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(回答先: Re: 彼岸楼さんへ 蟹は己の甲羅に似せて、、、 投稿者 彼岸楼 日時 2009 年 11 月 21 日 07:15:21)
予め彼岸楼さんにはお断りしておきますが、今回の私の書いたものへのレスが「それでも近代(自立)を信じる」の類になるのであれば、これ以上は不毛のやり取りになると思われるので、それへのレスは控えることにしますし、基本的には当方の説明不足と思われるものだけ、応えることにします。 悪しからず
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或る程度予想していたレスだったので格別の落胆はありませんが、これ程までに理解されてないとなると、徒労感はそれなりに残ります。 どうやら、彼岸楼さんにとっての理解とは、強引に(自分の思ってる)型に当て嵌める(嵌らないものは無視する)事でしかないようですのでね。 彼岸楼さんのは誤解でもなければ曲解でもないー無理解であると言うしかありません。
お陰で、彼岸楼さんのレスに逐一、悉く反論する破目になりました。 レスするのを止めていたのは、こんな事になるだろうなぁ、、と想っていたからでしたが、、やっぱりなあ、、
>日本人はもうそろそろ脊椎動物への飛躍(進化)を遂げてもよい筈だと云った想い
>未だ日本(人)は両脚立ち(⇒近代の超克)を成し遂げてはいない
何故<近代>が達成されるべき自明の価値なのか? <自立>が疑いを許さぬ自明の指標なのか? 単に、そう思い込んでるからとか、信じてるからしか言えないーでしょ?
前回訊いた時も答らしきものは何も示されず、それにも係らず同じセリフを繰り返すとなると、そう結論付ける外ありません。
また、少なくとも<近代>を批判している者にとって、「脊椎動物への飛躍(進化)」なる比喩は滑稽でしかないのですよ。 <自立>というのも、人間の本源的な在り方からいって、誤りであると思います。 人ー間というように、人は自立して生きているのではなく、間柄、即ち関係の中に在るからです。 確かに或る相においては自立しているかのように在っても、他の相においては依存しているー環境という点からいっても、人類(否、生物全て)は勝手に生きているように観えて、他面では環境に生かされてる、というのが生態学的な真実ではありませんか。 一方を捨象若しくは隠蔽して成り立つ、そのような思想が普遍性を持つとは、到底言えません。
>「先の大戦における挫折」を「試行プロセスにおける或る一つのアプローチの失敗事例」
モダニズムがイデオロギー、つまり固着した思考であることを最も良く示すのが過去、歴史への態度です。
敗戦を「一つのアプローチの失敗事例」とすると、「近代の生成あるいは復権」をと言う彼岸楼さんには、戦後過程も、やはり、もう「一つのアプローチの失敗事例」となる。
そしてその原因は?となると、何れも「自立してなかったから」となる。 してそのモデルは?となると、マネキンの類しか例示出来ない(はずです!)。 もし違うというのであれば、自立の事例を、是非ご教示願いたい。 いや、それは現実の事例ではなく、目指すべき《理念》だというなら、最初の問いに戻るわけです。 何故<近代>が達成されるべき自明の価値なのか? <自立>が疑いを許さぬ自明の指標なのか?
モダニズム批判、言い換えれば自立批判を今徹底しなければならない理由は、新自由主義なる自立思想(国家からの自立、民族からの自立、伝統・慣習からの自立etc、、)が社会をバラバラにし、世界をメチャクチャに壊しているからです。 恐らくその推進者達は、それが「脊椎動物への飛躍(進化)」と、見做してるはずです。 もしかしたら、これまで現実が見えていなかった彼岸楼さんには、こうした現実も見えていないのかも知れない。 だとすると、彼岸楼さんにとって<自立>は呪文の類なのでしょう。 もし見えているのなら、自ら<新自由主義者>と名乗るべきだし、せめて吉本隆明が江藤淳に対して言った様に、地球の裏側をグルッと回って一致する位は言っておくべき、と思いますが。
まぁ、こういったことが彼岸楼さん個人に帰せられるべき問題と思ってないのは、ギデンズ等英国勢から出ている「スーパー・モダン」とか「再帰的近代化論」に何処かで呼応しているもの(御本人に自覚はなくとも)、と思われないこともないからです。 改めて、西欧の呪縛が強いというのか、尊崇の念が深いというのか、、、