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公然と繰り広げられる人身売買、脱北女性の証言 加藤嘉一・中朝国境をゆく(6)
2011.04.13(Wed) 加藤 嘉一
中国
(前回はこちら)正しい北朝鮮情報は運び屋に聞け 加藤嘉一・中朝国境をゆく(5)
夜中に中朝国境付近で密かに実施されるというマツタケのディールまでは、まだ10時間ほど時間があった。待ち合わせ場所を確認し、8時間後に再集合ということで、キムさんと男とはいったん別れた。
5年前に脱北した女性に面会
筆者はその間延吉市内に戻り、前に約束していた通りある喫茶店の個室に入った。
朝鮮族の知人の紹介で、5年前に北朝鮮から中国に、人身売買を通じて脱北してきたという40歳前後の女性に、一対一で話をする機会を得たのだ。
この女性は平壌近郊の出身で、肝臓の病気を抱える。心臓も悪い。本来であれば、定期的に病院に通わないと命に問題が出るほど、心身ともに脆弱になっていた。
自らの中国語と朝鮮語を含め、コミュニケーションを取りうるすべての手段を使って、彼女の心境に迫った。
加藤:なぜ脱北しようと決心したんですか?
決して簡単な選択ではなかったはずです。北朝鮮、中国、どちらのサイドでも見つかったら取り返しのつかないことになることは、ご存じだったはずです。
女性:本国にいた時、周りで多くの餓死者が出るのをこの目で見てきました。自分の夫も餓死しました。夫は毎日工場へ仕事に行っていましたが、会社は給料を全く払ってくれなかった。
国はお金はおろか、食料すらくれなかった。毎日腐りかけたトウモロコシで作ったお粥を食べるだけでした。1日1食です。生まれたばかりの子供が飢え死に寸前になったところで、脱北を意識しました。その頃、夫はすでに亡くなっていました。
飢え死にと背中合わせの日々
加藤:北朝鮮という国家の国民は、なぜ貧しいのでしょう。食べることすらままならないのは、どうしてだと思いますか?
特に中国に来られてから、どうお考えになりますか?
女性:祖国が貧しいのは、生産できない、土地がない、山ばかりだからだと思います。平壌は少しは都会かもしれませんが、私の実家も含めて、ほとんどの場所はとても貧しい。
とにかく、食べるものがないんです。食料がないんです。飢え死にするしかないんです。特に、1997〜98年の頃はひどかったです。毎日たくさんのヒトが飢え死にしていくのを、目の辺りにしました。
祖国にいた時も、中国の商人は目にしたことがあります。常にいろいろなモノを持ったり、運んだりしているようで、裕福だなと感じました。私たちとは住む世界が違うと思いながら、横目で眺めていました。
加藤:祖国のリーダーのやり方に問題があるとお考えになったことはありますか?
女性:金正日将軍が悪い人間だということは、認めざるを得ません。彼らが国を支配している間は、北朝鮮は永遠に良くならないでしょう。
国民が飢えているのに核開発は許せない
北朝鮮、坑道の掘削始める 新たな核実験の準備か
北朝鮮・寧辺の核関連施設の衛星写真〔AFPBB News〕
皆そのことを知っているけれど、決して声に出しては言えないんです。24時間監視されているんですから。
国民が飢え死にしている一方で、核開発を進めるなんて許せません。祖国が核開発をしていることは、脱北してから知りました。
金正日将軍のような人間が国を治めていては、国民のためになることは決してしないでしょう。彼らにとって、国民は人間じゃないんだから。
飢え死にしても何とも思わないんだから。毎日これだけたくさんのヒトが死んでいくことを、知ろうとしないんだから・・・。
ここで彼女は涙を流し始める。筆者はあえて何も言わず、彼女の次の一言を静かに待っていた。2分ほど経ち、彼女が再び口を開いた。
女性:5年前に脱北する直前、食べるものが全くなくて、子供も飢え死にしそうで、ジャガイモを植えられる場所を求めて、ちょうど中国との国境付近にまで来ていたんです。
そこでしばらく細々と過ごしました。ある日突然、脱北を手伝ってあげるという男性に出会ったんです。私のほかにもう1人女性がいました。
長春市で待っていた9歳年上の男
加藤:その男性に従って脱北したんですか?
女性:12月だったので、とても寒かったです。その男について、長白山のほとり、鴨緑江が凍っている時に、当時3歳でやせ細った息子を背負って脱北しました。
見つかることもなく、無事中国側に来られました。すると、そこにはもう1人の男が待っていました。その男について、吉林省の長春市まで行きました。そこで待っていたのは、自分より9歳年上の男でした。
加藤:その男はどういう人間だったんですか。その後どういう関係へと発展していったんですか?
女性:その男は農民で、酒は飲みませんでしたが、ヘビースモーカーでした。私はわけの分からないまま、何も聞かされないまま、彼と生活することになったんです。
彼は漢族だったので、朝鮮語は全くできませんでした。私も中国語はゼロです。コミュニケーションの手段はなく、何をしたらいいのか、何を買うべきなのか、彼は何を考えているのか、何も分かりませんでした。
加藤:そうですか。それはお辛い日々をお過ごしになりましたね。その後どういう日々を送られたのですか。お互いの意思疎通は改善していったのですか?
来る日も来る日も殴られ続けた
ここで、再び女性が号泣し始める。顔を両手で抱え、何かに訴えるかのように。
女性:殴られる毎日でした。彼は私が中国語ができないのが気に食わないのか、暴力を振るうことでストレスを発散しているようでした。息子を殴ることはほとんどありませんでした。私の右頬には、今でも殴られた後が深く、鋭く残っています。
苦しい日々でした。それでも、全く食べるものがなく、もう飢え死にするしかないのかと思う毎日を送っていた祖国での生活よりはましだと思って、ひたすら我慢しました。
加藤:その男とは今でも一緒に暮らしているんですか?
女性:その男と生活をして2年が経ちました。途方に暮れる毎日でした。ある日、同じように脱北してきた女性から、自分は人身売買の対象であった事実を聞かされました。
4000元で売られたそうです(その後筆者の調査では、北朝鮮女性の人身売買は3000〜4000元が相場、若くて美貌の女性は1万元を超えるという)。
私は自分がヒトとして生きていない、ヒトとして扱われていない、ヒトとしての存在意義を持たない人間だと悟りました。来る日も来る日も殴られる毎日で、とうとう我慢できなくなり、息子を連れて夜逃げしました。
加藤:そうだったんですか。でも、逃げてしまったら食べるのに困ってしまいますよね。息子さんも成長期で、多くの栄養分を必要とされたはずです。
女性:耐えられなかったんです。我慢の限界だったんです。息子は6歳になっていました。長春ではほとんど現金収入はなかったですが、農作物を売ったり、ペットボトルを拾ったり、掃除をしたりして、ほんの少しの人民元は持っていました。
そのお金で長春から電車に乗り、朝鮮族が集中する延吉を目指したんです。以前から、長春から延吉へと向かう同胞がいることを知っていました。
加藤:なるほど。それは正しい選択だったと思います。5年前であれば、延吉には北朝鮮からの方はまだたくさんいたんでしょうね?
母国語が話せたことで、精神的にはだいぶ楽になったのではないですか?
女性の救いの神となったキリスト教
女性:延吉に着いてから、最初は予想通り路頭に迷いました。でも朝鮮族がたくさんいるおかげで、生きていけそうな感覚がわいてきたんです。
教会事業に関わっているという朝鮮族のヒトに出会いました。彼は私をかくまってくれて、月に700元の生活費+居住費の援助をしてくれることになったんです。神様が舞い降りてきた、と思いました。教会の関係者には、一生の恩を感じています。
加藤:その後毎日教会へ行き、祈りを捧げているのですか。教会があなたの生活の拠点になっているのですか?
女性:そうです。毎朝3時半には教会に行き、キリストに祈りを捧げます。4時から始まるんです。これが今の私にできるすべてです。心をこめて教会で祈り続けるしか、私にはできません。
キリスト教のおかげで、私の心は優しく、きれいになりました。素晴らしい思想です。祖国にも伝わればいいと思います。でも、仮に伝わったとしても、あの国は変わらないでしょう。
金正日将軍の言うことだけが思想のすべてです。私は脱北してから世界観が変わりました。毎日韓国のラジオを聞いています。これまで全く知らなかったことばかりでした。
加藤:教会へ行く以外に、何か仕事はされているんですか?
女性:体の具合が悪いこともありますし、何より身分証を持たないので、基本的に仕事はできないんです。私は難民同然ですから。たまにヒトの紹介で掃除をしたりするだけですね。現金収入は教会がくれる700元だけです。生活はものすごく大変です。
加藤:息子さんも身分証がないんですか。それでは小学校とか色々不便な点が出てくるでしょう。どのように対応されているんですか?
身分証がないことでいじめを受ける息子
北朝鮮、中国の朝鮮族200人を拉致 韓国紙報道
北朝鮮・中国の国境に張り巡らされた有刺鉄線と張り紙〔AFPBB News〕
女性:息子は今年9歳になりますが、私と同様身分証は持っていません。現時点では、小学校にも、子供にも「長春に忘れてきた」と言って嘘をついています。身分証がないので、息子は学生証すら持てません。
そのことを理由に同級生からいじめられることも、よくあるそうです。以前、学校のグラウンドで息子がいじめられる現場を目にしました。涙が出てきて、その場でうずくまってしまいました。
いつかは学校側にばれてしまうだろうと、いつもびくびくしています。ただ、息子は何も知らない。私が脱北してきたことも。そして、人身売買の対象であったことも。そんなこと、母親として言えません。
ここで、女性は再び号泣し始める。筆者もあまりの残酷な姿を前に、涙をこらえることはできなかった。何も質問できなかった。ただ彼女の話に耳を傾けることしか、できなかった。
女性:息子の学費が月に300元、その他テキスト費、雑費などを含めると、息子の経費だけで月500元はかかります。残りは200元しか残らない。私が仕事をして、生活をもう少し楽にしたいけれど、病気を抱えているし。
何より、身分証がないから、どこも雇ってくれないんです。お金がないから、病気も治らない。自分の病気が今どれだけ悪いのかすら知らない。
それでも、長春にいた時よりも、そして祖国にいた時よりも、今の生活の方が全然いいです。自分で食べるものを選択できるし、朝鮮語も通じるんですから。
加藤:お友達はいらっしゃるんですか。教会以外に、人と接することは可能なんですか?
居場所が見つかってしまえば、拘束されて、下手をすれば祖国へ強制送還されてしまいますよね?
女性:友達をつくってはならないのです。知り合いが増えるということは、それだけ自分が脱北者であるということを告発される可能性が高くなるということです。毎日、摘発されるのではないかと怯えながら生活しています。
祖国には絶対に帰りたくないです。あんなつらい思い二度としたくないです。韓国に逃げようと考えたこともありますが、息子のことを思って、それに途中で捕まることを恐れて、これまで実行に移そうとも考えませんでした。
仮に捕まった場合、祖国に強制送還させられ、祖国の当局から事情調査を受けます。3つのことを聞かれるんです。(1)教会に参加していたかどうか。(2)韓国に行ったかどうか。(3)韓国のラジオを聴いたかどうか。
脱北者が送られるロシアの強制収容所
加藤:そうですか。あなたの周りで、実際に捕まった知人はいますか?
女性:ここ1年間で、教会で5〜6人くらい脱北者が捕まりました。そのうち2人が、韓国に行く途中で捕まったんです。
10年くらい前であれば、数カ月〜1年間ほど刑務所にいればよかったのですが、今では厳しくなり、死刑になる場合もあります。
そうでない場合でも、ロシアの誰もいない、決して逃げることのできない荒地に飛ばされて、奴隷として木材を伐ったり、労働者として働かされます。刑務所以下の生活で、ヒトが住むようなところではないそうです。
なぜロシアかというと、釈放された元脱北者が、北朝鮮国内において、口コミで中国での見聞を広める可能性をつぶすためです。
異国の地に完全隔離され、死ぬまで奴隷のように働かされ続ける。逃げることは決して許されない。これが、最近脱北者が激減した背景の1つかもしれません。
加藤:中国当局に見つかったことはあるんですか?
女性:去年の8月、公安当局が一斉に身分証の自宅検査を始めたんです。もうだめかと思いました。でも私は逃げ切った。
朝3時に家を出て、昼間は外で身を隠し、夜の12時〜1時に帰宅する生活を1カ月以上続けました。長春でもいつ捕まるかと、逃げ続ける毎日でした。この5年間、1日たりとも気が休まったことはありません。
加藤:これから、どうされるおつもりですか。10年後は何をされていると思われますか?
女性:10年後のことは全く考えられないです。1日を生き抜くことで精一杯です。仮に捕まったら、その時に考えるつもりです。今一番つらいことは、お金がないことと、捕まるかもしれないという恐怖ですね。
加藤:今一番欲しいものは何ですか?
女性:身分証です。
(つづく)
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