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2017年6月17日 11:53:44
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中杉 弘の徒然日記 宗教団体のつくり方
2016-07-12 00:00:00 テーマ:創価学会 https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/theme-10084943433.html全文転載
宗教団体を皆さんは錯覚しています。教義があり、修行があり、儀式があります。これが宗教団体だと皆が考えています。良い教えならば人は集まってきます。 実際は全く違います。宗教団体はお金を使えば誰でも教祖になれます。誰でもなれる教祖ですから、貴方でもなれます。「お前、今日から教祖になれ」と言えば、なってしまうのです。ただし、教団が大きくなるためには、創価学会、幸福の科学、大山ねずの命神示教会、天理教など、多額のお金がかかっています。
今、僕に「教団をつくってみろ」と言われたらできません。100億円のお金が必要です。ただし、「教団とは、創価学会のようなもの」ということです。
本当は一人でも教団になりますが、大きくしていくためにはお金がいります。幸福の科学が良い例です。最初は西荻にいたのです。僕と同じころに宗教活動を始めたのです。西荻に2階建てのアパートがあり、その1室でやっていたのです。
幸福の科学は気が付くと、あっという間に紀尾井町の家賃5千万円の事務所に本部を移したのです。あちこちに土地を買い、会館が建ったのです。あっという間です。
「あれ、このお金はどうしたのだろう。誰がこのお金を出したのだろう?」というのが僕の疑問です。若き悩みを持った信者を50名集めて、「さあ、教団をつくろう!」と言っても教団はできません。集まってくる連中はお金を持っていません。
年寄りのお金を持った金満家が100名集まり、「みんな1億円ずつ出せ」と言えば、100億円集まるから大きくなるかもしれません。お金もない奴を何名集めても何の力にもなりません。幸福の科学は、どこかでお金が入ったのです。
●幸福の科学は最初、「アイチ」だと言われていました。ウワサですから真相はわかりません。●アイチという金貸しがいて、これが暴力団の下請けをやっていたのです。これが幸福の科学にお金を入れたのです。まあ、100億円は入っていないでしょうが、10億円は入れたのでしょう。
すると、紀尾井町に本部が移転できます。何故、紀尾井町に本部を移すのかというと、広大な本部を見せつけて「幸福の科学はお金を持っているぞ!」と見せつけるためです。するとお金が欲しい奴が「あそこの教団はお金があるらしい。あそこへ行くべ!」と、皆がお金をもらいに行くのです。お金をもらいに来るのを「給料」というのです。
ただで配るのが教団ではないから、社員にして囲い込むのです。格好だけつけるのです。舞台でやる演劇のようなものです。舞台に5千万円の家賃の事務所を借りて、そこに理事長・幹部と名前をつくり、お金をもらいにくる奴にお金を渡しながら、組織をつくっていくのです。
そのうちに、本当にお金が取れる奴も仲にはいるのです。「1億円持っています」と言えば、「貴方、幹部にするから10億円お金を出しなさい、理事にします」と言うのです。2千万〜3千万円のお金では幹部にはなれません。もともと100億円くらいお金を入れているのですから、今度は回収に回るのです。そのようにして教団は大きくなるのです。だから教団は「お金がある」と言うのです。
●幸福の科学が紀尾井町に行った段階で来た連中は、ほとんどが創価学会の幹部です。創価学会理事や、元区会議員だったという奴が、幸福の科学にお金をもらいに行く側なのです。学会の中では大した出世はできません。お金にもなりません。「新しい教団ができたから、そっちへ行って一旗あげるべ!」という奴らがワーと集まってくるのです。
当然です。今度はお金を巡って争いが起きてくるのです。これが大川隆法の奥さんとの離婚です。信者が大川隆法について、奥さんについてお金を巡って争うのです。
教団はお金を入れないと絶対に大きくなりません。企業にも損益分岐点があります。損が利益に変わるときを損益分岐点といいます。それを超えれば儲かりだすのです。
これが教団の作り方です。教祖は誰でもよいのです。赤い着物を着て巫女さんの格好をしたり、神主の格好をして、「頭が高い〜〜、下がりおれ〜〜〜〜。ひれ伏すのじゃ〜〜〜」と言えばよいのです。教祖はそれでよいのです。誰でもよいのです。お付きの人間が「今、神様は怒っています」と言えばよいのです。
大山ねずの命神示教会は、小金町の風呂屋の親父が気が狂ったのです。お客が帰ると風呂を掃除して板をかぶせて、その上に乗っかり独り言を始めたのです。「神様、おいでいただいたのですか。有難うございます」と一人で始めたのです。
見ている連中が「独り言を始めたみたいだぜ」「何か、神様としゃべっているみたいだぜ」と言い出して、みんながのぞきにきたのです。親父が一人で落語をやっているようなものです。それをのぞきみしている人がどんどん増えていったのです。
その内、「わらわは大山ねずの命だ」と言い出したのです。「大山ねずの命ってなんだ?」とウワサしていると、「わらわはこの地上を救うために現れたのじゃ!」と始まってしまったのです。
その瞬間に見ている人がひれ伏してしまったのです。「わしは毎日ここで説法しているからな」そのようになってしまったのです。
それだけでは宗教団体にはなりません。その神様と風呂屋を利用して組織を作っていく奴がいないと組織にはなりません。教祖はお金のことは言いません。狂ったことを言えばよいのです。お付きの人が「神様はこの地上に降りたいのだけれどもお社が欲しいと言っています。皆さん、お社のお金を奉納しましょう」という人がいなければ、組織はできません。そいつが担いで「大山ねずの命にお社を造りましょう」と言い、寄付をどんどん募るのです。
その代り、「寄付した者の病気は治してやるぞ、と神様が言っています」と、そうやってつくっていくのです。今は3万円を持っていくと、小金町の駅からアリの行列のように2キロくらいずらっと並んでいるのです。今でも並んでいます。しもた屋のようなお社がありますが、入り口から入って拝んで、出口から出てくるのです。そのときに3万円を御寄進するのです。
すると出口から出るときに「車代です」といって、1万円くれるのです。そのような仕掛けになっているのです。「大山ねずの命はすごいぜ、みんなでお参りに行こうぜ!」と連れていくのですが、1万円欲しくて行くのです。一人連れていくと、1万円です。5人連れてくると5万円くれるのです。そのような歩合と寄付で大山ねずの命神示教会は大きくなったのです。
●学会も同じです。学会が成功したのは、戸田城聖が言った「幸福製造機」を発行したからです。「日本政府はお金を発行します。私は幸福製造機を発行します。幸福製造機は、いかなる何万円札よりも価値がある」と戸田城聖が言うので「そんな有難いものならばもらうべ」となります。それが御本尊です。
「この本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕(あらわ)れざるなきなり。」
戸田城聖は「道理はすべてわかる。事実として祈りがかないます。まさにこの御本尊は幸福製造機である」とやったのです。
創価学会は「これを100万人に広げろ!」とやったのです。何しろ、100万人できてしまったのです。「戸田先生のお言葉を聞きたい」とみんなが聞きにきます。ご説法ではなく、祈りが叶うことを聞きたいのです。「祈りが叶う」ということを戸田先生が言ってくれます。「この幸福製造機を持っていれば、どんな祈りも叶うのです」と言います。
戸田先生は「この御本尊をお祀りして、1日朝30分、夜30分のお題目を唱えて、月に1人の折伏をやりなさい。仏の使いをして祈りが叶わないならば、戸田の命を取りに来い!」とやったのです。「戸田先生がそこまでいうならば祈りは叶うだろう」と思ったのです。
一月一人の折伏です。幸福になるために創価学会員の滅茶苦茶な折伏が始まったのです。しかし、自分はまだ幸福になっていないのです。でもそれをやらなければいけません。そのためにウソをついて「病気が治り、こんなに健康になりました」「お金も儲かるようになりました」「何も心配いらない境涯になりました。貴方も入りなさいよ。お婆ちゃんも病気でしょう?」とやったのです。
本当は自分の祈りがかなえたいのです。適っていないのに折伏をやっていったのです。1日お題目朝晩30分、勤行は別にあります。一月一人の折伏をして、「祈りが叶わないならば戸田の命を取りに来い!」と言われて、ウワーと広がっていったのです。
今そんなことをやってももうダメです。御本尊を使って、その結果を皆が見てしまっています。「御本尊を拝んだら離婚した」「御本尊を拝んだら、あのオジサンは死んだ」「御本尊を拝んで保険金殺人で捕まった」という結果が出てしまい、そんなことは言えなくなってしまったのです。一月の一人の折伏など誰もやっていなかったのです。
創価学会はそのような方法で教団が大きくなったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー J-CASTニュース 長井秀和、「宗教」ぶっちゃけ投稿連発 「幸福の科学」「創価学会」ネタに得意の毒舌 2017/2/16 14:00 https://www.j-cast.com/2017/02/16290773.html?p=all
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