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正しい宗教は、教えで商売などしない
もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
(ヨハネ15.15)
子曰く、二三子、我を以て隠せりとなすか。吾爾に隠すことなし。吾行うとして二三子に与さざる者なし。是丘なり。
※ 先生がいわれた。「諸君は、わたしが隠し事をしていると思っているか。わたしは、君たちに何も隠してはいない。わたしは、何をしている時でも、諸君に示さないことはない。それがわたしなのだ」。
(論語・述而篇)
しからば、アーナンダよ、比丘たちはわたしに何を待望していると言うのであるか。わたしは、内もなく外もなく、ことごとく法を説いてきた。アーナンダよ、如来の法には、あるものを弟子に隠すというがごとき、教師のにぎりしめる秘密はないのである。
(大般涅槃経より)
「教師のにぎりしめる秘密」・・・、現代では、これこそが、飯のタネになっている。この「秘密」を小出しにして、受講料を巻き上げる(^^;。本当に、真理を世界中に広めたいのなら、なぜ、法外な受講料を求めるのか?
神様が、太陽の光や、大地や、水を、まったくの無料で人間に与えてくださっている。人間は、太陽の光や空気が無料なので、あまり、あり難いと感じていない。しかし、もし、太陽の光や空気が有料になったらどうなるだろう。私たちは、タバコや酒を止めてでも、まず空気を確保する必要がある。空気のあり難さを知るためには、空気を有料にすればよい。
だから、学びの意欲を高めるためは、あえて、身銭を切らせるという考え方にも一理あることはわかる。そうした考えのもとに受講料を集めるという考えもありだろう。しかし、往々にしていつしか商売へとスリ替わって行くことが多いので、しっかりとふんどしをしめなおす必要があるだろう。また、当然のことだが、集まったお金に関しては、恵まれない人々に寄付するべきだろう。このお金の流れは、信者さんたちにも見えるようにしてあげたほうがよい。
お釈迦様もイエス様も孔子も、真理を商売のネタにはしていなかった。確かに彼らも日々の食糧に関しては、施しを受けたり、授業料という形で受け取ったりしていたことだろう。しかし、それは最低限だ。利益を出して、高価な服を買うわけでもないし、大神殿を築くわけでもなかった。
※また、彼らは、惜しげもなく、悟りの内容のすべてを弟子たちに伝えた。相手よりも優位に立つために、尊敬されるために、情報を独り占めにして、小出しにするといった似非教師がいるが、非常に卑しい心根だと思う。こういう連中のことを、正師だと勘違いすると、だまされるので注意してください。
ところが今の教祖や取り巻き連中はどうか?まるで、連載小説のような形で、真理を切り売りして、商売のタネにしているのではないか?
「あなたも大金持ちになれる法」といった魅力的な教えを伝授しましょうと、ニコニコ顔で近づいてくる。八割ぐらいを公開して、そこでストップする。残りの二割は秘伝のプログラムで、無料公開できないと残念がる。最初の八割は、残りの二割を高く売りつけるためのコマーシャルのようなものだ(^^;。
しかし、八割まで知った人は、どうしても残りの二割の部分を知りたくなっている・・・・・・。知りたくなるような教え方をされているからだ。商売人の手口に乗せられてしまったのだ(^^;。そして、大金を積んで、秘伝を買い取ることになる・・・・・・。宗教とは言えない。プログラム販売業だ(^^;。いやしくも神の言葉を伝える者ならば、神の使徒として相応しい行いをするべきではないか?神の言葉を商売のために利用するとは、神をも恐れぬ所業だと言わざるを得ない。
ほんとうに正しい宗教は、教えを商売にしない。少しでも商売の匂いを感じたら、そうした宗教からは、即、遠ざかったほうがよいだろう。
7月5日 12:54 | この記事を引用 | 宗教
Windows Live のユーザー
コメント (2 件)
♡ さらん♡ - 2006年 7 月 9 日
大和さん こんにちは
本当ですね・・・
胡散臭い^^;そう思った時が 引き時なのでしょうね。。
でも 其の中にいる時は それすら分からないものです。
目が覚める瞬間は それまた 皮肉にも神様の役事が働くようです・・・
真理&神理?に 到達出来るって何よりもの 「奇跡」だと思います。
実際 真理&神理は 本当は この世では 分からないものなのかも・・・しれないし。
神様が見えないように
本当に大切なものは この世では 隠しているのかも・・・
神様は 意地悪だって 私が思う理由はそこにあるのです。
もちろん 神様が「愛」である 理由でもあります(‾◡◝❀)
大和 春道 - 2006年 7 月 10 日
さらんさん、ありがとうございます。
深いですね(^^;。・・・・・。
実は、僕も神様に聞きたいことが山ほどあります(^^;。はは
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