★阿修羅♪ > 議論29 > 259.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
小沢続投論は敵の”折り紙付き”だ。共産党は惨敗の危機にある
http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/478.html
>小沢秘書の逮捕・起訴は国策捜査である
検察の三重のルール破り、すなわち、政治資金規正法による立件・運用ルール、捜査の公平性というルール、政治的中立性というルールを検察みずからが踏み破っているという”異常”捜査が今回の特徴なのであって、この異常捜査を政権交代を妨害する政治的ねらいをもった”国策捜査”と言わずに一体何と呼ぶのか。
>今回の国策捜査はわかりやすい
この逮捕劇は麻生政権が仕組んだ政治犯罪とみるべきなのである。検察もまた国家権力機構の一部であり、政権交代という現実性を前に、政権からの独立という検察の正義の拠り所を放棄したものなのである。
検察が国策捜査で野党第一党の党首の政治生命を絶ち、政権交代を妨害できるということになると議会制民主主義は成り立たず、腐敗した万年与党が出現することになる。かくも重大な民主主義の危機なのであるから、国策捜査批判は国民の間で盛んになる有力な根拠をもっている。
しかも、検察の異常捜査ぶりは、説明すれば国民誰もが理解できるわかりやすさがある。その意味では政権交代派が効果的な工夫を凝らす”知恵”と熱意さえあれば、政権の危機を促進する材料に転換することも十分可能である。
>政権交代論はすでに国民の多数派である
国民の政治意識の内部では、すでに政権交代が行われており半世紀にわたる自民党政治の終焉が生じているからである。政権交代派は自信を持っていい。それほどの事態であるからこそ、政権側の常道ともいうべき禁じ手=国策捜査という反動的暴挙も誘発されたのである。
>政権交代は今でも実現可能である
今では大企業と国家機構の周辺で生活する者以外は、皆、自民党政治の被害者なのであって、その被害はあまねく日本全土に広がっている。かくて、政権交代論は小沢秘書の逮捕・起訴程度の”でっち上げ”では覆し得ないほどの堅固さを持っていると見て良いであろう。
小沢秘書の逮捕程度で政権と官僚の巨悪事を帳消しにすることはできない。
>小沢続投か否かについて
更迭派の主張は・・・、強大な権力を持つ検察に立ち向かって勝てるはずはなく、しかも相手にはマスコミがついている。検察の”清掃”は政権を取ってからやればいい、というようなことである。
確かに検察は強大な権力なのだが、小沢をはずして新しい”玉”を押し立てるという対抗策を駆使して政権を取り、その後になってから犯罪の血盟をした検察を”清掃”できるのか。
答えはこの国の権力の所在がどこにあるのかということにある。すなわち、権力の中枢は官僚機構が握っており、官僚支配の政治が自民党政治の本質なのである。
戦後は政界、財界の重鎮は一度はパージされたが、官僚機構だけはそっくりそのまま戦後の国家機構へと横滑りして収まっているのである。しかも、この官僚機構は人事権を握って離さず、連綿として自己統治の聖域に身を置いている。
>小沢続投論は敵の折り紙つきだ
つまり、政権交代が起きて自民党が下野しても、国家権力の中枢は下野しておらず、民主党は官僚機構という敵の本陣へパラシュート降下するに等しいのである。だから、犯罪の血盟をした検察を”清掃”する前に新政権がスキャンダルで検察に倒されることになる。
すなわち、新政権は検察によるスキャンダル攻撃を軽々と突破するほどの有権者の堅い支持を、政権に就く前に確保していなければ、犯罪に手を染めた検察を”清掃”できないのである。これが答えである。
国策捜査を柳に風とばかりに受け流すべく、マスコミによって作られた世論に迎合して小沢降ろしをやれば、仮に政権についても、官僚機構の反対する政策は一切実現できなくなるであろう。新政権の自民党化である。官僚機構の反対を押し切ろうとすれば、未だ”清掃”に手を付けられない検察が独自に国策捜査を発動して新政権をスキャンダルまみれにすることになる。
だから、今回の小沢秘書逮捕事件は民主党が新政権につき、国民の求める政策を実行するためには避けて通れない試練なのである。マスコミに影響された世論を変えることで逆に堅い支持に打ち固めることができた場合にだけ、この試練を突破できるのであり、その場合にだけ、官僚機構はさしあたり白旗を掲げて新政権の進駐に城門を開けるのである。
その意味では、国策捜査の発動は官僚機構が身の危険を感じたことの証であり、小沢民主党が”敵”として認知された”合格証書”でもある。