http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/723.html
Tweet |
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-149.html
自分の宗教が一番というエゴ
道の途中でブッダに会ったらブッダを斬れ
よく知られた言葉です。
いろいろな解釈がありますが、一つの解釈は、教えや師に執着するなということです。
いわゆる宗教を見てみると、どの宗教でも、
自分の信じている教えや師が一番だと思って執着しています。
自分の宗教が一番だと信じているのは、
信じる宗教であるキリスト教やイスラム教に限りません。
信じない宗教である仏教やヒンドゥー教、
近くはオショウ(ラジニーシ)やクリシュナムルティの信奉者でも同じです。
宗教に限らず、流派のあるものや、師弟関係のあるものはみなそうです。
なぜか?と聞かれたら、一番だから信じている、そうほとんどの人は答えると思います。
しかし実際は違う場合が多いのです。
「自分」が信じているから一番なのです。
よく自分の心を観察してみましょう。
たぶん一番だと思う根拠は思っているほど強力な根拠ではないはずです。
私は信じているのはない、理解しているのだ、と答える人も多いでしょう。
しかし本当に理解しているならなぜ悟れないのでしょう。
自分が悟っていないのに一番だという根拠は薄弱だと言わざるを得ません。
過去に役に立ったから、と答える人もいるかもしれません。
しかしそれは過去の話です。
そのときから大して進歩していないのはなぜでしょう?
一つの教えを体系的に体得することは重要です。
しかしそれと同時に様々な教えを総合的に理解することにより、
初めて観えてくる世界があります。
例えば、戒律を守ることはその意味があり、
また反対に戒律を一切持たないこともまた意味があり、
両者は矛盾しないということが解ってきます。
自分の宗教でまだ悟れず、また他の宗教はよく知らない、
それでいて自分の信じる教えや師が一番だと執着するのは、
自分が一番だというエゴに他なりません。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。