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そうして、当の官僚のこの間の対応がそれへの応答です。
”日米運命共同体”=日米一体化
90年代以降の「改革」は、外圧=米国の要求を<錦の御旗>にしたーGHQの「戦後改革」以降の無意識の在り様(在日米軍のプレゼン
スの継続を意識下の背景とする)ーおカミの御威光(御意向!)を借りての、権力の再強化を目的としたものであることは明らかです。
メディアの取材に答えて、官僚が”外圧はセレモニーだ”という時、「米国は日本の政治家を黙らせる水戸黄門の印籠みたいな存在で、脇
を固めた助さん格さんが日本の官僚だ」という元特捜検事の郷原信郎氏の証言は、ある核心を衝いた発言と記憶しておくべきでしょう。
極めて愚かな事に、客観的には<属国化>であっても、恐らくは官僚の側からすると、EU=ヨーロッパ連合(主権国家を超えたグループ
の集まり)と同位のことと見做されていることです。 私などはここに、官僚という「箱に入った男」(スターリン)の致命的欠陥を見ます。思考
、認識が或る枠組の中から出られない! 独ソ不可侵条約を聞いて、”欧州情勢は不可解”と、政治的センスゼロの発言をして、首相を辞
めた平沼喜一郎という元司法官僚が有為の政治家を粛清しまくったという故事を思い浮べるのです。
防衛省ー自衛隊と米軍との一体化
財務省ー米政府系金融機関救済に現われた金融政策の一体化
勿論これらは、一体化という名の、「主権移譲」というものでしょう。
法務省ー「裁判員制度」
警察庁ー「禁酒・禁煙の厳格化」
文部省ー「小学校への英語の導入」
「裁判員制度」が法制度面におけるアメリカへの同化であり、「禁酒・禁煙の厳格化」が、その日常の生活規範の中核にあるピューリタン的
なものへの同化である。 小学校への英語の導入、大学・大学院等の高等教育を英語でやる(反対に高校では国語を選択制に)、つまり
英語の公用語化。 裏返せば、日本語の事実上の現地語化(タガログ語化)。
こうした流れの方向付けとして、アドバルーンを揚げたのが「国を愛して何故悪い」の息子阿川尚之による「51番目の州となって何故悪い」
との文
その後直ぐ、この男は駐米公使になってることでも明らかなように、外務省の意向を受けてのもの、と見做さざるを得ない。 この後更に中国
派(チャイナスクール)やロシア派(ロシアスクール)を粛清・追放し、アメリカ以外は選択肢のない外交(?これって外交?)に一元化。
<統治>官僚の側はここまで来ているのです。
今回の「政権交代」が、このような官僚の有り様への、国民の漠然とした不満や不安がその底流に在るのは間違いの無いところでしょう。
問題は、そうした潮流への疑問や批判が大きな意思として、表現されていないことです。 やはり近代化=脱亜入欧化を徹底して批判する
視座を、依然として持ち得ていない、ということの現れなのでしょう。 だから、今回の「政権交代」も両義性の間をさ迷うしかない。 <統治
>に対して<代表>がどれだけの事が出来るのか?−それはどのような思想において行われるのか?ー我々は80年前の思想さえ克服し
ていないし、それに替わる思想も持ち合わせていないのです。
戦前と戦後が、天皇を媒介として、スムーズに順接されたのも、全体として、明治以降の<脱亜入欧路線>に在ったからであり、殆ど臨界
点に達した感のある現在、権力の由来である明治維新自体を徹底的に批判し、新しい思想を創れない限り、この流れは断ち切ることは出
来ない、と考える所以です。