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東京大学のロバート・ゲラー教授は、「日本政府は、欠陥手法を用いた確率論的地震動予測も、仮想にすぎない東海地震に基づく不毛な短期的地震予知も、即刻やめるべきだ」との主張を英科学誌ネイチャー電子版に掲載した(本人による日本語訳はhttp://www.natureasia.com/japan/nature/special/nature_comment_041411.php)。
ゲラー教授は、1979年以降、10人以上の死者をもたらした地震は、政府が発表する確率論的地震動予測地図において、比較的リスクが低いとされてきた場所で発生しているから、その理論根拠となっている確率論的地震動予測に基く地震予知はやめるように主張している。
しかし、それは極めて短絡的な意見である。
ハズレているのは確かであるが、それは現時点における物理モデルが未だ不完全であるためであって、今後さらに研究が進めば、何れより精度の高いモデルが出てくるはずであるから地震予知をやめなければならないほどの理由にはならない。
何よりも日本政府が多額の予算をかけて、こうした地震予知研究に取り組んだことにより、世界最高レベルの精緻な地震観測網が整備され、精度の高いファクトデータを蓄積することができたわけで、それだけでも学術的に十分に価値のあることだと思うのである。
また、政府主導の強制力の伴う地震対策により、日本の建築物の耐震技術強度は世界に類を見ないほどに向上した。今回の大地震でも主要な建築物の倒壊は全く報告されていない。確かに津波対策では後手に回った観はあるが、学問上のあるべき論を実際に政策に反映し現実に主要な建築物を悉くM9クラスの大地震にも耐えられる「強固な建物」にするには相応の時間と手間がかかるのである。
こうした現実に得られたメリットを全く無視して、日本の地震対策体系の理論的支柱そのものの存在を否定するのはいかがか?
また、「東海地震予知体制を廃止して、大震法を撤廃する時である。」とも主張するが、論外である。
東海地震予知体制は、単に東海地方の地震対策を整備しただけでなく、他の地域の地震対策のモデルとして非常に重要な役割を果たしてきたのであり、ゲラー教授のようにその重要性を十分知る立場でありながら、このような乱暴な主張をするのか真に解せない。
さらに、我が国が「地震空白域仮説」をもとに東海沖のプレート境界及び隣接する東南海および南海地域をマグニチュード8が起こると考えられる地震空白域であるとし、「東海地震」を想定した様々な地震対策をとっていることについて、「これらの地域では1975年以降大地震は発生していないにもかかわらず、いまだに日本政府は全国で最も危険な領域としているのはおかしい。「東海地震」および「東南海地震」と「南海地震」という言葉は、現実として起こっていない以上、使用すべきでない。」旨の批判がされている。
しかし、そもそも「地震空白域仮説」というのは過去大きな地震が発生しているにもかかわらず長期間にわたって地震が発生していない地域ほど地震が発生する危険性が高いという理論であるので、「1975年以降大地震は発生していない」という事実は、「地震空白域仮説」により「東海地震」の発生を危惧する根拠になりこそすれ、ゲラー教授のいうように「地震空白域仮説」を否定する理由にはなり得ない。
あと「学術的」というよりは「政治的」な二つの批判をしているのでコメントしたい。
まず「一部の地震学者が、20年以上も前から地震や津波による原子力発電所の損壊と放射性物質の漏洩の危険性を指摘してきたにもかかわらず、この指摘はほとんど顧みられることはなかった。」と批判する。
確かにこうした「空気を読まない」がしかし「正当な主張」がいとも簡単にゴミ箱に入れられてしまう日本的政治・社会風土は改めねばならない。しかしそれは政治(広くは日本社会)の問題であって、地震予知学の要不要の問題とは全く異なるのである。「正当な主張を顧みない」くらいなら地震予知をやめろという理論は飛躍が過ぎる。
また「もし、世界の地震活動度と東北地方の歴史記録が、地震の危険性を見積もるときに考慮されていれば、・・・3月11日の東北地震は一般には容易に「想定」できたはずである。とりわけ、1896年に起きた明治三陸津波はよく認知されており、かつ記録もなされているので、こうした地震への対策は、福島原子力発電所の設計段階で検討することは可能であったし、当然そうすべきであった。」とも批判する。
そのとおりである。
ただ、これも純粋に政治的・社会経済的圧力により、御用学者たちが黙りこんだだけのことで、学術的に否定されていたわけではない。こうした「政治的批判」を地震予知という学術の批判に転用するのは不当である。さらにいうと地震津波対策の不完全な設計図を日本に渡したのはGEであり、日本を批判するのであれば、そうした国際政治的な責任相関関係についても考察を広げるべきであろう。
最後に、ゲラー教授は「地震空白域仮説によれば、何万年もしくはそれ以上の時間スケールにおいて、地震や非地震の総すべり量とプレート間の相対運動の量は一致しなければならないが、現在では、このプロセスは、定期的でも周期的でもないことが判明していることから、地震予知は不可能である」旨主張していることについて反論する。
ゲラー教授はその根拠として、中国の唐山地震及び今回の311地震の予知ができなかったことを挙げているが、中国の唐山地震に関しては、現在の日本とは比ぶべきもない不十分な観測体勢しかとられていなかったということを考慮しなければならず、今回の311地震に関しては人工地震であるとしか考えられない不可解な事象が数多く確認されており、自然発生的な地震を対象とした地震予知理論で予測することは不可能であってむしろ当然と言える。
1960〜70年代にかけて米ソで地震兵器が実用化された後に発生した地震については、まずその地震が自然発生的地震か人工地震かを分別評価した上で、地震予知の精度を論じなければならない。そういう意味では唐山地震に関してもまず自然発生的地震か人工地震かを分別評価し、その上で地震予知の精度を語るというのが学術的に正しい姿勢であろう。
日本の地震予知学の中心の一つである東京大学に送り込まれていたゲラー教授が、このタイミングで、ここで述べたような日本の地震観測体制の否定に繋がるレポートを発表した理由については、今回の311人工地震を発生させた際に、日本の観測網に人工地震であることを示す様々なファクトデータが記録されてしまったことが明らかとなったことから、彼のボス達から今後の人工地震テロを実行する際の支障となる日本の観測網を無力化させる方向に誘導するよう命じられたものであると捉えるべきである。
p.s.論理的思考がお得意の読者の方には是非、ゲラー教授の論文の日本語訳をお読みいただきたいのであるが、微妙に「批判内容」と「批判根拠」をずらした巧妙な「たぶらかし」が多用されており、日本の地震予知体制に対する否定的イメージを読者に植え付けつつも、レポート内容を論理的に検証しづらい文章構成になっている。単に「日本語が上手」という以上の日本語文章力を感じる。
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