http://www.asyura2.com/09/china02/msg/453.html
Tweet |
大連パイプライン爆発事故の深層:日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100729/215631/
大連パイプライン爆発事故の深層
広がる海洋汚染、危機管理のずさんさも露呈『大孤山半島危局』
経済観察報記者 謝良兵
7月16日の夕刻、遼寧省大連市の経済技術開発区内にある順風里団地に住む杜東は、いつものように自宅で夕食を取っていた。すると突然、巨大な轟音が南の方角から聞こえてきた。彼は茶碗と箸を放り出し、南向きの窓に駆け寄った。すると、すぐに鼻腔を突く刺激臭がたちこめてきた。さらに十数分後、消防車のサイレンが次々に聞こえてきた。「これはおおごとだ」。杜東は心中で事態の深刻さを悟った。
午後6時11分、事故の第一報を中国中央テレビが伝えた。杜東の自宅から5.6キロメートルのところにある大連新港の石油備蓄基地でパイプラインが爆発し、火災が発生したのだ*。約1300人が暮らす順風里団地は、爆発地点から最も近い住宅地の1つだった。事故が起きたのは、大連市の中心部から北東へ20キロメートルほど離れた大孤山半島にある化学工業団地内。ここは、大連の基幹産業の1つである石油化学産業の集積地だ。
*この事故は、タンカーから石油タンクに原油を荷下ろしする作業中に起きた。この作業では、タンカーと石油タンクをつなぐパイプラインに原油から硫黄分を取り除く脱硫剤を注入するが、荷下ろしが中断したにもかかわらず脱硫剤を注入し続けた人為的ミスにより、パイプラインの爆発を招いた。
漁民がポリバケツで原油を回収爆発と同時に発生した火災は、15時間後にようやく鎮火した。7月18日、遼寧省公安庁が北京の公安省に送った報告書には、「我が国において前例のない大火災だった」と記述されている。
事故から4日後の7月20日、本紙(経済観察報)記者は事故現場への接近を試みた。この日の大連は強風を伴う大雨に見舞われていた。経済技術開発区の中心部から大連新港に近づくにつれ、耐え難い異臭を伴う空気が濃くなっていった。「このあたりには化学工場がたくさんあるが、こんなにひどい臭いは爆発事故の後からだ」と、地元のタクシードライバーは証言する。
ふだんなら、このドライバーの上得意は大連新港に小口の輸入貨物を引き取りに来る商人たちである。しかし爆発事故の後は、流出した原油の回収と汚染除去に当たる武装警察隊員や漁民を何人も乗せたという。
「爆発当夜、消防隊は4重の防火壁で囲んで火災の延焼を防ごうとした。しかし火の勢いが強く、あっという間に3層目まで破られてしまった」。ドライバーは、武装警察隊員から聞いたという話を臨場感たっぷりに語った。
事故現場に近い漁村の鯰魚湾村では、地元政府の要請で村中の漁船が駆り出され、海上に流出した原油を回収している。大連近海では6月初めから8月末にかけて禁漁期であるため、漁民たちは政府の要請に応じた。回収作業に加わったある漁民によれば、早朝4時から出航し、ポリバケツやヘルメットを使った手作業で原油をさらっているという。
鯰魚湾村の海岸には、船体が原油で真っ黒に汚れた漁船が係留されていた。先の漁民によれば、800艘の漁船が原油の回収作業にあたっており、毎日20トン余りを回収している。これらの漁船には、1艘当たり1日1000元(約1万3000円)の手当が支払われている。だが、懸命の回収作業にもかかわらず、周辺の海域には原油の固まりがまだあちこちに散らばっていた。事故現場の石油備蓄基地に面した海は、広さ1平方キロメートルにわたって原油に覆われ、石油タンクにつながったパイプラインから原油の流出が止まっていない模様だった。
陸路から事故現場に向かうと、鎮火した石油タンクは依然高い熱を発しており、消防隊が放水を続けていた。地上のパイプラインは火災の熱で変形し、焼けこげた鉄骨とコンクリートが無惨な姿をさらしていた。周囲の道路は原油と泥水の混合物であふれかえり、真っ黒に汚れていた。
生態系に深刻な影響今回の事故で海上に流出した原油は少なくとも1500トンに上る。その回収には、乳化分散剤と呼ばれる薬剤や原油を吸着させるシートなどが大量に必要だ。ところが、遼寧省海事局の責任者によると、大連市が備蓄していた非常用の資材は200トン分の回収能力しかなかった。このため、全国にたった4隻しかない石油回収専用船が全て大連に集められた。
大連市海洋漁業局の副局長の説明によれば、乳化分散剤と吸着シートが不足しているため、回収作業の現場では藁のムシロに原油を吸着させたり、ひしゃくですくい取るなどの原始的手段に頼っている。また、本紙記者が事故現場から17キロメートル離れた泊石湾海水浴場を訪れると、市民たちは海面をただよう原油を遠巻きに見ており、砂浜の汚染除去に取り組む者の姿はなかった。政府は海上に流出した原油の回収だけで手一杯で、海岸の汚染除去は後回しにされている。このため、市民たちは汚染の除去方法について何も教えられていないのである。
海洋観測船による7月19日時点の調査によれば、原油流出で汚染された海域は広さ430平方キロメートルに及び、そのうち12平方キロメートルは重度に汚染されている。その被害をまともに受けたのが、周辺海域の養殖業者たちだ。汚染は周辺のリゾート地や海水浴場にも広がっており、旅行業界への打撃も大きい。さらに、汚染海域内には2つの自然保護区があり、生態系への深刻な影響が避けられない状況だ。
前出の泊石湾海水浴場は、事故の前までは1日6万人の海水浴客でにぎわっていた。しかし、現在は砂浜に人っ子ひとりおらず、市民たちは近くの岸壁から海を眺めるだけだ。「例年なら1日3000元の売り上げがあるのに、今は1銭もない」と、ここで海の家を経営する商店主は嘆く。
事故現場から30キロメートル以上離れた人気リゾート地の金石灘でも、被害が深刻化している。こちらの砂浜では、政府が派遣した作業員と市民ボランティアが、やはり手作業で汚染除去に当たっていた。大連の地元メディアは「旅行業への影響はない」と報道している。だが、それを信じる者はいない。関係者によれば、金石灘では今シーズンの団体旅行客の8割が既に予約を取り消した。国際的な環境保護団体であるグリーンピースの調査によれば、汚染海域で被害を受けた養殖業者は1万戸を超えるという。金石灘の近くで貝の養殖を営むある業者は、広さ400ムー(約2.67ヘクタール)の養殖場に原油が侵入し、多くの貝が死んでしまった。そのうえ、事故発生後の6日間で、貝類の卸売り価格は15%も暴落した。
「昨年買い入れたばかりの稚貝が全部だいなしになってしまった。被害総額は300万元(約3900万円)を超える」と、この養殖業者は肩を落とす。
爆発現場の近くに有毒品プラント海洋汚染の被害額が最終的にどれだけに上るのか、現時点で把握するのは難しい。国家海洋局北海分局の副主任によれば、生態系への被害を評価するには最低でも2カ月はかかるという。
「原油の汚染を完全に除去することは不可能だ。生態系や住民生活への影響は、長期間にわたってじわじわと現れる。それは今後数年、場合によっては数十年も続く可能性がある」。現地のグリーンピースのリーダーを務める鐘峪はそう懸念する。
では、養殖業者や旅行業者が受けた被害を誰が埋め合わせするのだろうか。取材を通じて得た情報によれば、今回の爆発事故と原油回収の責任は、事故現場の管理者である大連中国石油国際儲運が負い、復旧関連の費用も同社が負担する。だが、養殖業者や旅行業者の補償に関する方針は明らかになっていない。
事故現場から半径10キロメートル以内の地域は大部分が建設中の工業団地だったため、住民は7万〜8万人と少なく、直接の人的被害はなかった。しかし、住民たちの間には将来への深刻な不安が広がっている。
大孤山半島の化学工業団地に比較的近い小孤山地区では、海岸に面したマンションの価格が1平方メートル当たり1万元(約13万円)前後する。ところが、化学工業団地に建設された多数のプラントが操業を始めると、住民はたびたび異臭を感じるようになった。
そこに起きた今回の爆発事故は、住民たちを恐怖のどん底にたたき落とした。と言うのも、化学工業団地内に毒性の強いパラキシレンの大型工場があることを噂に聞いていたからだ。実際、ここには大連福佳大化石油化工のパラキシレン工場があり、年間生産能力は70万トンと中国最大級である。「もしパラキシレンのタンクが爆発したら、被害は今回の事故どころではすまない」と、ある住民は不安を隠さない。
小孤山地区の住民の多くは、実は(化学工業団地の建設による立ち退きで)大孤山半島から移り住んだ人々である。「こちらに引っ越した後、大孤山に化学工場が次々にできて空気が悪くなった。まさか、また引っ越さなければならないのだろうか」と、別の住民は心配する。こうした不安は、決して過剰反応とは言えない。遼寧省公安庁の報告書によれば、事故現場の石油備蓄基地は広さ110万平方メートルの敷地に99の石油タンクがあり、757万トンの原油を備蓄していた。さらに、火災が発生した石油タンクから半径100メートルの範囲には、液体化学品のタンクが51あり、その中にはパラキシレンと成分がよく似たキシレンなど16種類の有毒化学品が含まれていた。
それだけではない。今回の爆発事故は、化学工業団地の危機管理のずさんさを白日の下にさらした。事故が起きたのは国家備蓄用の石油基地だったが、周辺には石油会社の商業用の原油タンクや各種化学品のタンクが集中しており、その総量は1500万トンに上る。
周辺住民の恐怖はつのる一方「限られた敷地に少しでも多くのタンクを作るため、タンクとタンクの間隔は、ほとんどが国家安全基準の最低限の距離しか取られていない」と、大連新港の運営会社の関係者は明かす。事故現場で記者が目測ではかったところ、原油タンクは6つで1組になっており、各タンクの間隔は30〜50メートルだった。しかし問題は、各組の間に敷設された道路の幅が、消防車がやっと1台通れるほどしかなかったことだ。
タンクの間の道路が狭いため、消防車は自由に動くことができず、取るべき消火体制を迅速に組めなかった。しかも、石油タンク火災の消火に不可欠な化学消火剤の備蓄が足りず、事故の発生後にあわてて空輸しなければならなかった。
高温下で消防隊員が活動するための特殊な消火服も不足していた。しかも、消防隊員が命がけでタンクのバルブを閉めに向かおうとしたところ、作業手順に関する技術資料が欠けており、エンジニアの指導も受けられなかったという。
大連新港の石油備蓄基地には2つの消防署があり、大型消防車が2台、通常型消防車が13台配備されている。しかし、今回の事故に出動した消防車は348台に上り、そのほとんどが外地から駆けつけた。
こうした実態が明らかになるにつれ、住民たちの恐怖はつのる一方だ。
=敬称略
(大孤山半島危局 2010年7月26日 (c)経済観察報)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。