07. 2010年11月01日 12:14:01: Y3IYpBZ23I
CIA主導の大虐殺の歴史・統一邪教のコカイン・クーデター http://richardkoshimizu.at.webry.info/201010/article_28.htmlCIA主導の大虐殺の歴史・統一邪教のコカイン・クーデター 大虐殺.....そんな歴史が我々の身近な国でありました。インドネシアです。「反共」「赤狩り」を名目にしたCIAの黒幕に不都合な人士の抹殺が45年前、大規模に行われ、最大で300万人が虐殺されています。当時の状況と、今の日本とを見比べてください。 そして、「来年、いや、再来年になればわかる」と言った社会工学君の顔を思い出して下さい。 CIAは、金融ユダヤ人にとって不都合な日本人のリストを完成しつつあるかもしれない。下手に集会でもやれば...。そして、2012年の「その時」を待っているのであろうか?むしろ、CIAの手の届かないところで、無数の無名の同志、つまり、顔の見えない心情党員がいることがCIAの蛮行を抑止する手段となります。黙って潜伏している同志がどれだけいるかわからない、どこにいるかもわからない、だれなのかもわからない。その点が、45年前のインドネシアのケースとは決定的に違うことです。 そして、さすがに先進国、日本で、ほかの国と同様のあからさまな謀略や蛮行はできない。野蛮で下品な金融ユダヤ人や手先の宗教朝鮮人も、ネット時代に旧来の方式のクーデターは難しい。ネットで彼らの下品な謀略を予め暴露する。これが抑止力として決定的に働きます。 自分一人だけ逃げて助かろうとしても無駄です。社会全体でゴロツキの蛮行を食い止めなければ、我々の社会に未来はない。どうやら、正念場がやってきたようです。統一邪教によるボリビアの麻薬犯罪政権捏造の歴史を知り、同じ手口を行使させないように準備いたしましょう。 ●1965年、CIA による インドネシア大虐殺 (2) マリオ・サントス http://www4.kcn.ne.jp/~yoitiro/hatena/cyrano/massacre.2.html インドネシアが 左傾化するに つれて、U.S.政府は、その インドネシアに 対する 陰謀 および 破壊活動と、経済制裁とを、さらに 押し進めていった。 ペンタゴンも また、その援助を 増強し、インドネシア軍内部には、彼らの 勢力が 不気味に 成長してきた。 CIA 工作員たちも、民間に おいて、破壊活動を 助長する 目的の 組織化を 始めた。 血まみれの クーデターへ 至る 序幕として、イエズス会の 司祭であり、また CIA の 諜報員でもあった Jose Blanco 神父が、インドネシア 学生団体の KAMI を 結成し、ジャカルタや インドネシア 各地において 反共産主義デモを 開始した。 このとき、インドネシア軍 上層部の 将軍たちは、Nasution 将軍を 別に 考えると、全体としては 親スカルノ派であった。 その 彼らを 一掃し、同時に、PKI に 対し 血まみれの 大虐殺を 実行するため、CIA は、Untung 大佐という 名前の 男に 率いられた、いわゆる 9.30 Movement (Gestapu) を 動かして、1965年 9月 16日、彼らに 対する クーデターを 敢行、7人の 将軍と 他に 数人を 殺害した。 このことは 直ちに、PKI へ その責任が 転嫁されたが、無論、Untung 大佐には、彼を ささえる 人民の 活動など なかった。 そして、PKI 指導部は、その潔白を 法的な 手続きに 委ねることを 決定し、それゆえ、人々を 武装させることは なかった。 スカルノに 対する クーデター これは、Abdul Harris Nasution 将軍と Mohamed Suharto に 率いられた、U.S.に 養成された 右翼に、スカルノ政権を 倒すための 反クーデターを 仕組む 口実を 与えた。 「インドネシアを 救うためには、それを 撲滅しなければ ならない」 これは、第2次世界対戦中、ナチスや 日本人に 対し、無差別爆撃を 実行したとき、U.S.政府が くり返し 採用した 論法である。 また これは、第2次世界大戦で、ペンタゴンが、ワルシャワ以後 2番目の 規模で、マニラを 爆撃、市街を 壊滅させたときに 使われた 論法であり、その結果 10万人以上が 死亡した。 U.S.帝国主義は、その 傀儡である Nasution と Suharto とに 働きかけ、加えて CIA の 手法を 用いることで、インドネシアにおいて、最終的には 150万から 300万に のぼる 生命を 奪った、恐るべき 大量殺人へと 駆り立てた。 KAMI 集団は、この 1965年の 反共主義者による 大虐殺において、重要な 位置を 占めていた。 スカルノ時代、中国系 インドネシア人に 認められていた 平等の 権利を 破壊するため、反共主義者の 軍の殺人者たちは、反中国人ヒステリーと 人種差別主義者の 狂乱を 駆り立て、それは、インドネシア群島の 村から 村、島から 島を 一気に 押し流し、彼らの 誰一人として、この 虐殺から 逃れることは できなかった。 CIA が 用意した 死のリストを 手に、反共主義の 殺戮者たちは、PKI の 党員 もしくは その支持者である 容疑の かかった 者を、一人残らず 捕まえ、そして 即座に 殺害した。 数十万という 無防備な 人々の血で、河は、文字どおり、赤く 染められた - 労働者、農民、また 同じく 知識階級の メンバー、男女 子どもを 問わず、無差別に 虐殺が おこなわれた。 PKI の 存在は、この地表上から、ほぼ 完全に 抹殺された。 ●統一協会が出した資金による、傭兵により行われたボリビアのクーデターと言論統制 http://like700.hp.infoseek.co.jp/38.html Moon also associated with right-wing South American leaders implicated in cocaine trafficking. In 1980, Moon’s organization made friends with Bolivia’s “Cocaine Coup” conspirators who had overthrown a left-of-center government and seized dictatorial power. 統一協会は、コカインの不正 取引に関与していた南アメリカの右派のリーダーと親しく付き合っていた。1980年に、統一協会は、ボリビアの「コカインクーデター」の共謀者と親しく付き合っていた。コカインクーデターと言うのは、当時の左派政権を転覆し独裁政権を立てた政変のことである。 The violent coup installed drug-tainted military officers at the head of Bolivia’s government, giving the putsch the nickname the “Cocaine Coup.” この暴力政変は、ボリビア政府の上層部の、麻薬に汚れた軍の将校によって企てられたものであり、この反乱は「コカインクーデター」と名付けられた。 以下のページに、コカインクーデターと統一協会のかかわりについてもっと詳しく書いてありました。 http://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html Dark Side of Rev. Moon (Cont.): Drug Allies The Cocaine Coup Cometh 文師の暗黒面:麻薬連合 コカインクーデター On July 17, the Cocaine Coup began, spearheaded by Barbie and his neo-fascist goon squad dubbed Fiances of Death. "The masked thugs were not Bolivians; they spoke Spanish with German, French and Italian accents," Levine wrote."Their uniforms bore neither national identification nor any markings, although many of them wore Nazi swastika armbands and insignias." 1981年7月17日に、コカイン政変(クーデター)が起きた。それは、(元ナチ幹部の)クラウス・バルビーと、死のフィアンセというあだ名で呼ばれた彼のネオナチスの部隊に先導された。「マスクをした強盗団はボリビア人では無かった。彼らはドイツ訛りや、フランス訛りや、イタリア訛りのあるスペイン語を話した。」とLevineが書いている。「彼らのユニフォームは、どの国のものとも分からず、何のマークも無く、ただ、ナチスのカギ十字(卍)の腕章とバッジだけを付けていた。」 |