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阿修羅サイトに投稿を始めてから5年近くになりますが、最近はこのサイトに魅力を感じなくなってきました。当初は政治的に先進的な考え方をする人たちが多いサイトだと思いましたが、近年になって、このサイトに集まる多くの人が、全てか無か、の二分思考をする人たちなんだなあと思うようになりました。二分思考とは別の言葉で言えば「レッテル貼り」が大好きな人たちということです。確かに「レッテル」を張ってしまえば「考える必要がなくなる」ので楽ですが、その時点で政治的成長は止まります。好んで使われる言葉に「工作員」という言葉があります。この言葉を使う人たちは何の根拠があって工作員などと「決めつける」のでしょう。これでは2ちゃんねると同レベルです。阿修羅サイトは2ちゃんねるとは次元の異なるサイトだと思っていましたが、最近はそうも言えなくなってきました。こう思うようになったのも投稿記事に「コメント」欄が付けられたことが大きな理由ですね。固定ハンドルでは投稿する「気概」のない人たちが個人を特定されないことをいいことにコメント欄で誹謗・中傷の限りを尽くしています。卑劣という言葉がふさわしいと思います。まあ中には真摯なコメントもありますが、それはごく一部です。阿修羅の底が見えた気がしました。 阿修羅サイトは陰謀を暴くところに特色のあるサイトと自己規定していると思いますが、陰謀論も程度問題です。陰謀論が増殖する原因に、全てか無か、の二分思考があります。ある一点、またはいくつかの点を取り上げて、それを陰謀の証拠だと「決めつけ」る。私から言わせれば、せいぜい陰謀の「可能性も否定できない」、といったレベルのものです。決して「陰謀だ」などと決めつけることはできません。そういう人に限って、陰謀論には不都合な事実にはまともに取り合わないものです。「決めつけてしまう」が、こうした人たちの思考の特徴です。しかし、物事は0か1かのどちらかに「決めつけられない」ものの集まりです。世界は「決めつけてしまう」人が思っているほど単純なものではありません。社会的弱者がより弱い人を痛めつけて優越感を感じる。被差別者が別の被差別者を差別して何とも思わない。物事はすべて相対的なものです。そこに「絶対的」な考えを持ち込むから「現実から遊離」してしまうのです。 社会的役割があるとすれば、阿修羅サイトの社会的役割を考える上で、社会的影響力を確認しておくことは意味があると思います。過去の投稿記事で、短い一定期間に最も多くのページビューがあった投稿記事は、約5000ページビューくらいでしょうか。1億人のうちの5000人です。これは視聴率に準じた考え方として「閲覧率」では0.5%にあたります。それもこれだけの投稿は滅多にでることはありません。現在の阿修羅サイトは国民の「極々限られた人」しか読んでいないのです。では将来はどうでしょうか。これから閲覧者が大幅に増加するという理由が見つかりません。 私が考える阿修羅サイトの社会的役割は、いわゆる「世間」のものの見方、考え方に、もう一つ異なる視点を提供することにあると思っています。「世間」が政府・行政の監視役を果たすことが望ましいのですが、実際には、政府・行政の反民主主義的な立法や行政的対応に対しては全く無関心であるように私には感じられます。さらにいえば、そうした反民主主義的な政治に従順に付き従う羊の群れのようです。逆に反対を主張する人がいれば「世間」が許さない。社会的に排除される。そのような危惧を感じています。従順な羊の群れは最後には戦争へと突き進むのではないでしょうか。過去の天皇制軍国主義の時代。日本にファシズムは存在しませんでした。日本ではファシズムの代替として「世間の目」が存在したのです。「隣組」組織はその実体だと言えるでしょう。ファシズムは「大衆運動」の形態をとりますが、「世間」に大衆運動は不要です。これは日本特有の国民性の影響があるのかもしれません。ほおっておけば最終的に戦争に突入する「世間」に対して、その危険性を指摘しつつ、もう一つ別の道があるよと提示するのが阿修羅サイトの役割だと考えています。それは決して陰謀論を説くことであってはなりません。この点だけははっきりと断言します。従って政治的にオルタナティブな見方を常に提示し続けることが必要です。民主党が政権を取り、小沢が実権を握りました。この情勢は日本の将来を危うくするものであると思わずにはいられません。いまや現実の危険として視界に現れたということができます。その小沢の危険性を常に啓発し続けていく必要があると思います。 こうした情勢の中で、現在の阿修羅サイトは無力といっていいでしょう。まず小沢の評価が二分しています。私の感触では小沢を支持する人が大多数を占めているように思います。この点でまず困難があるのですが。それはそれとして、現在の阿修羅サイトのスタイルにも問題があると思います。いつのまにか多くの板が追加されました。これほど色々な板を設ける必要性が私には感じられません。すべての板を欠かさず読む人はごく一部の人だけではないでしょうか。現在の板の数を半分にしてもいいと私は思っています。板を多数設けたことで読まれない投稿も多数に上ると考えています。それからコメント欄。これは廃止した方が良いと思っています。コメントで阿修羅サイトのレベルが低下しています。 逆に言えば、コメント欄ができたことで、どのような考え方の持ち主の人が阿修羅サイトの読者の多くを占めているのかが分かった点は良いことです。それにしてもコメント欄に良く出てくる「工作員」という言葉を使う人には不信感を禁じ得ませんが。 阿修羅サイトがどういうサイトか、今まで見えなかったものが見えるようになりました。もうそろそのこの辺が潮時かもしれません。 |