投稿者 愚民党 日時 2010 年 5 月 11 日 23:10:50: ogcGl0q1DMbpk
2010年5月6日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.582 Thursday Edition
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■ 『大陸の風ー現地メディアに見る中国社会』 第175回
「差別の中の無差別」
□ ふるまいよしこ :北京在住・フリーランスライター
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■ 『大陸の風ー現地メディアに見る中国社会』 第175回
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「差別の中の無差別」
日本メディアが今年、最大の注目を寄せる中国のイベント、上海万博がとうとう開
幕した。
昨年から今年にかけて、日本のメディア関係者に会うと、「オリンピックも終わっ
たことだし、上海万博を経て中国がどう変わっていくか、が注目されますね」とおっ
しゃるご仁が多くて、わたしは開幕前からちょっと食傷気味だった。「終わったし」
と言うけれど、「オリンピック前」と「オリンピック後」がどう違うのかもきちんと
総括できていないのに、目をキラキラさせて「さ、次は万博ですね! 中国はどう変
わっていくでしょう? それについて一本…」と言う方々の論考がよく見えないから
である。
そんなメディアの人が醸し出す雰囲気のおかげなのか、やはり民間でも中国といえ
ば「次は万博で中国はきっと変わりますよ」がキーワードになってしまっていて、そ
このところの論理の飛び方は、以前わたしが中国で経験したそれによく似ている。そ
れは、ある場で四川省出身の北京出稼ぎ労働者に囲まれて話をする機会があり、その
うちの一人がにっこりと笑って、「日本人が以前、中国を侵略したこと、知ってる?」
と尋ねてきたときのことだった。日本人なら誰でも「うわわわわわぁ〜っ」と思って
しまう場面だが、そのときのわたしも心の中で同様の叫びを上げつつ、しかし目の前
でニコニコと満面の、無邪気な笑みを浮かべるその薄汚れた男たちというシュールな
場面にかなりとまどった。
というのも、彼らは決してそこでわたしという個人を不快にさせようとしていたの
ではなかった。四川の山村から北京にやって来て、日頃は工事現場で早朝から日が暮
れるまで働く彼らのほとんどがもしかしたら生まれて初めて出会った日本人がわたし
だった。その日本人が中国語を解すると知り、興味しんしんで取り囲んだもののなに
を話していいのか分からず、頭の中の「日本」と書かれた知識の引き出しを開いたら、
「日本が中国を侵略したこと」というファイルしかそこに入っていなかったのだ。そ
れはなんとなく、人間の言葉を話すという九官鳥を前に、意味のない言葉を浴びせか
ける通行人の行動みたいなものだ。
「万博で中国が変わりますよね!」という日本人も、そんな中国の人たちによく似て
いる。つまり、「中国」というタグのついた引き出しに、「万博」や「オリンピック」
「毒餃子」、あるいは「漢詩」だとか「李白」だとか「万里の長城」だとかの知識し
か入っていなくて、さすがに四川の出稼ぎ労働者よりはテーマは多いが、それでも初
対面の日本人であるわたしに「毒餃子」を浴びせかけるのははばかられて、「万博」
というファイルを引っ張り出して話をしている、そんな苦労がうかがえた。ただ、彼
らも「万博」と「中国が変わる」の間のロジックがまったく空なので、そこを追求し
たところで満足な理由は返ってこないのは十分わかっていた。
しかし、ここで結論を申しあげるなら、わたしは「上海万博で中国が変わる」とは
思っていない。ただ、上海万博を経て日本人を含めた外国人の頭の中にある、「中国」
タグのついた引き出しに収められたファイルの数は増えることだろう。つまり、これ
までのように数年に一回、新聞の一面に載るような大きな話題だけで中国像が語られ
るのではなく、これからは今後だんだんもっと小さなテーマに移行していくことだろ
う。万博は中国(や中国人)が世界を知って云々するのではなく、間違いなく世界が
中国を知り、そこからどんなケミストリーを生んでいくか、というきっかけになるは
ずだ。
ならば、その間、中国は変わらないのか? いや、もちろん変わるだろう。しかし、
それは万博ではなく、万博の開催期間に同時進行で起こる数々の出来事によって、で
ある。それらは万博があろうとなかろうと起こったかもしれず、あるいは万博が間接
的に条件の一部を醸造しているかもしれないがそれとは直接関係のないもので、外国
人が万博に目を奪われている横で起こる、そんな出来事が中国を大きく変えていくだ
ろう。
それはすでに起こっている。たとえば、万博開幕日の4月30日。インターネット
のポータルサイトを含めたメディアのトップニュースはどこも万博だった。しかし、
日ごろからニュースに敏い人たちの目を集めているツイッターや個人ブログで熱く語
られていたのは、「学校襲撃事件」だった。その2日前に広東省湛江で、前日には江
蘇省泰興で、そして30日当日には山東省のイ坊(「イ」はさんずいに「維」。古都
であり、紙凧など紙製品が有名)でそれぞれ住民が市内の小学校や幼稚園で学童たち
をナイフや金づちで殺傷するという事件が立て続けに起こった。
そのうち、上海にも近い江蘇省泰興市の小学校では教師ら大人3人を含む32人が
男に切り付けられるという大惨事となり、病院に駆けつけた家族も面会を断られ、現
地の市政府も報道規制を敷いたために、当時の晩には1万人を超える群衆が「真実を
知らせろ」というシュプレヒコールを上げて街を練り歩く騒ぎとなった。
実は3月下旬にも福建省南平市で小学校が襲撃され、8人の学童や教師が死亡し、
5人が重軽傷を負うという事件が起こっており、社会を震撼させた。というのも、捕
まった犯人は市内の病院に勤めていた元外科医で、「第一刀」と呼ばれるほど腕の良
い医者だったからだ。近所の老人や低収入者の健康相談にも無料でのるような「良い
先生」として知られていた彼が、メスではないものの果物ナイフで子供たちに切りつ
けた、という事情が明らかになるにつれ、社会には驚きと同時に、そんな彼の動機に
注目が集まった。
雑誌「南都週刊」は4月初めに「解剖反社会(反社会性を解剖する)」という特集
を組み、この南平市の事件だけではなく、「毒餃子」事件犯人逮捕の舞台裏、さらに
は2007年に米バージニア工科大学で起こった過去最悪の学内殺傷事件などの検証
を行っている。これらの事件はすべて、社会に恨みを持つ者が特定の人物や事象にそ
れをぶつけるのではなく、社会全体に報復することを目的に無差別殺傷を引き起こし
た「反社会」事件だと、その背景の論証が行われていた。
同誌の記者はその中で南平市事件犯人の鄭民生の人となりから動機を知ろうと、彼
の足跡をまとめている。42歳の鄭は地方の学校ながら医学専門学校で優秀な成績を
上げ、1990年代初めから国営化学繊維工場附設の職員病院で外科医として勤務し
た。しかし、その後の国営企業改革の波にもまれ、01年に工場が破産する。当時の
彼の賃金は月500元(1元=約13円、つまり約6500円)にも満たなかったが、
幸運にも勤めていた病院が市の衛生局に吸収され、彼もある地区の簡易医療機関での
仕事を得た。
そこでの賃金は1400元ほどで、現地の中型のレストランの部長クラス。08年
には下部機関の農村部の医療機関に派遣され、一緒に暮らすガールフレンドとも結婚
を考えたが、市内の不動産価格はわずか数年の間に1平米1000元未満から500
0元を超えるほどに値上がりしたために新居の夢も叶わず、結局ガールフレンドとも
別れた。その頃から、もともと神経質だった彼に異常な行動や発言が見られるように
なったという周囲の証言を記者は伝えている。08年に主任外科医の資格に相当する
技術試験にも合格した彼は、09年には「大病院に転職する」と仕事を辞める。
しかし、彼はなぜだか無職のまま物価が高騰する街で暮らし続け、だんだん妄想的
な言動が増えたという。そして今年3月、自宅から最も近い小学校ではなく、「実験
小学校」と呼ばれる、最新の教育政策を反映して教育が行われるモデル小学校の校内
でわずか55秒の間に13人に切り付け、8人の学童の命を奪う犯行に及んだ。
偶然にも、その鄭に死刑が執行されたのが、広東省湛江市の小学校が襲撃を受けた
4月28日だったということを一連の事件が起きた後で知った。数えてみるとなんと、
犯行からわずか1カ月余りの死刑執行で、衝撃的な事件だっただけにあまりのスピー
ドに驚かざるを得ない。同様の思いを、上述した「南都週刊」誌を発行する南方日報
新聞社系列の新聞「南方週末」でも抱いたようで、当日のうちに「死刑後、大家都解
脱了(死刑によって、皆が解脱した)」というタイトルの記事でその裁判の様子を振
り返っている。
「実のところ、『重く早く』というのが鄭民生事件の指導原則だった。南平市政府の
ホームページは、事件の翌日に福建省政府の指導者が南平に赴き、関係者に対してそ
の指導原則を伝え、『法律、紀律に基づいて出来るだけ早く結審させ、最短の時間、
最高の質でこの案を処理する』よう求めたことが記されている。『人民法院報』紙の
報道でも、『…南平市中級法院は素早く反応し、事前に介入し、合議庭を迅速に組織
し、重く早くという審理の原則を徹底した』とある。しかし、すべての法的手順を終
えた今でも、鄭民生の殺人の動機はいまだに明らかになっていない。臆病で大胆なこ
とができなかったと言われる外科医がなぜ、尖ったナイフを恨みもない子供に向ける
ことができたのか?」(「死刑によって皆が解脱した」南方週末・4月28日)
この記事では、事件直後に南平市の党委員会関係者が「事件は精神異常者が引き起
こした」と語ったことがあり、また先の「南都週刊」誌でも「鄭が職を辞す前後から
異常な言動が見られるようになった」という周囲の証言があったにも関わらず、裁判
ではそれが取り上げられなかったと伝えている。さらに、政府による記者会見でも、
被告に対して精神鑑定を行ったという報道を関係者がはっきりと否定し、また3月2
7日(注・一審裁判は4月8日である)に国営通信社の新華社が「鄭民生容疑者には
精神疾病の履歴はない」という記事まで流して、彼の精神異常説を否定したという。
「ある司法精神病理学の専門家は、『我が国の司法事例において精神病鑑定を行うか
どうかは司法機関、特に公安当局によって決定される。容疑者は精神病を患っている
と鑑定されれば、そこから司法手順に進むことはできず、釈放か精神科の病院に送ら
れる』と語った。一方、鄭民生の指定代理弁護士も鑑定の要求を出さなかった。鄭の
家族の一人は、一審から二審(4月20日)まで弁護士に会ったことがなく、家族も
司法精神鑑定の申請を行わなかったという。それは『(金銭的な)能力もないし、意
義もない』、『子供8人(が死んだん)だ、天理では受け入れられない。精神病だと
しても責任は負わなくてはならない』からだ、と」(同上)
そして鄭民生の死刑は執行された。しかし、それと同時に、皮肉にもまた広東省、
江蘇省、山東省で児童の殺傷事件が起こった。そして5月5日には、広東省事件の容
疑者についても、「精神に異常は見られない」という発表がなされた。その一方で、
中国当局は全国の幼稚園、学校に対する安全強化を呼びかけ、各地方都市でもそれに
応じてさまざまな措置条項が次々に公表されているが、そこに「事件を起こすかもし
れない」と監視強化の対象として「精神病患者」が必ず含まれている。鄭らは「精神
に異常はない」と判定されたにも関わらず、である。
前掲の「南方週末」の記事では実はその疑惑について、やんわりとした暗示がなさ
れている。
「我が国の刑法では、『精神病患者が自身の行為を認識できない、あるいは制御でき
ない状態で引き起こされた危害については法的な手順で鑑定を行い、これに刑事責任
を課してはならないとある』と規定されている」(同上)
これが天理か、それとも「重く早く」の結果なのか。「南方週末」のこの記事のタ
イトルは実は「死刑後、大家都解脱了(死刑によって、皆が解脱した)」ではなく、
後ろに疑問符が付く「死刑後、大家都解脱了?(死刑によって、皆が解脱したの
か?)」だったのではないか、と思えてくる。
実際に一連の事件についてはすぐに政府が報道規制を敷き、現場からアップされた
インターネット情報も次々と削除されたために、情報を求める人たちの間からは「歌
えや踊れやの万博開幕気分に水を差しちゃいけないってのか」という憤りの声が続い
た。確かに連続して起こった幼い子供たちの無差別殺人は、もう偶然とは言えない事
件だった。そして、それが起こったことは伝わっているのにその詳細が流れて来ない
のは、あまりにも不自然だ。さらには32人が負傷した江蘇省の事件では、家族です
ら病院に収容された我が子に会わせてもらえず、「5人死んだ」「11人死んだ」な
どという噂が飛び交った(現在のところ、政府発表では死者はいないとされている)。
直接の関係者でなくても、子供という弱者を標的にした事件が続いたことは社会的
にショックを引き起こした。そして人々はちらほらと当局が発した情報をもとにその
背景を探ろうとしている。これらの事件に共通するのはなにか、なにが原因なのか、
どうすればいいのか。当局が取った、学校への警護要員の配置や応酬武器の配備だけ
ではなく、どうしてこんな社会的な悲劇が起こるのか。
「つまるところ、『業務上の真剣さと責任感』が最低限の住宅問題を解決できず、強
者がルールを守らず、またそのコストと代価を支払わず、失業しても社会保障も援助
も受けられない。鄭民生の生活は不確実さに満ちたものから希望の喪失に変わって
いった。社会制度の基本的なルールに頼ることができず、それを信頼できず、生活に
なんの未来も見いだせない、それが拭い去ることのできない恐怖を生んだ。鄭民生は
不確実さから恐怖を生み、それを恨みに変え、恨みを発露させようと罪悪に向かった。
鄭民生は他人の恐怖の製造者であるだけではなく、自分も恐怖の被害者だったのだ」
(「于建エイ(エイは「山」ヘンに「栄」):反社会的人格、最も恐ろしい発露」網
易ネット・4月25日)
この社会学者于氏の言葉はつまり、鄭が恨んだ社会とは鄭だけにこのような仕打ち
をしたわけではなく、誰でもその対象者になりうることを人々に思い知らせた。被害
者は子供だけではなく、鄭でもなく、もしかしたら我われかもしれない…これらの
ショッキングな事件を通じて、人々の間でそういう意識が生まれ始め、厳しく事件の
報道規制が行われているニュースポータルサイトの一部でも、「我われの社会は何が
間違っているのか」と言った、これまでには見られなかった自省的な記事へのリンク
が小さく出ている。これまで、「事件を起こしたのは常人ではない犯罪者」と切り捨
てるような報道が中心だった中国でこれは非常に珍しい動きだと言えるだろう。
これが今後どんなふうに社会に影響していくのか。
80年代生まれの人気作家韓寒は、万博報道の陰で押さえつけられたこれらの事件
について「子供たちよ、キミたちは爺ちゃんたちを興ざめさせちゃったんだよ」とい
うタイトルのブログを書いて、ブログサイトの管理者に即刻削除された。しかし、多
くの人たちがそれを転送していて、わたしもそれを読んだが、その最後を彼はこう結
んでいる。
「可哀そうな子供たちよ、毒ミルクに毒され、不良ワクチンで傷つけられ、地震で押
しつぶされ、焼き殺されるのはキミたちだ。大人たちのルールが崩れたから問題が起
こったのに、大人たちのナイフで切り殺されるのはキミたちだ。泰州市の政府が言う
ように、本当にキミたち全員が怪我だけで済み、一人も亡くなっていないことを心か
ら祈ってるよ。じじいたちはその職責をきちんと果たせていないけど、キミたちが大
きくなったら、自分の子供だけを守ろうとするのではなく、すべての子供たちを守る
ような社会にしてくれ」
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ふるまいよしこ
フリーランスライター。北九州大学外国語学部中国学科卒。1987年から香港在住。
近年は香港と北京を往復しつつ、文化、芸術、庶民生活などの角度から浮かび上がる
中国社会の側面をリポートしている。著書に
『香港玉手箱』(石風社)
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883440397/jmm05-22 )
『中国新声代』(集広舎)
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904213084/jmm05-22 )
個人サイト:( http://wanzee.seesaa.net )
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【編集】 村上龍
【発行部数】128,653部
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