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ファシズムの定義 (再掲)『社会と権力、何が実体なのか? 選挙で反ファシズム戦線?』
http://www.asyura2.com/09/dispute29/msg/589.html
投稿者 ni-na 日時 2009 年 11 月 08 日 06:30:50: NW7bPogPNglgo
 

これは、7年当時小泉に対して盛んにファシストとする批判がなされていた頃に投稿されたものです。ファシズムについての定義が明確にされているので、参考までに。

社会と権力、何が実体なのか? 選挙で反ファシズム戦線?
http://www.asyura2.com/07/kenpo1/msg/613.html
投稿者 松浦 日時 2007 年 7 月 28 日 00:18:24: nX3mGLaD7LQUY

何故、政権批判よりも国民批判をするのか。
国民諸氏は自らを省みて考えて欲しい。

そもそも選挙は政治の実体なのか?
反ファシズム戦線?ファシズムが何か理解しているか?

国家権力というのは、財政が逼迫すれば福祉を削り、財の再配分を低下させ資本の生き残りを優先し、警察・軍隊の強化を図るのを常とする。実はこれは、権力が社会労働力の収奪を目的とした専業暴力機関を起源に生まれた組織に過ぎないことに起因している。原理がそうなら、真の実態も、終わる時の姿も同じだ。

ファシズムとは、人間社会から見れば本来的に外的な存在である権力に、社会が同化する事を意味する概念だ。

「社会の権力化」は、社会が不正の被害者ではなく主体となり、暴力の行為者となる事で、そのまま社会の暴力化に直結する。これが、正確な意味でのファシズムで、世間ではファシズムについての勝手な解釈が横行しているが、本当のファシズムの唯一の尺度は「社会の権力との同化」ということだけだ。

要するに、ファシズムは、権力の在り方ではなく、社会の在り方の問題。したがって、権力を批判するだけではファシズムは止められない。

日露戦争講和後の日比谷暴動を覚えているだろうか。焼打事件とも言うが、実際は首都日比谷のみならず、全国に波及した反政府暴動だ。反政府暴動と書いたが問題はその内容だ。暴動を起こした民衆の要求は、ロシアから賠償金を取れないのなら戦争を続けろというものだった。先の日清戦争で戦費を遥かに越える賠償金を獲得したことに味を占めて、戦争は儲かると信じた国民が、戦争継続を求めて反政府暴動を起こしたのだ。

注目しなければならないのは、暴動を起こした民衆は、殆どが選挙権の無い無産国民だった事だ。その後に軍部の増長を招いたのは歴史が示している通り。ファシズムを実現する通路は、ナチスの様に民主選挙の場合もあれば、日本の様に選挙に拠らない場合もある。
何故なら、選挙の有無は、社会の実体とは直接関係が無いからだ。

選挙は、社会の趨勢にとって決して本質ではない。問題なのは、社会精神の在り方の方だ。

功利主義的社会は、常に富と権力に近づくための競争に明け暮れ、経済成長が止まれば、その傾向が更に強まり、必然的にファシズム化する。
「生活主義」とファシズムは、実は非常に相性が良い。ただ、刹那的で倫理が希薄なので、それに伴って知性も低く、先の結果を知る事ができないだけだ。

典型的な日本人ともいえる自民党の派閥の長が、金丸脱税問題の際に、「日本人は、カネにはうるさいから。」と発言していたが、多分本質を突いているのだろう。ここには、倫理的なのと、カネにウルサイのとは違う、というニュアンスが読み取れる。これを意識して国民の反応を観察していると、実に行動の意味が理解できる。試してみるといい。今回の社会保険問題も、実体はこれに過ぎない。正義とは別物だ。

だから、9条の会の講演会で、「9条を守る事は、今の生活を守る事だ。」と、発言している時点で、この国民は困難に直面している。「9条は、正しく理想だから、何を犠牲にしても守らなくてはならない。」と発言できず、それで動かされない社会に、健全な未来を期待できるのか?

常に実利と公正を結び付けて表現するのを「現実的」とする体質は、本当に現実的なのか?捻れた理念がもたらす現実は、所詮、弱者が自らを損なう強者の論理を積極的に支持する現実の前には、こそこそと身を隠す場所すら与えられはしない。まして、真理の座には近づくことさえ許されないのは言うまでもない。

健全な社会は、本源的に暴力を起源とする権力と対立し、制限する意思を発揮し続ける。正確な意味での「民度」とは、権力を制限する民の底力を意味する。それが唯一の基準。社会が権力と同化する事は、社会の究極の堕落形態、民度の最低への転落だから、その行く着く先は推して知るべしとなる。

民度を高めるためには、損得よりも正義と倫理を重んじる風土が必要不可欠だ。それこそが社会的公正を実現する唯一つの要件であることは、幾ら強調しても過ぎる事は無い。

民度が真に高ければ、選挙制度自体いらないし、民度が低ければ、毎日が選挙でも何の意味も無い。

だから、選挙の度に党派の数合わせを議論する次元は論外だ。
 

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コメント
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だから、9条の会の講演会で、「9条を守る事は、今の生活を守る事だ。」と、発言している時点で、この国民は困難に直面している。「9条は、正しく理想だから、何を犠牲にしても守らなくてはならない。」と発言できず、それで動かされない社会に、健全な未来を期待できるのか?
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ベルリンの壁崩壊から20年。

日本では誰ひとりとして「9条は、正しく理想だから、何を犠牲にしても守らなくてはならない」と発信できませんでした。

まさに「壮大なゼロ」であります。

まさに日本国民はこの自己矛盾と亀裂の前に、巨大な困難をかかえてきました。
ゆえに日本社会は健全でなく巨大な不健全となり、病んでいるのです。

ベルリンの壁崩壊からの20年とは
「日本病」がますます悪化していった空虚の時間蓄積であります。

日本国民はこの暗黒から歩行を開始するしかないと思います。

日本国民は巨大な困難をかかえ不健全になり病気になり、混乱し、貧困になり、そしてとうとう破綻してきました。

誰ひとり「「9条は、正しく理想だから、何を犠牲にしても守らなくてはならない」と発信できない「悲しき暗黒地帯」ですから、混乱につぐ混乱のなかで破綻するのは、あたりまえです。

この現状から新たなる「ファシズム論」は発信されていくべきでしょう。

松浦氏の「ファシズムの定義」を読み感銘を受けました。

ありがとうございます。



2009/11/09 15:05


暗黒の部屋だった。

あかりは目覚まし時計を照らすいまにも消えそうな懐中ライトのみだった。

手のひらを目の前にかかげてみた。

手のひらの親指と人差し指のあいだに「黒い影」があった。

それは動いていた。暗黒の糸を出しながら、手のひらを包もうとしていた。

わたしは了解した。

夜の暗黒とは「通信」の糸によってつくられている。

手のひらを裏返しにしてみた。

指は黒い黄金になっていた。

わたしはこのまま死んでいくのだろうかと思っていた。

眠れなかった。

うとうとしながら現生の夜の体験だった。

そして朝がきた。

至福な夜の暗黒の体験だった。暗黒は弱小のあかりによって証明されるのだった。

生きていこうと思った。


2009/11/09 23:56

創価学会が目指し理想としてる「全体主義」って、正に「ファシズム」のことですね。
ムッソリーニ時代のイタリア、ナチス時代のドイツ、レーニンやスターリン時代のソ連…
2009/11/10 00:02
”ファシズムは権力(者)に、社会(人や報道機関)が同化する事を意味する概念だ。”と書かれていますが、私はそれだけではないと思う。

逆に権力者が国民や国土を支配するため、権力者の意と異なる意見の者やマスコミや機関を恐怖や粛清などの様々な手段で押しつぶしたり排除したりして束ねて純化して、最終的に権力者の批判ができなくする、即ち独裁とする。

私はこのようなものもファッショでよいと考える。

ファッショとはラテン語のfasciculus(束)より”束ねる”の意味で右や左や前や後ろを向いた稲や草を手でぎゅうっと束ねて1つにまとめてしまうことです。英語でも大辞典にfascicleで出ています。無論”束ねられたい”もあるだろう。

ファッショに至る過程は様々でスターリンや金日成、毛沢東は共産革命のトップでNo2などすべて反対派を粛清し人民に恐怖を与えて人民を支配している。
ピノチェットは軍のトップでクーデターからファシストへ。
ヒットラーは少し違って、”わがドイツは欧州(世界)で一番優秀な民族だ。そうだろう。ユダヤは排除せよ。”と演説し、ドイツ国民は”そうだ。そうだ。ヒットラー万歳。前進前進。”となった。
大日本帝国は共産主義者を治安維持法で排除はしたが、”ヒットラー型”に近いと思う。

2009/11/10 22:55

排他によってあたかも利害が一致しているかのような錯覚を起こさせる事がファシズムの定義だと考えます。「外国人排斥が日本人にとって利益がある。」というような言説です。関東大震災の折の朝鮮人虐殺など。そしてそのような行為を「やれやれ」と鼓吹するリーダーの存在。アイデンティティなるものは存在せず排他によって初めて存在するかのように錯覚されているだけ。日本人では無い者の存在を強調して日本人なるものが現実的利害を持って存在していると錯覚させる。ユダヤ人排斥によってドイツ人を意識させ朝鮮人排斥によって日本人を意識させる。古い手法がいつまでも通用しているという事。リチャード・コシミズ氏の阿修羅における反朝鮮人言説を見よ。権力は排斥思想で形成される。(ワヤクチャ)
2009/11/11 22:44
リチャード・コシミズによる「反朝鮮人反半島人」規定は、あまりにも短絡的ではないかと思う。

現代とはまして21世紀とは「複合汚染」だ。

「複合」「複雑」に対して内面的に抗することができない言説は弱い。

リチャード・コシミズは「反ユダヤ世界権力」と「反朝鮮」によって独立党ネットワークを形成したのだが、永続的な思想的普遍性はない。


ユーラシア大陸朝鮮半島の冬は寒い、骨まで染み入るほどに。

その寒さを日本民衆は理解できない。

その「差異」から言説は個人的に「孤独」から出発せざるえない。

探究とは孤独の営為である。


2009/11/12 23:32

リチャード・コシミズ氏の言説は重要だ。

リチャード・コシミズ氏は「統一教会」の創設者が朝鮮人の「お父様」であり、この朝鮮人「統一教会」の「お父様」が日本政治に浸透していることを暴露している。

「統一教会」の洗脳方法が「CIA」で作られたプログラムであることを暴露している。「CIA」は己が開発した洗脳方法をカルトによって実現し普及してきたのだ。

さらにリチャード・コシミズ氏は創価学会の帝王「池田大作天皇」の出自も暴露している。池田大作天皇の出自は朝鮮人である。

カルトとは自ら「CIAが開発した洗脳プログラム」を実体化する宗教組織なのだ。

また日本の右翼とは日本人ではなく朝鮮人が担っている。
その実態もリチャード・コシミズ氏は暴露したのである。

これは日本政治思想史にとって大いなる驚嘆でしかないが、しかしリチャード・コシミズ氏の「暴露」から逃亡はできないだろう。

リチャード・コシミズ氏の「反ユダヤ世界権力」「反朝鮮人反半島人」言説とは、排外主義ではなく、世界の権力構造をめぐる言説である。

何度でも言うがリチャード・コシミズ氏の言説は重要だ。

わたしは独立党の動画を日本と世界を分析するソースのひとつとしている。


2009/11/13 23:00

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