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元北京大学副学長・集国標氏によると
90年代末に突如として起こった中国の「日本」と「日本人に対する憎悪の感情」は、実は中国中央宣伝部(中宣部)の指揮により行なわれていたことが、明らかになった。
「反日運動」のきっかけは、ごく些細なある出来事がきっかけで、個人的感情のもつれだったという。
1998年11月、江沢民国家主席がはじめて訪日した。中国は、将来的な自国経済飛躍をはかるために、日本と中国との関係を盤石なものにしておきたかった。その一方で、面子を最優先する江沢民は、国内感情を考慮に入れると、そう簡単に下手に出る訳にはいかなかった。
そこで会談した小渕恵三首相に対して、日中共同宣言の中に「過去の侵略戦争に対するおわび」を盛り込むように要求する。しかし日本側としては過去何度も公式文書でも謝罪しており、「これ以上の謝罪の必要はない」と原則を貫いた。
しかし、前月訪日した金大中大統領との日韓共同宣言で「過去の植民地支配に対するおわび」という言葉が明記されていたことを掴んでいた中国側は、この日本側の対応に「面子を潰された」と激怒したという。
帰国後すぐに江沢民は、中宣部に大々的な「反日運動」を発動しろと命じた。これがことの真相だそうだ。
ちなみに、その後小泉純一郎が訪中し、盧溝橋の抗日記念館で黙祷を捧げ、日本政府としての公式謝罪を行ない、膨大な円借款を交わした。このことは、日本国では報道されたが、中国では一切報道されなかった。驚くことにそれと全く逆のことを中宣部をつかって報道された。それは「小泉の靖国参拝」と「日本軍国主義のの復活ここに極まれり」など反日感情を煽る記事を書立てられたのである。
その後の「中国固有の領土である釣魚島を日本が不法占拠している」のプロパガンダや、05年の大暴動へと発展してゆくのである。
国際的な歴史的史実としては
帝国主義烈強と戦ったのは清の軍隊であり、義和団であり、国民党軍だった。毛沢東軍は、国民党軍が疲れ果てるのを待っているだけであったこと。史実でみても、中国が開放されたのは、日本がアメリカに負けただけのことである。中国共産党は何もやっていないのである。
いまだに中国の歴史教育は、中宣部などのを含めて、祖国の開放は毛沢東の率いる中国共産党の偉業であると教え続けている。
集国標氏も「中宣部の活動実態はナチスゲッペルスの「嘘も1000回繰り返せば真実になる」と共通するものであると指摘している。
一般の中国国民には、膨大な日本からの円借款により、上海浦空港の大型飛行場、複数の発電所、高速道路や港湾などの交通インフラなどが、できたことが全く知らされていないのである。
日本はいつまで、無口で見返りの無い援助を続けてゆくのだろうか。
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