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ー『現代中国驚愕ルポ』ー
《革命のかまど》上海で見える繁栄の裏の実相(上)
『季刊日本主義』NO16 号―20011年冬号の転載
辛亥革命から100年を過ぎた10月10日。中国政府はは孫文が掲げた三民(民族、民権・民政)主義の「正統性」を訴えるべく、テレビを通じて中国全土で辛亥革命をたたえる行事が盛んに行われていることを伝えていた。
しかし、中国は今、経済の大発展を実現した政府の目論みとは違って、成長の裏側は100年前と変わりながないほど人心の荒廃が進んでいる。
貧富の差なく手段を選ばずカネを求め、党幹部・官僚は我欲に走って汚職をいとわない。しかも、政府が国民をコントロールするために定めた一人っ子政策や先富主義が国家を揺るがしかねないほどの矛盾となって噴出している。←
孫文がもし蘇ったら「革命の時が来た」と憂うる状況にあるのではないだろうか。
松山徳之(経済ジャーナリスト・在上海)
まつやま とくゆきー明治大学卒。証券会社社社員、専門誌記者、フリーライターを経て、『週刊エコノミスト』記者(毎日新聞社)となり、別冊『中国ビジネス』を創刊。退職後、活動の舞台を上海に移し、庶民の目線で中国を観察している。
私は、上海の生活で中国の繁栄を深く実感している一方で、「革命が静かに始まっている」と思うようになった。理由の1つは、民衆の突き上げという改革開放後、初めての事態が起こったことだ。このことはもしかしたら、後年、人びとが、「あれが第二の辛亥革命″の始まりだった」、ということになるに違いない。
南巡講話、WTO加盟、リーマンショックと節目のたびに、中国は変革し、今やGDPが世界第2位、外貨保有高は世界最大となって世界経済を左右するほどの力を持つ大国となった。
ところが30年に及んで続いた経済成長の裏で覆い隠されていた問題がゴム風船のように膨らんでおり、いつ破裂しても不思議でない状況が生まれている。
破裂の始まりは、中国が国家威信の昂揚を狙って世界最速を誇った中国版新幹線の高速鉄道が脱線事故を起こしたことがきっかけだった。脱線事故は天安門事件、新疆やチベット暴動などのように国家の存立を脅かすような事件とは違う。
炭鉱事故や食品事故と比べても、死者は35人と少なく、事故としては小さなものだった。だが、高速鉄道事故は政府にとって小さなものだったにも関わらず、中国政府を驚がくさせるほどのインパクトをもたらした。
高速鉄道事故の報に、多くの日本人はやっぱり″と思っただろう。35人の死を出す大事故だったにも関わらず、翌日には事故原因を究明するために不可欠なカギ″ である鉄橋から落ちかかった先頭車両を砕いて土中に埋めた。批判が起こると列車を掘り起し、翌日には何事もなかったかのように運行を再開したからだ。
ところが、日本人の感覚では異様に映る「証拠隠し」を、中国鉄道省は事故車両を真相究明の証拠とさえ認識していなかった。記者会見で土中に埋めたことを問われると、鉄道省幹部がごく当たり前のように「埋めたのは、車両でなく鉄屑」と語って、海外のマスコミを驚かせた。
閉鎖的な独立国家として権力が飛びぬけて強く、事故の事実を消し去りたい中国鉄道局にとって証拠の車両を土中に埋めるのは自然なことだったのだ。
ところが、鉄道事故の遺族は権力とカネの力で強引に事故を消し去ろうとする鉄道局の脅しに屈せず、「事故隠し」 に怒りの声を上げ、真相の追及を求めた。一般の人びとが地方政府や国有企業を責めることは、革命と言っていいほどの大変化である。
それを促したのはマスコミである。革命後、何百万、何千万人が飢餓や天変地異、政変で死亡した。また、チベットや新彊の動乱では多数の人が亡くなっている。しかし、それらの騒動が国民に伝えられたことはない。マスコミが政府の完全な支配下にあったからだ。
しかし、高速鉄道事故の報道ではマスコミが大きな変化を見せた。政府が取捨選択したニュースを報道することに甘んじていたテレビや新聞が一転、堰を切ったように 政府と鉄道省″批判を繰り拡げたのだ。むろん中国を代表するCCTV(中国中央電影局)や『人民日報』は初め、淡々と列車事故を伝えた。ところが、政府の代弁者だったCCTVと『人民日報』が事故の翌日からガラリと報道姿勢を変えたのだ。
本来なら中国にある何百何千という新興媒体が、CCTVや『人民日報』に倣って政府批判に繋がるような鉄道省批判は抑えるのが普通である。だが、逆に歴史の浅い小さな新聞がどんどん政府と鉄道省批判を始めたのだ。
新興のメディアは読者がなくては経営がなり立たない。しかも、インターネットは地方政府をシビアに監視して報道するから読者の評価は高くなる構造にあり、CCTVや人民日報のライバルになり始めていた。だから、CCTVや『人民日報』にしても報道の目線を読者に置 マスコミの状況が大きく変化している中で、強大な権力で君臨していた鉄道省の象徴である高速鉄道が事故を起こしたのだ。
約4億人のユーザーを擁するインターネットが真相を暴き、新興メディアがそれを掘り下げる。こうしてCCTV、人民日報が政府批判に直結する報道にならざるを得なかった。
マスコミが真相を求め権力の不都合を追及するという事態は、共産党政権樹立後に起こった初めての現象だ。
この事態に中国政府は驚がくし、世論に恐ろしさを抱いたはずだ。中国政府は事件の5日後に温家宝首相を事故現場に派遣し、100人を超える内外の記者の前で、事故原因の徹底調査を約束する事態にまで追い込まれたのはその証しだ。
中国のマスコミが変革を始めた切っ掛けは、東日本大震災を伝えたCCTVの報道である。3月日日の震災直後から、CCTVは24時間体制で繰り返しNHKや民間放送の映像を流した。廃墟となった街、炊き出しに整然と並ぶ人の列、原発から昇る白煙……津波と原発の恐ろしさを伝えると同時に、被災者が秩序を保って耐える姿は、日本人のモラルの高さを伝える結果になった。
同時に、管首相が避難所を見舞った際、通り去る首相に「もう帰るんですか」「無視するんですか」と怒りの声を挙げた映像や、東電の社長に向かって「土下座しろ」と怒鳴る場面に、中国のジャーナリストは「中国だったら死刑になる。民主主義とはこういうことか」と実感し、憧れを抱いた。
私も、中国のジャーナリストに記者会見では「本当になんでも質問出来るのか」と聞かれた。こうしたことが、インターネット・ジャーナリストやブロガーを勇気付けたことは間違いあるまい。
拡大し続ける格差
「革命が静かに始まっている」という2つ目の理由は格差″ の更なる広がりである。上海の普通の光景からお伝えしよう。
夜明けを伝える東の空があかるさを見せ始めた午前6時頃になると、私の住む、高層ビルが林立する上海市の新市街・浦東新区の裏町にある市場″の周りに、もぐりのモノ売りが何十ものリヤカーやオートバイ、電動自転車にリンゴ、白菜、ジャガイモ、冬瓜、ミカンなどを小山のように積んで集まって来る。彼らが広げたシートには生妻、ニンニク、人参、チンゲン菜などの野菜に始まって、ニワトリ、鴨、ハト、カエル、スッポン、蛇、ザリガニとなんでもあり、その場で器用に捌いて見せる。
そんなモノ売りの一角には、安物の靴下や肌着、雑貨を並べたシートの店がいくつも並び、「もっとまけろ」「安いよ」と大声が飛び交う。
この光景に多くの人は「中国人のたくましさ」と感心するだろう。彼らが店を構え鳩首の前は、改革開放以前から続く巨大各市場だ。体育館のように広い建屋に何十という野菜、肉、魚などの政府公認の店″が入っている。当然、市場の回りのシートを敷いただけの即席店舗は無認可″だ。
だから公安の姿を見ると、驚くほどの速さで店をたたんで逃げる。公安に捕まったら商売道具(リヤカー、オートバイ、秤、商品)は取り上げられたうえ、罰金を取られる。それでも彼らは懲りることなく公安とイタチゴッコを繰り返す。
近在の農民もいるが、ほとんどが地方出身者だ。赤子を連れた若い夫婦、安徽省の田舎に子供を残してきたという夫婦など、彼らに共通するのはカネを稼ぐという強い執念である。スキを見せれば秤を誤魔化し、客が選んだ品を傷んだ物にすり替えるのも悪いと思っていない。
食事を見れば、実に粗末で、地溝油(下水から作った油)を使う安い屋台が専門だ。
上海市の人口は約2300万人。このうち上海戸籍を有する者は約1800万人。その差のほとんどが地方戸籍で、その数は公表の数値を超える約800万人超と推定されている。
つまり、彼らは上海戸籍が無いために子弟に満足な教育を受けさせることも出来ず、病気を患っても保険を持たないために医者に診てもらうことも適わない。教育が無いため就職が難しく、打工(建設現場労働者)に就ければ運のいい方だ。
そうした仕事すら就けない人は、知恵を絞って物売りになる。それも適わなければズタ袋を背負って捨てたペットボトルを拾い集めて歩きまわる。マントウ1個を買うには何時間も拾い続けないといけない。
そうして寝に戻る住まいは1日中光が射すことのないビルの地下室の物置きだったり、改革開放以前の壊れかけた低層住宅の屋根裏だったりが大部分だ。それでも、故郷の貧しい生活より、豊かさを手に入れられると都市に流入してくる。
中国の自殺者は年間30万人を超える。自殺をするかどうかさ迷う人が10倍の約300万人で大多数が農村の、しかも、その6割が女性と言われる。貧しい上に、女性が蔑視されているからだ。
一方、都市戸籍を持つ上海人は住宅を支給される権利を持っていたから都市の再開発でグレードの高いマンションを手に入れることが出来た。住宅の悩みが無い大都市の市民はその分だけ生活に余裕がうまれるから、経済成長の恩恵を一身に浴びることが出来、消費を牽引した。
しかし、地方出身者は戸籍の差が壁になって住宅、教育、医療…で差別されていて、同じ中国人でありながら貧しい出稼ぎ外国人のような存在になっている。彼らが大都市で住宅を手に入れることは宝くじを当てるより難しい。
昨年3月、全国人民代表者大会の直前、温家宝首相が住宅をめぐる悲哀をテーマにして大ヒットしたテレビドラマになぞらえて、「私も『蝸居』(カタツムリの住むような小さな家)に住んでいた」と発言して話題になった。だが、そのことは住宅に象徴される中国の格差が半端でなく深刻な問題になっていることを示している。
実際に中国の都市に林立する高層ビルの裏側では、いかけても住まいを手にできない人びとの悲哀の詰まった『蝸居』が増殖を続けている。わが住まいの近くにも蝸居より、さらに貧弱な『群居』と呼ばれるマンションの1室を
複数に区切り、そこに2段ベッド10個で20人ほどが生活する蟻族″の蚕棚部屋がある。不動産屋の話では、これが増えているのだという。
北京や上海を観光で訪れ、高層ビルが林立する近代的な都市を見た人には、スラム社会の到来が近いなどとは信じられないだろう。しかし、その状況は中国の経済学者が巨大なスラム社会が生まれつつあると警告するほど深刻なものだ。
身の回りの例で説明しよう。
上海の小さな水屋で配達人として働く張添明さんの1日は朝9時に始まる。前日に注文のあった18リットルのボトルをオートバイに8本積んで配達を繰り返し、午後はその間に電話で注文の来た家に配達する。
注文の増える夏場は残業代が多いのが喜びだ。しかし、張さんは汗のかいた体をシャワーで洗いたいのだが、住まいは窓も水道もトイレもない。
ビルの壁を利用した粗末な小屋で、道路側にある水道で行水するのがやっとだ。寒くなると、それが出来ないのが悩みだ。仕事先で出された食事を終え、自分の住まいに戻ると、あるのほ乳んだベッドと貴州を出た時に下着と洗面道具を入れたバックだけだ。テレビもラジオもない。
収入は1カ月2000元(約2万5000円)になるかどうかで、部屋代400元(約5000円)と身の回りの雑貨品の購買費を差し引くと、ほとんど残らない。
楽しみは友人と交わす携帯でのメールと会話だ。恋人が欲しいが、女と付き合うカネも自信もない。「カネを稼ぐ」夢を追って貴州を飛び出してきたが、上海人並みの生活を実現するのは不可能と思うようになっている。将来の収入を考えると上海での結婚は考えられないという。
その光景は1842年に対外貿易港として上海が開港し、列強が進出して租界を設け、世界中から人とモノとカネが集まり、「魔都」と呼ばれるほど渦巻いた欲望が弱者を犠牲にして成り立っていた時代に似ていよう。
列強が上海市の中央を流れる黄浦江沿いの外灘に競って当時の最新技術で高層ビルを建てた。これをなしたのがせっ江省出身の貧しい農民だった。そして今、1949年の革命以降、手が着けられなかった上下水道を整備し、道路を片側3車線、5車線へと広げ、近代的な都市へと変貌させた現場労働者が地方出身の農工民と呼ばれる人々である。
( つづく)
http://maesaka-toshiyuki.com/detail/1121
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