http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/669.html
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ある意味副島教というべきカルト的ファンを有する副島隆彦氏ですが、たうたうここまできましたか!
これは小沢教?それとも副島教?
会員でないのでこれ以上は分かりませんが。写真は学問道場でどうぞ。
滝に打たれる副島氏の写真がご覧になれます。
http://www.snsi.jp/tops/kouhou
以下引用
「1167」小沢一郎長命(ちょうみょう)祈願。国民民主革命の成就祈願(じょうじゅきがん)。副島隆彦が滝行を行いました。このあと、2冊の本の宣伝をします。2010.10.23
副島隆彦です。今日は2010年10月23日です。
私は、群馬県の山奥の修験道(しゅげんどう)の道場に行きました。表面上は仏教のお寺です。短い3日間だけの修行をしてきました。
滝に打たれることで、"滝行"という修行(しゅぎょう)をしました。写真のとおりです。
仏教のお経や真言(マントラ)を唱えたり、草むしりをしたりのなかなか厳しい修行でした。滝の水は20mぐらい上から落ちてきて、身体が潰(つぶ)されそうになります。ものすごく冷たい水に入って、この滝行で私が祈ったことは、小沢一郎長命(ちょうみょう)祈願。そして、日本国の国民民主革命成就(じょうじゅ)祈願です。
修験者(しゅげんしゃ)というのは、山伏(やまぶし)とも言います。日本全国各地の山の中に滝があります。滝行ができる近くには修験道場がある。表面上は"仏教のお寺さん"です。相当の山奥にある山寺です。
修験道(しゅげんどう)は、明治政府によって、廃仏棄釈(はいぶつきしゃく)のお寺打ち毀しの民衆暴動が禁止されたあとのすぐ明治5(1875)年に禁止されました。それから70年間の厳しい禁止の期間を経て、1945年の敗戦でできた新しい日本国憲法体制で宗教の自由が確立して、再び修験道は自由になりました。
まず、「修行(しゅぎょう)」というコトバから説明しましょう。現代の日本人は、行う「行(ぎょう)」と、事業や就業や終業式などの学業の「業」の、この2つの「ぎょう」の区別をつけられなくなっています。
"行う"方は、あくまで仏教や修験道の修行として、信仰のために身体を鍛え鍛錬し、精神を修養するためのものです。それに対して、徒弟奉公(とていぼうこう)のような企業で働くことを古いコトバで修業と言う。「業」は、事業、学業で一般の世間の、俗世界の人間の行動である。この区別をまずしっかりとつけましょう。相当の日本人が、この区別がつかなくなっています。
修験道は、山岳信仰(さんがくしんこう)、御岳信仰(おんたけしんこう)を中心にしていて、したがって、崇拝(すうはい)する対象は、山そのものです。本当の本当は、ですから修験者(しゅげんじゃ)たちは、僧職(お坊さん)や神官(神主、かんぬし)であっても、仏教も神道も信じていません。
ここからあとは、会員ページの方に書きます。 副島隆彦拝
引用終了。
副島隆彦氏へ、もっと別に頭を冷やす方法はなかったのですか?
熱意は分かるけど。くれぐれも身体壊さないでくださいね。
副島氏御自身が、ある程度、影響力がある人なので真似して身体壊す人がでることも心配してくださいね。
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