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日中勘違い:「支那」という言葉について考える(1)〜(4)[鈴木秀明@Searchina]
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投稿者 passenger 日時 2009 年 4 月 09 日 22:37:35: eZ/Nw96TErl1Y
 

日中勘違い:「支那」という言葉について考える(1)〜(4)[鈴木秀明@Searchina]


 

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http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0319&f=column_0319_008.shtml

日中勘違い:「支那」という言葉について考える(1)

   2009/03/19(木) 18:12

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  今回からしばらく「支那」という言葉について考えて見ます。中国人が「忌み嫌う」呼称をあえて取り上げるのは、この言葉について日本人も中国人ももう少し考えてみた方がよいと思うからです。


■「支那」と言い出したのは中国

  まず最初に私の立場をご説明しておきます。私は「支那、シナ」という言葉を使おうとは思いません。理由は簡単。相手がいやがっているから。それ以上でもそれ以下でもありません。しかし同時に「支那という言葉を使うな」という中国人の主張にも、実は無理がある。この点についても、論じてみたい。

  ご存知の方も多いと思いますが、支那という言葉に本来、見下す意味はまったくありませんでした。また、支那ということばが登場したのは、日本でではありません。中国国内です。

  まず、支那の語源は「秦(チン)」。始皇帝による統一中国。広域領土国家としての中国の誕生といってもよい。周辺民族にとっても強力な中国の誕生は一大事件だった。中国では歴史上、王朝が変わると国号自体ががらりと変わります。ほかの国では、そのようなことがそれほど多くない。だから、秦が滅びた後も、周辺の諸民族は、「あの国はチンだ」と言いつづけた。


■記憶に残った王朝名が、中国の通称に

  このあたり、日本でも似た現象が発生しています。日本が歴史上、最も大きな影響を受けたのは「唐」だった。だから、唐がとっくに滅びた後も、中国人を「唐人」などと呼ぶことが多かった。中国を「唐土」と呼ぶことも多かった。

  王朝が変われば国号もころころ変わる。自分たちの地域や社会の中では問題なくても、外の世界に強制するのは難しい。だから、このような現象が発生しました。

  インド、ペルシャ、アラビアなどでも中国を「秦」系統の言葉で呼ぶようになりました。「チーン」、「チーナ」、「シーナ」などです。ということで、仏典にも中国を指す国名として「チーナ」が登場した。さて、仏教はシルクロード経由などで中国にも伝来。おおむね後漢のことです。その後、中国は懸命に仏典の漢訳に取り組んだ。そこで、「チーナ」に「支那」の字を当てた。その他、「脂那」や「至那」の文字も使われました。また、インドの言葉で「秦国」をあらわした「チーナスターナ」という言葉は、「震旦」、「真丹」などと漢字化されました。

  「チーナ」の語源が「秦」であることには、多少異説もあるようですが、「チーナ」が「支那」になったことは間違いありません。

  仏典の漢訳には中国人僧だけでく、シルクロード諸国やインド出身の僧も多数、参加していましたから、「支那」の字を考えついたのは中国人とはかぎらない。ただし、「漢訳仏典」が中国社会で受け入れられたのは事実です。特に「おとがめ」はなし。これは私の推測ですが、中国では「支那」が自分たちの国や民族を指すことが、あまり知られていなかった可能性が高い。これは結構、重要なことなので回を改めてご紹介します。


■「チャイナ」と「支那」は同語源

  さて、日本では江戸時代、ご禁制を犯して入国したキリスト教の宣教師がいました。捕らえられて訊問されましたが、その記録の中に「チーナ」という国名があった。すでにアジア、アフリカ、アメリカ大陸に乗り出していた欧州人が、この国名を使っていた。

  日本人が「チーナとはいったい、どの国だ」と調べてみたところ、中国のことだった。「なるほど、国外では“唐土”のことをチーナと呼んでいるのか」と分かった。一方、仏典の中に「支那」という言葉を発見。つまり、「チーナ」=「支那」と判明。当時、欧米語の固有名詞は漢字で表記するのが一般的でしたから「チーナ」は「支那」と書くことにした。

  「チーナ」はもちろん、英語の「チャイナ」の語源でもあります。逆に言えば、「チャイナ」は「チーナ」の英語版。自分たちの言葉で発音しやすいよう、使いやすいよう、形を少々変えただけ。日本語で「支那」を使うようになった経緯と同じ構造です。

  もう一度、繰り返しますが、私は相手にイヤがられてまで「支那」と呼ぼうとは思わない。不毛なことですから。でも「支那」を禁止するなら、「チャイナ」も禁止してもらわないと、理屈が合わない。

  いや、本当に「チャイナ禁止運動」をしろとまでは言わない。中国人が「支那」を嫌う理由に、日中戦争などのトラウマがあることは分かっています。当時の日本は中国を従来どおり「支那」と呼んでいた。辛亥革命後、中華民国政府から「正式国名を使ってほしい。せめて“中国”と呼んでほしい」などと要請があったが、日本は無視していました。


■「いやだ」と言うなら、使いませんが……

  日本との戦争は、少なくとも中国の一般庶民にとっては大変な災難。甚大な生命と財産を奪われ、精神的にも大きな打撃を受けたのは事実です。理屈だけでは割り切れない感情が残ったことは理解できる。当時の日本側の呼称で、自分たちには、もはやなじみのない「支那」という言葉を使われれば、いやな気分にもなるでしょう。

  ただ中国はすでに、かつての「落後した国」ではありません。多くの問題を抱えているとはいえ、発展を続けています。自らのレベルが高まってきた現在、「支那と呼ぶな」という主張には無理もあるということを知っておいてもよいと思うのですが、どうでしょう。(編集担当:鈴木秀明)

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日中勘違い:「支那」という言葉について考える(2)

   2009/03/23(月) 19:04


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  前回から「支那」という呼称を取り上げているのですが、筆者のもとに直接・間接に多くのご意見をいただきました。今回は、主なご意見に対する筆者の考えを述べます。


■「支那」という言葉が蔑称として使われたことはない

  ここで考えてみたいご意見は(1)「支那」は蔑称(べっしょう)である、(2)支那がだめなら、チャイナも禁止しないと理屈が合わないとの主張だが、国際的に定着した「チャイナ」を変更するのは不可能、(3)中国という国家名称は中華思想の反映であり傲慢である――の3種です。(1)は主に中国人、(3)は日本人から寄せられた意見です。

  まず、中国のメディアがよく取り上げるのは、日清戦争に日本が勝った際に、熱狂した日本の民衆が行進して、「日本勝った、支那負けた」と叫んだということです。結果として「支那」ということばが蔑称に変わったという主張です。

  戦争の是非は別にして、少なくとも当時、戦勝国の国民が喜ぶのは、正常な現象です。現在も同じでしょう。まして清国のような大国に本当に勝てると思っていた日本人は少数でした。従軍した家族や親戚を持つ人も多く,日本人が熱狂したのは当然のことです。まして、「支那負けた」と叫んだことで、このことばが中国の蔑称になっていったわけではありません。

  その後、辛亥革命が成立したのですが、中国は混迷を続けました。それに乗じて日本が権益拡大、植民地獲得に奔走したのは事実であり、中国蔑視の感情が強まったもの事実です。さらに、このことが最終的に日本をして「国を誤らせた」のも事実です。


■日本に中国を見下した感情があったのは事実

  ただし、当時の状況を考えれば、中国をどんな呼称で読んでいたとしても、日本国民の多くは中国を見下す感情を持ったはずです。支那という呼称を使うことで、ことさらに中国を見下したわけではありません。一般に蔑称とは、正式名称や通称とは別に、相手を侮蔑するために使う言葉のことです。支那という言葉が蔑称だったわけではありません。ここでは直接書きませんが、蔑称は別にちゃんとありました。

  ここで再び、私の立場を書きますが、私は「支那」という呼称を使おうとは思いません。理由は単純です。相手がいやがることをあえて行なう必要はないからです。昨今、中国に批判的な考えの日本人が「支那」、「支那人」との言葉を使う場合がありますが、これは「侮蔑(ぶべつ)」というより、「反発」または「いやがらせ」の面が強いと考えています。

  前回は、「ただし、純粋に理屈からいえば、『支那』を禁止するなら『チャイナ』も禁止しないとおかしい」とも主張しました。それに対して、「国際的に定着した『チャイナ』を変更するのは、非現実的」とのご意見がありました。

■やろうと思えばできる、国際的な「China」の変更

  私は、そのように思いません。国際的に通用していた国名を変更した例はいくつもあります。ビルマはミャンマー、セイロンはスリランカと名乗るようになりました。コンゴ民主共和国は1971年から1997年までザイール共和国でした。いずれも、変更後しばらくは違和感がありましたが、比較的すんなりと新しい国名が国際的にも定着しました。

  要するに、中国が英語名をChinaとしているのは、中国人が「それでよし」と認識しているからです。くどいようですが、純粋に理屈からいえば、日本人に対して「支那」とは言ってほしくないと主張するなら、英語国名も通称は「Zhongguo」、正式国名は「People’s Republic of Zhonghua」とせねばならないことになります。私が「支那」の言葉を使わないのは、中国人の感情面への配慮を、ある程度は「理屈」より優先すべきと考えるからに、ほかなりなせん。ちなみに、「Zhongguo」は中国の、「Zhonghua」は中華の、それぞれローマ字表記です。

  さて、3番目の「中国という国家名称は中華思想の反映であり傲慢である」という意見です。私は、そのようには考えません。「中国という呼称に何の問題もない。中国人がこの国名に誇りを持ち、愛着を感じるならば、堂々と使えばよい」との考えです。理由は少々長くなりますので、申し訳ありませんが、次回に述べることにしようと思います。

  なお、ヤフーのコメントらんを見たところ、「シナという言葉を本土の中国人は気にもしていないだろう」との書き込みがありましたが、それは違います。2008年には重慶市で、「支那火鍋」という名の飲食店が開業したところ、インターネットなどで批判が噴出して廃業を余儀なくされるという事件がありました。

(編集担当:鈴木秀明)
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日中勘違い:「支那」という言葉について考える(3)

   2009/03/31(火) 18:21

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  中国という国名ですが、「尊大な中華意識の反映だ」として反発を感じる人もいるようです。前回は、「何の問題もない。中国人がこの国名に誇りを持ち、愛着を感じるならば、堂々と使えばよい」との私の考えをご紹介し、次回にはその理由を書くとお約束しました。


■古くは首都を意味した「中国」

  その前に、「中国」という言葉の由来をご紹介します。まず、「国」という字ですが、現在のような領土国家を指すのではなく「都市」を意味しました。本来の書き方は「國」。「囗(くにがまえ)」の部分は都市を囲む城壁を、「或」は武器を取って防衛することを示します。「中国」とは中心の都市、すなわち京師(=首都)を意味しました。

  なお、ずい分昔ですが、歴史学者の上原淳道先生に、中国では殷(商)の時代ごろまで、領土国家の概念はほとんどなく、古代ギリシアに似た都市国家が集まっている状態だったと教えていただいたことがあります。その意味では、「國」は都市であり国家だったと言うことができます。

  漢の時代には、実質的に「領土」の概念もできており、「中国」は蛮夷の世界に囲まれた自分たちの「領域」と認識されるようになりました。ただし、「中国」の範囲は河川沿いに陝西省から河南省、山東省にいたる、現在からみれば、非常に狭い範囲でした。


■中国が歴史的「美称」であるのは事実

  その後、「中国」の範囲は歴史的に拡大を続けました。最終的に、清朝末期の直接・間接の支配地域の大部分が中国とされるようになったわけです。実際には、「中国」の範囲がそれまで単純に拡大つづけたわけでなく、戦乱などで人口が激減し、空白地帯に外部から異民族が極めて大量に入り込み、時間とともに「中国化」した現象も、発生しています。

  さて、「中国」という名称です。語源は「首都」ですが、時代とともに、「国」を指すようになっていった。そして、自らの国を世界の中心と考え、歴代皇帝は「本来は、世界全体の統治者」であり、周辺民族は劣った存在と考えていたのは歴史的事実ですから、「中国」が「美称」であることに間違いはありません。すると、「中国という名称が妥当であるかどうか」との問題の焦点は◆美称を使うことは妥当か◆世界の中心という客観的でない名称は妥当か――ということに絞られます。

  ここで、私が判断の基準とするのは、「複数の国が同じことを行なっている場合、その中の1国だけを非難することはできない」との国際的なルールです。もちろん、その「行為」が世界全体にとって有害であるという状況も発生しますが、そのような場合には話し合いを通じて「平等に」解決することが基本です。

  ついですが、この「平等」というのは、かなりの程度「建て前」です。実際には国力や交渉力などで損をする国・得をする国が出ます。近い例としては、二酸化炭素排出基準で日本に課せられた、長年にわたる努力をほとんど評価しない「枠決め」などがあります。捕鯨についても、同様の状況と考えます。


■「日本」という国名と比較してみる

  さて、「中国」という国名を考える際に、分かりやすい例になるのが「日本」の国名です。言うまでもなく、中国大陸の東の海上にあり、「日、いずるところ」の意味があります。東の地平線・水平線から昇るのは月も星も同じです。「日」に注目した理由に、太陽信仰があったことは明らかです。なにしろ、最高神が天照大神とされている国ですから。つまり、「日本」の国名は、「神国である」との意味が込められています。つまり、他国に対する優越性を主張しているわけで、明らかに美称です。

  なお、美称を採用している国は、他にもあります。例えば「スリランカ」は「光輝く島」。そういえば、「朝鮮」も美称ですね。

  さらに、「地球は丸く、太平洋の東の彼方にはハワイや米大陸がある」という事実が明らかになった以上、「日、いずるところ」という国名に客観性はありません。

  しかし、日本人は自らの国を「日本」と名乗っています。英語のジャパンは、マルコ・ポーロ作とされる当方見聞録にある「ジパング」がもとになりましたが、「ジパング」は「日本国」の中国語読みが語源とされます。現在の中国語(標準語)では「リーベングオ」に近いのですが、「ズベングオ」のように発音する方言もあります。国際的な呼称としてふさわしいのは「ニホン・ニッポン」か、「ジャパン」かという議論はありますが、いずれも同じ語源です。


■「支那」の名称を嫌がることに潜む矛盾

  ここまでの論で言えることは、少なくとも自らの国を「日本」と呼ぶ日本人は、中国人が自らの国を「中国」と名乗ることに異論を唱えると、自家撞着(自己矛盾)を起こしてしまうということです。また、日本以外の国の人も、日本を「ジャパン」と呼んでいる以上、「中国」という国名に文句は言えないことになります。

  したがって、中国人が自らの国名を「中国」とすることに、何の不都合もないと考えます。

  さて、このシリーズの主題である「支那」という名称に、今回は触れることができませんでした。次回からは、「日本に留学した中国人は、支那という名称を喜んで使った」、「支那という名称を嫌がるのだったら、差別的な文字を使っている他国や他民族の名称を変更しないのは矛盾」という方向で、話を進めます。

(編集担当:鈴木秀明)
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http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0409&f=column_0409_004.shtml

日中勘違い:「支那」という言葉について考える(4)

    2009/04/09(木) 22:16

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  これまでに、◆支那という言葉は中国で作られた漢訳仏典で登場したこと◆日本では江戸時代、欧州各国が中国のことを「チーナ」系統の言葉で呼んでいることを知り、「支那」という表記を使うようになった――などとご紹介しました。今回は、明治期になり日本についた中国人が、「支那」という名称を盛んに使った、場合によっては好んで使ったことを記します。


■孫文も、自らの国を「支那」と表記

  明治維新以降、清国人が日本に留学するようになりました。彼らは日本人が自国を「支那」と呼んでいることを知ると、自らもこの国名を盛んに使うようになりました。清国打倒の運動に失敗して日本にのがれた中国人も、「支那」という国名を使いました。

  彼らが、日本に来るまでは見慣れなかった「支那」という名称を使ったことには、理由があります。当時は清朝末期でしたが、「清」とは王朝名、言い換えれば政体を示す名称で、純粋に「領土」を示す名称、あるいは時代を通じて使われる「国名」ではなかったのです。特に、革命思想を持つ中国人にとって「清」とは打倒すべき対象でした。繰り返しますが、当初「中国」という呼称は一般的でありませんでした。

  例えば、クーデターに失敗して1904年に日本に亡命した大物革命家の宋教仁は、東京で「二十世紀之支那」という機関誌を発行しました。孫文は中華民国成立後の1914年、首相の大隈重信にあてた中国語の書簡で、単独の「支那」を29回、「支那革命」を1回、「支那国民」を2回、「支那人」を1回と、「支那」を計34回使っています。

  この手紙は中国のインターネットでも話題になり、「孫中山(孫文)は日本に支援してもらったので、媚(こび)を売ったのだ」などとする意見が多く出されました。しかし、「媚」とまで言うのは考えすぎ。たとえ積極的に使ったのではないと仮定しても、「日本でそう呼んでいるのだから、よかろう」ぐらいの意識だったとみるのが自然です。


■戦前の日本政府は「中華民国」の国名に反発

  その後、孫文も「支那」との国名は使わなくなりました。日本政府は当初、「中華民国」は尊大な自称だと反発し「支那共和国」などと呼んでいました。その後、中国では逆に日本での「支那」という呼称に対する反発が発生。「正式な国名を使え」というわけです。1930年代になり、日本は正式な外交文書では「支那」を使わないようになりましたが、実際には「支那」の呼称が広く使われていました。

  第二次世界大戦後、戦勝国になった中華民国政府は改めて、日本に「中華民国」の呼称を使うよう要求。「支那」の呼称は、報道などからも消えることになりました。

  清国人から支那人、中国人へと自称が変化したことは、中国人の国家に対する意識の形成と連動しています。ここでいう「近代国家」とは、「住民(国民)全体が、国を自らの『共有財産』と考え、恩恵を享受する権利と同時に、保全の義務を当然とみなす国家形態」と考えてください。

  今となっては当たり前の国家観ですが、かつては違いました。江戸時代に、武士階級以外の人々は、「領土を守る」ことにまったく無関心でした。中国ではアヘン戦争に負けた結果、「皇帝を守る」ため、比較的簡単に香港という「国土」を手放しています。国土は支配者の財産であり、国民の財産ではありませんでした。


■日本から刺激受けて成立した「近代中国」

  「近代国家」の意識は、日本では明治維新で形づくられ、日清戦争ごろまでに意識面でもほぼ定着したと考えてよいのですが、中国は遅れました。このことに、日本に留学した中国人は、大きな衝撃を受けました。欧米列強だけならまだしも、同じアジアの国である日本が、強固な統一体である近代国家に変貌しており、小国であるにも関わらず、日清戦争に勝利した。清朝を滅亡に追い込む中国の大変動は、近代日本に接したことが極めて大きな要因になったと言うことができます。

  日本に留学した周恩来の日記(※)を見ても、「靖国神社の大祭を見て、はなはだ大きな感慨」(1918年5月1日)などと記述しています。もちろん、「A級戦犯の合祀問題」などが発生するはるか以前のことです。周恩来の日記には、祖国を憂う心情がしばしば書き連ねられており、日本では国のために命を落とした軍人・軍属に、国民がこぞって敬意をあらわすことに感銘したと考えてよいでしょう。当時の中国では、ほとんど考えられない光景でした。

  中国人読者の猛反発を承知で書きますが、◆中国人は明治期の日本に多くもものを学んだ◆その中には「アジア人も欧米に準じた近代国家を作らねばならない」という認識も含まれる◆近代国家では、国のために命を落とした軍人が、きちんと称賛される◆日本に留学した中国人も、そのことを知った――ということを総合すると、北京の天安門広場にある人民英雄記念碑(紀念碑)が作られた背景にも、靖国神社の影響があると考えられます。

  両者とも、戦争で命を落とした軍人(烈士)への哀悼ではなく、英雄(英霊)として称賛することを本来的な目的としている点で、非常によく似た性格を持っています。ちなみに、同碑の裏面には、「犠牲になった英雄たちは、永遠不滅だ」などとする、周恩来の文字があります。もちろん、そこで称えられている軍人が命を落とした戦争の性格そのものは、別の話です。

  なお、日本で近代国家が比較的スムーズに成功し、中国で遅れたことで、両民族の優劣を論じることができません。外的要因としては、欧米列強がまず狙ったのは「中国」で、欧州からより遠く市場としても小さい日本は後回しになったことがありました。

  また、中国では皇帝を頂点とする前近代的な中央集権国家の完成度があまりにも高く、近代国家を築く上でかえって障害になったことも見逃せません。日本では歴史上、中国にならった中央集権の試みが何度かありましたが、結局は実現しませんでした。幕藩体制では、各藩の武士階級が、みずからの国(藩)は父祖が血と命で勝ち取った共有財産だとの考えました。つまり「公(おおやけ)」の概念が発達したわけです。

  その概念の対象を、ひとつの藩だけでなく全国規模に拡大すれば統一日本という国家を形成することになりますし、四民平等という縦方向の延長で、全国民が権利と義務を持つ国づくりをすることになります。また、中国とは異なり「万世一系」とされる天皇の存在を強力な軸として、国民をまとめることもできました。近代国家への脱皮は中国よりも容易だったと考えます。

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※周恩来『十九歳の東京日記』(矢吹晋・編/鈴木博・訳―小学館文庫)

※これまでの掲載について「キャセイ航空の『キャセイ』も、チーナ系統の言葉か」との問い合わせがありました。「キャセイ」の語源は、10世紀から12世紀初頭まで「遼」の国号で中国北部を支配した民族、「契丹(キタン)」が語源とされています。モンゴル人が中国全般を「カタイ」などと呼び(現代モンゴル語では発音も変化し、元来は複数形だった「ヒャタッド」と呼んでいます)、ロシア語でも中国を「キタイ」と称するようになりました。「キタイ」系統の言葉はその後、英語などで中国を指す雅語の「キャセイ」になりました。

(編集担当:鈴木秀明)
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