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「新自由主義の嘘」 傑作(0)
2008/6/21(土) 午後 6:35読書という名の罠小説 Yahoo!ブックマークに登録
哲学というと いささか浮世を離れた話であるという印象が一般的には強いと思う。俗世に生きることに汲々とせざるを得ない僕らにとって 哲学は遠い存在に見える気もする。本書はそんな「哲学」を 僕らの身近なものにしてくれる一冊だ。
「新自由主義」とは まず第一には経済であり政治であり 哲学だとは思っていなかった。そんな感覚こそ まさしく「哲学」を自分から遠ざけてきたものだと今思う。考えてみると哲学は もともと経済学や政治と極めて密接に関係してものであったのが歴史である。それを考えてみると 今回哲学者が「新自由主義」を取り上げ、かつ 糾弾することは自然といえば自然なのだ。
「一番の強者が 自由競争を謳うのは 自分が勝つとわかっているからである」という言葉をどこかで読んだ気がする。本書では その「勝ち」について絶対的に否定するものではないと読む。ただし その「強者」の「強さ」の源泉がどこにあるのかという点に大きな質問を投げかけている。
著者がいう「能力の共同性」とは その「強さ」とは自分で獲得できただけではなく 周りの「他者」の協力で成り立っているという主張だ。その 自らの中に内在する他者を意識することが 新自由主義への大きな反論であるとするのが 本書の趣旨なのだと僕は読んだ。
Winner takes allという言葉がある。おそらく 自然界を見廻すと 基本的に その原理で成り立っている気がする。「自然界の共生」という言葉があるが 「共に生きる」という美しい響きに騙されてはいけないと思う。妥協と打算の産物で寄りかかって生きている姿こそが「共生」の真の姿ではないだろうか。
その意味で それを乗りこえようという生物は人間が初めてなのだと思う。思えば これは壮大な試みなのかもしれない。
僕はまだ「新自由主義」を判断するだけの材料を持ち合わせていない。本書だけで新自由主義を否定するのは 尚早である。ただし 今後に考えるよいきっかけとなった。その点で本書には感謝する次第だ。
コメント(1)
何かの哲学書に「哲学とは人間が自己の生き方に惑いそれに対して可能的に反応することである」とありました。自由経済の行き着く先が見えてきた現代で、マルクス経済への再評価や「蟹工船」なんかが取り上げられるような状況になってきたと思います。
国策で企業中心の経済誘導を行ってきたことに対する問題が、格差や派遣、失業率となってあらわれてきているように感じます。
生活ができないほどの雇用環境で派遣社員を雇用の調整弁で使っている企業が彼らに対する搾取で莫大な利潤を上げているなら、企業の存在価値とはなにかという本質的な問題になると思います。
2008/6/22(日) 午前 2:28
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