何度も言っているように思想(史)には(もか?)弱いもんで、筋違いのことを言っているのかもしれんが。
 


34. 2010年3月01日 08:59:51
スットン
 大審問官について、どう解釈するかですよね。ポストモダン風にテクストの書かれた時代、社会背景を完全に排除してテクストのみからその意味をくみ出すのが正しいのか、それとも、アクティブな社会状況の中で実践として創作を行ったドストエフスキーを評価すべきなのかということです。

 ドストエフスキーの同時代のロシアには常識だったことも、我々には理解出来ないことは多いでしょう。ドストエフスキーは文壇の大物で、皇太子とも親交があった。この時代にドストエフスキーが『悪霊』や『カラマーゾフ』を書いたことが、彼の時代、社会においていかなる意味を持ち得たかといういのは私は非常に興味深いテーマだと思います。

 革命派が初の皇帝暗殺に成功したのは、ドストエフスキーが『カラマーゾフ』を上梓して間もなく没した、その一月後のことなのです。


35. 2010年3月01日 11:39:32
スットン
>>32
>当然でしょう。 思想文脈が違うのですから。

ドストエフスキーの小説の思想文脈も同じ事になってしまいますよ? 進化論論争について、我々がそれを他人事として一神教を卑下したような、ある種の優越感を伴った哀れみをもって野次馬的に論評するのはネットでよく見る景色です。それは野次馬だから許されることであって、実際に議論に参加すると、すぐ我々の足下を刺されると思いますけれど。


36. 2010年3月01日 22:47:45
>>33. のんぽりさん

>なんとなく議論が発散している感じがしているんだが。

私は一貫しておりますよ。(笑)
スットンさんの方が論点移動して、ひけらかし的(?)に、イロイロ論じておられるから、(論点自体は出来るだけ曲げずに)苦笑気味に応じているだけです。

>ドストエフスキーを論じることで何が言いたかったのか?

「近代という時代は宗教的な封建世界からの解放として発展して来た」と、スットンさんがそれ自体は重要な点を指摘していたので、それを受けて「大審問官」の問題を提起してみたのです。 「宗教的な封建世界からの解放」即ち「神中心」から「人間中心」になっていく、その中に大審問官を置いてみれば国家と宗教の関係が分かる、この際だから更に分かり易く言えば、イデオロギーと宗教の関係が解る、と。 詰まり、神を追放した世界においては、国家或いはイデオロギーが宗教の(代わりの)機能を持つ、ということです。

>何のためのカトリックとプロテスタント比較なのか?

プロテスタントとは信仰の世俗化ということですね。 詰まりは生活世界からの神の追放。 (キリスト教)神の追放、それは宗教改革とルネッサンスによって始まったのです。
 

>キリスト教世界観は進化論以降どの様に変化したのか?

予め断っておきますが、これは特に「進化論以降」という訳ではありませんよ。
私は、スットン教さんのように、「進化論云々」には左程興味は無い。
一つだけ言えば、ヨーロッパにおいては、教会に行く等、宗教を身近に感じて生活している人は一割そこそこだとか。 当のヨーロッパにおいて、世俗化はここまで進行しているわけです。


37. 2010年3月01日 22:51:05
スットンさん

>大審問官について、どう解釈するかですよね。

貴方はどう解釈してるの? 殊にキリストへ大審問官の態度に、何を見るわけ?
ハッキりしてなかったら、余計なコトまで書いて誤魔化さない方がいいのでは?


>ドストエフスキーの小説の思想文脈も同じ事になってしまいますよ? 

当然、だから日本の近代文学にも甚大な影響を与えたわけでしょ。
敢えて分かり易いように図式化すれば、西欧ー神人分離、露西亜ー人が神に成ろうとした(大審問官=スターリン)、人=神である(現人神=天皇)


>それは野次馬だから許されること

分からない人ですね。 野次馬だから、この程度で済ませてるのですよ。


>実際に議論に参加すると、すぐ我々の足下を刺されると思いますけれど

意味の無い発言です。 


38. 2010年3月02日 09:58:39
スットン
>>37
>貴方はどう解釈してるの?

 キリストは、自分の偽物が現れたのでやめさせましたと弟子に言われると、「止めさせないが良い。私の名を騙ったすぐ後で私を悪く言うことは出来ない」と言いましたね?

>分からない人ですね。 野次馬だから、この程度で済ませてるのですよ。

ついに汚れた権威をかさに来て恫喝を開始しましたな!


39. 2010年3月02日 11:39:13
スットン
 大審問官=スターリンってのは、最近の反共ファッショ政治の流行らしいですね。けれど、大審問官は何を差し置いてもキリスト教信仰の問題であって、まっさきに共産主義の問題を持ち出すのはどうかと思いますよ?

40. 2010年3月02日 21:01:31
スットンさん

>>39.が答えなら、或いは答えになると思ってるのなら、これ以上はもうムリのようですね。 今回で終りましょう。 特に以下の様に、想ってもみなかった反応をされるとなると、ね。

「汚れた権威」??? 「恫喝」???

>大審問官は何を差し置いてもキリスト教信仰の問題であって、

(笑)もしそうだとしたら、「政治と文学」を主要なテーマとした日本の戦後文学において、度々論題になることなど無かったでしょう。


「最近の反共ファッショ政治」  「共産主義の問題」

上記の様な発言をされたので、この際だから、最後に質問をしてみたい。

スットン教さんにとって、「ソ連邦崩壊」とか「冷戦の終焉」とは、「共産主義イデオロギーの破産」ではなかったとしたら、何だったのですか?

そして、もう一つ、ひょっとしたら、スットンさんは共産党シンパ?


41. 2010年3月02日 21:13:34
40.です。

訂正 >>39.→>>38.>>39.


42. 2010年3月03日 07:14:07
スットン
>>40
「赤いキリスト」と呼んで下さって良いですよ?

 そもそものお題は「イデオロギー」でしたね。日本で一番強いイデオロギーは「日本民族主義」ですかね。この「日本民族」ですが、強調され始めたのは、第一次大戦後ではないかと思います。開国近代化は脱亜入欧で、日本人は自称西洋人でしたからね。第一次大戦で西洋中心の進歩史観が迷走を始めて、日本がにわかアジア主義である大東亜共栄圏を唱え始めた頃からのことと思います。

 18世紀後半にアメリカの独立と間もなくフランス革命、それに続くナポレオン戦争の煽りで、世界の植民地で独立蜂起が増加し始めたようですが、この時代には今みたいな感覚の民族主義というものはまだなかったと考えることも出来るでしょう。我々のいう民族主義とは、歴史的なものであるよりもむしろ、進化論的、生物学的な世界観の上に抽象的歴史性を上乗せしたものではないかと思います。これは近代イスラエル建国運動、つまりシオニズムなどについても言えることだと思います。


43. 2010年3月03日 09:13:04
スットン

イズムの功過
夏目漱石
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2314_13564.html

 これなどは皇国主義、あるいはイデオロギーとしての歴史主義批判に読めますね。明治43年(西暦1910年)と言ったら第一次世界大戦勃発ですが。


44. 2010年3月03日 09:21:03
スットン
失敬、第一次世界大戦勃発直前でした。

「・・・人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直(ただち)に与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、形骸(けいがい)のために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に遵(したが)って、自己に真実なる輪廓を、自(みずか)らと自らに付与し得ざる屈辱を憤(いきどお)る事さえある。
 精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過(ざいか)と見る。」

丁度、空にハレー彗星がかかっていていた時期ですね。


45. 2010年3月04日 22:05:31
スットン教さん、そしてのんぽりさん


>。ヨ赤いキリスト」

そうですか。(笑) まあ、貴方にせよのんぽりさんにせよ、イデオロギー音痴だったということでお開きにしましょう。
私は、無手勝流に喋っているように見えて、これでも一応は、日本や世界での思想及びその文脈を踏まえた上で喋っているんですね。
だから、貴方(達)からみれば「高み」からの物言いに見えたかも知れませんが、それなりに(議論の)経緯を押さえて話しているのです。 
最近とみに、議論の際に、自明の前提といったものが失われていて、一々共通の理解を探らなければならないので厄介なんだけど、その多くが独り善がりとか不勉強の類いであることも又紛れもない事のようで、、、

例えば、「イデオロギー」の辞書的な定義「歴史的、社会的立場に制約された考え方」というのをのんぽりさんのように「解釈」するのは幾らなんでも拡大解釈のし過ぎというもので、通常これは、「その社会(時代)の支配的思想は支配者の思想」とか「存在が意識を決定する」というような、マルクス主義の公理系に属する考え方と言うべきでしょう。
 前者からは「プロレタリアートの日常意識(即時的意識)はブルジョワ・イデオロギーに汚染されたままなのだから、プロレタリアートとしての(向自的)意識の(階級)形成に向けて、イデオロギーの外部注入を行うと共に、プロレタリア革命を目的意識的に目指す前衛としての共産党の役割」というレーニン主義が導き出されるわけです。


46. 2010年3月04日 22:08:44
スットン教さん

また貴方のいう「西洋近代の発展は、ローマ・カトリックによるキリスト教の体制宗教化と関係が深い」という驚天動地=トンデモ説も、貴方の言うことを聞いてみると、どうやら「ヨーロッパの文明的発展」ということを言いたかったらしい。 

確かにこれ自体は間違いではないでしょうが、しかしながらそれが「西洋近代の発展」となると、明らかに間違いです。 第一、貴方の歴史観(?)からは、「ルネッサンス」も「宗教改革」も、何故起きたのか?ヨーロッパの歴史において、それはどういう意味を持つのか?ということが説明出来ないでしょ? 「西欧近代」と「ルネッサンス」と「宗教改革」、これらは三大噺的にイロイロ論じられておるので、最低それを踏まえて「西欧近代」を話さないと、偽物紛い物以前に、お話にならないと看做されますよ。


47. 2010年3月04日 22:11:44
スットン教さん

更に「日本で一番強いイデオロギーは「日本民族主義」」にしても、恐らくは丸山真男が言った「超国家主義(ウルトラナショナリズム)」の事を指すのだと思われますが、敢えて限定すれば、それは30年代、昭和初期から敗戦までの僅かであって、現在のテーマには成り得ません。

確かに民族主義とかナショナリズムは、第一次大戦後植民地諸国において顕著になりますが、それには理由が在ります。 「民族自決」(ウィルソン主義)「民族解放」(レーニン主義)という、左右或いは東西からインターナショナリズムの大波が起こり、それが西欧列強の植民地体制を痛撃したからです。

 勿論、これは、その体制を抉じ開けると共に、それを自らの方に囲い込むことを狙ったものであることは言うまでもない。 アジアやアフリカに起こったそうした民族主義やナショナリズムとゴチャ混ぜにしてるから分かり難いけど、貴方のいう「我々のいう民族主義」とは、そういったインターナショナリズムに挟まれた旧列強、殊により弱い立場のドイツや日本において現れてきたウルトラ化したナショナリズム、分けてもドイツの「進化論的、生物学的な世界観」、即ち優生学に強く彩られた民族主義を言ってるのでしょう? しかしながら、シオニズムが「進化論的、生物学的な世界観の上に抽象的歴史性を上乗せしたもの」と言えるのかどうか? だって、ユダヤ民族とは、「人種概念」ではなく、「宗教概念」でしょう。 また「選民思想」がそうだと言っても、これは2000年以上前から在るわけで、それを「進化論的、生物学的」とは言わないでしょう。

漱石については牽強付会と申し上げておきましょう。

 
これが最後と言ったから必要最小限に止めましたが、それ以外も、貴方の歴史観はメチャクチャ!恣意的で、とても体系的に理解されてるとは思われない。


48. 2010年3月04日 22:19:55
>>45.

またまたチョッピリ訂正。

即時的意識→即自的意識


49. のんぽり 2010年3月05日 02:22:32: 7p9CCripgLT3w
 だから、おいらは最初から思想史や哲学について語っているつもりはないって。カラマーゾフも読んでないし。

 おいらの言いたいことは、それぞれが、それぞれの属している組織に拘束された考え方をして、誹謗中傷してるばかりでは問題の解決にはならない、そんなことは専門家に任せて、われわれはその時々で最良と思われる政策を選択して行けばいいということを主張しているだけだろう。

 (向自的)意識とか即自的意識とか言われてもねぇ。こんな言葉にお目にかかったこともないんで。イデオロギー音痴と言われればその通りだが、最初から、辞書にある捉え方をすれば、云々という議論をしているわけだから、その意を汲んだコメントが欲しかったというところかな。

 哲学論争や思想史、文化史論争は最初からおいらの能力外だから、分かりやすく、発散しない議論をして欲しいという風に希望しただけのこと。
 まあ、不特定多数の人間が読んでいることを前提に書き込んでいるのか、スットン教さんを相手に論争していたのかこちらは知る由もないのでね。

 ところで、『>。ヨ』というのはどういう意味があるのかな。どこかで見たような気もするんだが・・・。


50. 2010年3月05日 21:43:11
のんぽりさん

仕方ない、補足します。

>。リ>。ヨ』というのはどういう意味があるのかな

これは、単なる、文字化けですね。


>辞書にある捉え方をすれば、云々という議論をしているわけだから、その意を汲んだコメントが欲しかった


そもそも、「辞書にある捉え方」は貴方のような解釈ではないことは分ったえでしょ?

もし「それぞれが、それぞれの属している組織に拘束された考え方」ということを言いたいのであれば、「偏見」とか「仲間内の言葉」或いは精々「党派的な物言い」程度にしておくべきであって、「イデオロギー」という言葉を使った事自体が不適切である、ということですね。

それより何より、「それぞれが、それぞれの属している組織に拘束された考え方をして」と貴方は言うけど、私にはそのようには全然見えませんが。
第一この掲示板に、「組織」に属してる人がどれだけ居るのか? 無論ゼロではないでしょうが、殆ど無視して良いようなレベルだと思いますね。


51. 2010年3月06日 09:40:45
スットン
>>45-47
貴兄の諸々の意見はともかく、私の関心と貴兄の教科書知識の垂れ流しがかみ合わない点については、私は貴兄に同意しますよ?

52. のんぽり 2010年3月06日 10:03:02: 7p9CCripgLT3w
 なんか、おいらの意図しているところとすれ違いがあるように思えるんで、これ以上の議論は意味がないだろうが、最後に一言。

 再三再四書いてきたが、イデオロギーの辞書的な意味は以下の通り。

出典:大辞泉 
イデオロギー
1 政治・道徳・宗教・哲学・芸術などにおける、歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態。
2 一般に、思想傾向。特に、政治・社会思想。

 で、おいらは『歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態』という部分に注目したわけ。
 確かに、『「偏見」とか「仲間内の言葉」或いは精々「党派的な物言い」』はその通りだが、おいらが敢えてイデオロギーという言葉に拘った理由はどこかにも書いたと思うんだが、ネット右翼連中?が社会党や共産党を指してイデオロギー政党とか、イデオロギーに束縛されたとかいった印象操作目的で使用される例が多く見られ、現在も結構色々なところで見受けられたから、まぁ、『歴史的、社会的立場に制約された考え方。観念形態』という視点から見ればあんた方も十分イデオロギーに縛られてますよと言いたいがため。

 それからおいらが言う組織とは別に民主党員、何とか団体構成員とかいうかっちりしたものばかりではなく、なんとか信者や支持者といったもの例えばネット右翼とか地縁・血縁に縛られたものとか言った人も包含している。
 そういう意味ではおいらも何らかのイデオロギーに束縛されているということになる。
 そういう、束縛された考え方ばかりでものを見ていると見えない部分が出来てくる。それを避けるために、難しいかもしれないが束縛しているものを偶にははずしてものを見ようよと言っている。

 ムラ社会という言葉も同じ。狭い世界の中でものを見ていては問題の解決には結びつかないと考えている。

 『辞書にある捉え方をすれば、云々という議論をしているわけだから、その意を汲んだコメントが欲しかった』と書いたのはそういうこと。

 スットン教さんとの議論もちんぷんかんぷんながらも、感じたことは、言葉の定義からしてすれ違っているのではということ。どんな議論でも微に入り細にいれば定義自体に齟齬が生じるもの。どんな偉い学者さんだろうがそれはある。
 君がどの程度の専門家かは知らないが、そもそも、雑多なレベルの人間が集って議論しているということを念頭に議論して欲しいものだ。

 


53. 2010年3月06日 11:14:34
スットン
 私はアカデミズムには本当は興味ないんですよね。この時代、社会の権威ある知識体系の構造を私の視点で分析したいだけで。漱石の「近代自我の問題」みたいな話です。

54. 2010年3月06日 15:18:08
スットン
 考えてみると、アマチュアは生意気言うな、勝手に物事を考えるなってのは、正に大審問官そのものの態度でありますな。

55. 2010年3月09日 21:08:26
>50

こんにちは。

>もし「それぞれが、それぞれの属している組織に拘束された考え方」ということを言いたいのであれば、「偏見」とか「仲間内の言葉」或いは精々「党派的な物言い」程度にしておくべきであって、「イデオロギー」という言葉を使った事自体が不適切である、ということですね。

>それより何より、「それぞれが、それぞれの属している組織に拘束された考え方をして」と貴方は言うけど、私にはそのようには全然見えませんが。
第一この掲示板に、「組織」に属してる人がどれだけ居るのか? 無論ゼロではないでしょうが、殆ど無視して良いようなレベルだと思いますね。

同意します。スレ主の論理の欠損部分を補足説明しても、想像力の欠如のために都合よく解釈なされますから、相手になさっても時間の無駄ではないと存じます。

また、自身では「学が足りない」などと、反論に対する予防線を張り巡らしている始末でございますから、最初から議論することを放棄しているのでございますよ。
貴方の反論をまともに聞いておらず、自身の語録に酔っているだけの人間を相手にして得るものはないかと存じます。


56. 2010年3月10日 16:39:32
スットン

>また、自身では「学が足りない」などと、反論に対する予防線を張り巡らしている始末でございますから、

最初から、かれこれの学説がとかアタマごなしにやりこめようとする奴にも議論の資格はないでしょうけどね。


57. のんぽり 2010年3月10日 19:23:32: 7p9CCripgLT3w
>>55

 おいら学が足りないとは言っていないぞぉ〜。
 能力外とはいったが・・・。

 一応大学は出てるが、理系なんでねぇ。ペダンティックな議論は遠慮したいって言っただけなんだが。
 普通、相手に分かって欲しい場合、君ならどんな風に話を進めるのかね。おいらなら、先ず、相手に理解してもらうためにできるだけ分かりやすいように話を進めるんだが・・・。

 それとも、君はすべての分野に通暁してるとでもいうのかな。


58. 2010年3月10日 22:03:51
55.さん

50です。
そうですね。 宗教とか戸坂潤の事を言っていたから、当初は何か面白い考えを持つ人なのかな?と想ってチョッカイ出したのでしたが。

スットンさん

貴方が「西欧近代」と「ルネッサンス」や「宗教改革」をキチンと関係付けて説明なされたら、それが出来ていたら、成る程そんな考えも有りか(?)で終わったことでしょうね。


59. 2010年3月11日 14:04:15
スットン
 ルネッサンスは、十字軍の影響はありませんかね? 十字軍でイスラム圏より哲学や科学が流入したり、戦争はカネがいりますから経済構造の変化をももたらすでしょう。宗教改革も、概ねイベリア十字軍(レコンキスタ)の終わり頃で、地中海の出口が確保されて大航海時代が始まる頃です。西洋人は余り十字軍でのイスラムの影響は言いたがりませんね。

60. 2010年3月11日 14:53:38
スットン
 西洋近代はつまりアリストテレスのイスラムからの輸入と関係があると思うのですが、ここからキリスト教信仰とアリストテレス哲学を基盤にした理性との対立が生じて来るのですね。ローマカトリックは四世紀のローマ帝国の国教化以来、政治権力と一体化してしまいましたので、この対立は政治的なものにもなってしまうのです。

>>58
 私は学識豊かで礼儀正しい紳士である貴兄とは違いますので何でも知っているような顔をするつもりはないのですが、そもそもは大審問官を持ち出したドストエフスキーと、当時、流布しつつあったダーウィン学説を基盤にした新しい科学的な世界観との関係を私は言いたかったでした。ドストエフスキーの時代には、スターリンはまだこの世にはいませんでしたからね。


61. 2010年3月11日 23:49:39
スットンさん

ムリすることないですよ。(笑)  西欧近代、或いはヨーロッパの歴史においてでもいいですが、ルネッサンスや宗教改革の意味又は関係について、整合性のある論理なり説明が出来たたらまた議論することにしましょう。

私は衒学趣味は無いし、知識をひけらかす為に言っているのではないのですよ。
宗教とか死生観、或いは全体主義について貴方が触れてたから、この問題をどのように見るのか?ということで、提起してみたのです。 

思想にもコンテキストがありますから、どのような文脈から捉えているのか、興味があったものでね。 更に付け加えれば、この問題は、本当は、現代(史)理解の根幹に関わって来る問題(アメリカとは何なのか?ユダヤ人問題とは何か?ーそしてその裏腹の、80年代以降、何故イスラムが主要な役柄(悪役!)となったのか?)が含まれておりますので、徒や疎かには出来なかったわけです。


>ドストエフスキーの時代には、スターリンはまだこの世にはいませんでしたからね。

これも又、思想の文脈の問題ですね。
やがて皇帝暗殺からロシア革命へと動いていく社会の底流で蠢いているもの、頭を擡げて来たものを、その鋭敏な感性で捉え、描いてみせた。 だから、その意味で、予言的なものとなっている、ということですね。

ついでに(最後に)もう一つ、付け加えましょう。 ナポレオンとスターリン、それにヒトラー、この3人の意味及び関係が分かるなら、西欧近代そして現代世界が分かるでしょう。

それでは、これにて


62. 2010年3月11日 23:59:37
慌てて更に付け加え、「ナポレオンとスターリン、それにヒトラー、この3人の意味及び関係」は欧米人には解らないか、タブーでしょう。
従って、勿論、これは「教科書知識」ではありません。(笑)

63. 2010年3月12日 11:18:35
スットン
 まさかユダヤ陰謀説じゃないでしょうね?

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