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(回答先: 翼賛体制下での小沢の役割(再掲)『 政治の主体は国民であり、政治家の責任は限定的。』 投稿者 ni-na 日時 2009 年 11 月 18 日 03:01:58)
今読み返すと、何と予言的であったことか。そして今後の可能性をも予言している。
「国民を顧客として」↓は松浦氏の用語を借用したものだったが、出所はこの文章ではなかった。本文章を読んだ記憶はあるが、文章がやや硬いためか軽く流してしまったと思われる。
今読むからこそ私にもそれなりに理解が行くのかもしれない。
松浦「一人のファシストが軍国国家と、その滅亡を招来するのではない事は、重ねて強調しておく」を私なりに敷衍するとこうなります
小沢の独裁体質のみではファシズム体制は生成しない、圧倒的多数の民衆が、閉塞的社会状況を打破するため、剛腕・小沢を押し上げ小沢に自分たちの思いを託し熱狂的に支持する社会状況が現出するとき、ファシズムは成立する、となります。このとき事態は小沢個人の意志や思惑を超えた空間にまで押し広がってゆく。だが、その後、民衆は裏切られ、「地獄の門が開かれる」ということになります。
逆に言えば、雇用が回復し貧困化の流れも止まり、若者たちに一縷の光が射す場面が出現するとき、ファシズムへの歩みも止まるということ。
・「国民を顧客として家族を養う言論人」の限界だろう
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/198.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 12 月 24 日 09:24:48: jdZgmZ21Prm8E