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創価学会と言えば電車の車内つり広告に見られるような華麗な宣伝が目に付くようですが、それとは裏腹に様様な問題を含有させていることもよく知られていることです。
そうした諸問題のうち、よく知られていることは創価学会と政治の問題でしょう。
その第一は、創価学会と公明党との関連に見出せる憲法上(憲法20条)の疑義もしくは疑念等々。
その第二は、創価学会と宗教法人法の問題。
これは過去に引き起こしてきた様様な諸問題と宗教法人法から、その的確性が各方面から問われ続けています。
今回はこうした創価学会が抱える諸問題のうち、宗教団体としての的確性に関するものとして、彼らの信仰の根幹たる創価学会と本尊に関する考察を試し見ることにします。
以下は『創価学会』と信仰の根幹たる『本尊』をキーワードにした検索結果です。
■Google検索 創価学会 本尊 での検索結果 約 84,900件
この検索結果から極めて目立つのが『ニセ本尊』に関する様様な情報です。
ちなみに、創価学会 ニセ本尊 で検索してみますと、
■Google検索 創価学会 ニセ本尊 での検索結果 約116,000件
という検索結果が弾き出されてきます。
同様の検索をYAHOO!で実施してみますと、
■YAHOO!検索 創価学会 本尊 での検索結果 約709,000件
■YAHOO!検索 創価学会 ニセ本尊 での検索結果 約 35,200件
という結果を弾き出しています。
こうした検索から出てくる諸情報の一例として、以下に示す情報に触れることが出来ます。
★創価学会第四項/魔性・ニセ本尊の大謗法
http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/html/souka_4.html
★創価学会『ニセ本尊』破折総目次
http://homepage3.nifty.com/y-maki/souka/nisemokuji.htm
★創価学会版ニセ本尊の正体
http://myokan-ko.net/menu/te/1.htm
信仰上の問題とは、それを信仰するものにしか理解できないものかもしれません。
が、その信仰を持たない門外漢には何も判らないかというとそうでもありません。
信仰、つまりそれを持つ宗教団体とその的確性に関することは、門外漢であってもその適否を考察することは可能なはずです。
上記に示した検索情報の一例から、創価学会の信仰の根幹とも言える本尊に疑義があることが窺えます。
こうした疑義は宗教法人法に基づくその適否にも関わるように思えます。
これは以下のように考えることによって見えてくることです。
例えば、或る宗教団体があるとしてます。その宗教団体が信仰対象としているものがデタラメであったとしても、宗教法人法はそれをも信仰の一つと認めているものなのか否かという問題です。
もし、宗教法人法が、その信仰対象のひとつがデタラメでもよしとしているならば、デタラメに法人格を与えることになり、そしてそれが課税上の優遇処置に繋がるという、デタラメの極致にお墨付きを与えうるという、トンでもないことになります。
このようなことが宗教法人法上、なんら問題なしとするならば、
それこそ『鰯の頭も信心から』からの諺どおり、いい加減テキトーな信仰対象をでっち上げても、それに法人格が付与されていくことになります。
果たして、このような考え方は宗教法人法の根底に横たわる物事の考え方として妥当なものと言えるものでしょうか。
さて、創価学会がその信仰対象としている本尊とは、創価学会が独自に作り出したものではなく、日蓮正宗総本山大石寺第二十六世日寛上人御書写の本尊を元にしていることが判ります。
創価学会の問題に御関心のある方なら既にご存知であるとは思いますが、
日蓮正宗と言えば、創価学会が蛇蝎のごとく忌み嫌う宗派であるということでしょう。
それは過去に繰り返されてきた日蓮正宗に対する創価学会側のありとあらゆる誹謗中傷罵詈雑言からも判ることです。
ところが創価学会は、それほどまでに嫌う日蓮正宗を、あろうことかその第二十六世日寛上人御書写の本尊を元にした本尊をありがたく拝んでいるわけです。
こうした在り様は門外漢から見ても極めて奇異な話です。
創価学会の永遠の指導者池田大作氏も、この日蓮正宗の第二十六世日寛上人御書写の本尊を元にした本尊をありがたく拝んでいるわけでしょうから、尚更です。
これを簡単に図式化すると、
創価学会は組織一丸となって日蓮正宗を叩きまくりながらも、その本尊は日蓮正宗僧侶の本尊を元としているということなわけです。
なんとも奇妙奇天烈な光景を垣間見るようです。
なぜ、創価学会側は日蓮正宗僧侶の本尊を元にしなければならないのか?
その必要性がどこにあるのか?
日蓮正宗を罵り悪態をつき唾棄し叩くまくる創価学会ならば、なにも日蓮正宗僧侶の本尊を元にする必要性はどこにもないように思われます。
むしろ創価学会は自分達が考案した新たな本尊を製造し拝めばいいわけです。
こした考えを推し進めていくある妥当な考えに到達します
創価学会の信仰対象の本尊として一番ベストな形態は、創価学会の永遠の指導者池田大作氏が本尊を書写することです。
そしてそれを全ての創価学会員に拝ませればいい。
なんとなれば池田大作氏は全ての創価学会員の師匠であり全ての創価学会員は師匠池田大作氏の弟子なわけですから。
ならば師匠が書写した本尊を全ての創価学会員はあり難く頂戴し拝めるはずです。
師匠が書写した本尊を拝めないなどという不届きな弟子はいないはずでしょう?
いたとするならば、それこそ師匠を裏切る恩知らずであり、犬畜生にももとるわけです。
いかがでしょう?
また、全ての創価学会員が師匠池田大作氏の弟子という自負があるならば、この際ですから師匠池田大作氏に本尊書写を懇願すべきでしょう。
『お願いですから私たち創価学会員のために本尊を書写してください!』
と熱烈に懇願するのです。
それでこそ師匠の弟子というもの。
弟子ならばそのくらいすべきではないか?
と、かように思うのですが、いかがでしょう?
さて、このアイデアに何か問題でもあるでしょうか?
こんなことをすると宗教法人法上の的確性を問われる?
まかり間違えば法人格剥奪される?
もし、宗教法人法がデタラメな信仰対象をも含めて、それを信仰対象として認め、法人格を付与していると考えるのが正しいとするならば、
何者をも畏れることはありません。
池田大作氏直筆の本尊こそが、絶対に正しく日蓮大聖人の御心を反映させた唯一無二の本尊であると、創価学会が全世界に対して示せばいいわけです。
こうした上で、日蓮正宗を罵倒するならば、それはそれで筋が通るお話になるように思えますが、いかかがなものでしょう?
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