★阿修羅♪ > 議論29 > 599.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
先ず市橋達也に関してですが、私はこの「英人女性殺害事件」について不可解に思う事が多々有り、それ程単純な事件なのかどうか、今の段階で、かなり懐疑的です。 ひょっとしたら、スッチー殺人事件の織原や例の押尾学のように、国内外の政治状況や諸々な事が絡んでいるのかも知れませんしね。
>ソレルの「暴力論」は日雇労働運動のなかでだいぶ読まれていました。
>「市橋達也容疑者の世代」と「武装革命を担った老人」が結びつけば
そういやあ、ソレルが死んだ際、レーニンとムソリーニが共にお墓に花束捧げてると、松本健一が書いていましたな。
成る程、それで事情が大分解って来ました。 でもね、だとすると、それは、市橋達也じゃなくて、「希望は戦争」の赤木智弘じゃないかな。 まぁ、市橋達也と同世代と言ってもいいのだろうけど。
ともあれ、以上のことで、ファシズムというより破壊であり、破壊願望として見た方が良いのように私には思えます。 だとすると、キンキキッズの「ギリギリの大人達が積み重ねた物を壊さなけりゃ明日は始まらない」(愛するより愛されたい)と同じスクラップ・アンド・ビルド、要するにシュンペーター レベルの処方に収まって仕舞うものかも知れませんよ。(笑)
果たして所謂「ファシズム」は有り得るのか?
私は無いと考えます。 何故なら、前回の場合、繰り返しますが、「大衆社会を創り出す」という時代的要請(同時代的普遍性)とそれを実現する手段(ボルシェビズム)が在ったけど、今回はそれに匹敵するものが無いからです。 大衆社会の次は?ーと想像してみればいい。
確かに、アメリカの影響力の衰えと共に、大衆社会の手直しも有り得ますけど、今のところ、手直し程度に留まるように思えるからです。