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先回に続いての「新しい創傷治療」HPの「書評」より
『病原体から見た人間』 (益田昭吾,ちくま新書)
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho.htm
以下ーーー一部抜粋ーーーーーーーーーーーーーーー
病原体とは何か,病原体と病原性を持たない細菌の違いは何なのか,そもそも病気とは何なのかという医学の本質に鋭く踏み込んだ好著である。私を含め,おそらく大多数の医者にとって「目からうろこ」本だと思う。だが,全面的に褒めるかというと,ちょっとなぁ,という気もする。前半の病原性の本質についての部分は文句なしに面白いし,病原体とその環境の関係は深く考えさせるものがあり,この前半だけなら手放しで賞賛する
で,大絶賛の前半部分について。
どんな生物にも生活する環境がある。皮膚常在菌にとって皮膚が唯一の生活環境だし,大腸菌にとっては大腸が唯一安定して生存できる環境だ。だから,基本的に常在している環境(人体)に対しては細菌は病原性を持たない。皮膚常在菌が皮膚に病気を起こして破壊してしまえば,自分自身が死んでしまうからだ。皮膚に皮膚常在菌が病気を起こすのは,乗っているいかだを燃料にして燃やしているようなものだ。
そういう観点からすると,病気を起こして宿主を殺してしまう病原体というのは極めて異常である。
宿主が死んでしまったら自分も生存できなくなるからだ。それは単なる自殺行為であり,生物としてはあるまじき行動様式である。
それならなぜ,病原体は宿主に病気を起こすのだろうか。
その疑問に明確に答えるのが本書である。
著者は,「常在性=生物が環境の復元力を損なうことなく安定して存在する性質」,「病原性=生物が環境の復元力を超えて増殖してしまう性質」と説明している。
これは細菌だけでなく,他のあらゆる生物にも見られる現象だ。
例えば,「沖に浮かぶ島の緑が鹿に食べ尽くされようとしている」という場合,その島にとって鹿は病原体である。「燃料とするために木を切り尽くし,土地が痩せて耕作できなくなって住めなくなった」という場合には,その土地にとって人間が病原体となる。
なぜ病原性を持つ細菌が登場するかといえば,それは,その細菌が生息する環境が本来の常在している環境でないためらしい。
要するに,住む場所を失い,彷徨して暴走している状態が病原菌なのだ。
狂犬病ウイルスが人間を殺してしまうのは,人間が本来の「環境」でないからだ。
実際,狂犬病ウイルスは本来の宿主に対しては狂犬病は起こさないのだ。
では,病原性を持たない細菌が病原性を持つようになる引き金は誰が引いているのか。
それがバクテリオファージであり,プラスミドだ。
例えば,ジフテリア菌はもともと人間の咽頭粘膜の常在菌であって,病原性を持っていなかったらしい。
しかし,ファージが持ち込んだ遺伝子と,もともとジフテリアがもっていて働いていなかった毒素遺伝子が密接につながっていて,ファージの宿主であるジフテリア菌が毒素を産生してしまうらしい。つまり,ジフテリアという病気の本体はファージである。
ジフテリアにとってはファージ遺伝子は自分の役に立たない余計物であり,その複写には菌自分のエネルギーが使われるのだから,むしろ邪魔者である。
だから,ファージは自分がジフテリア菌内部に存在する意味を宿主に認めてもらわなければいけない。それが毒素産生だ,と本書では説明している。このあたりの詳細な論証はとても面白い。
そのほか,黄色ブドウ球菌が病原性を有する原因,ボツリヌス菌や破傷風菌があれほど強力な毒素を発揮している理由などを「病原体側の論理」で明らかにしていく。
このあたりの発想は,医者には絶対にないものだと思う。
また,人を本来の環境とする結核菌の戦略とか,ペスト菌にとって人間の肺ペスト大流行は無意味な現象とか,どれも納得させられるものばかりだった。
ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
私のコメント
専門家にはちょっと難しい方が受け入れやすいと言うのがこの世の常ですが、一般の熊さん八さんにも、子供にも分かり易くとなると・・・
こういう事ではないのかという私見(これも誰かの引用なのだが)
体内は血液で満たされている。
その血液がなんらかの理由(産まれながらの遺伝や、産まれてから入ったもの、また精神の作用も血液に作用するという等)で、
血液が汚濁する。
汚濁するもとは「毒素」と総称する。
その毒素が増えると血液は汚れた状態になるから、いったん局所に集めてやる。
全体の清浄化と供に局所の集中汚濁化現象。
集まる箇所はもちろん細胞組織である。
局所的に集まった毒素は生体活動にとって有害である。
人体の清浄化機能はつぎに局所に集まった毒素を体外に排除する(浄化作用)
毒素の集まった細胞の集合部は細胞そのまま排泄出来ないので、細胞破壊が必要。
その際に微生物が関与する。
大きいもの(細菌)は細胞を直接分解して毒素を排除する役割。
小さいもの(ウイルス)は細胞(膜)破壊の為に活動協力する役割。
いずれにしても毒素分解時に高熱が必要。
固結した毒素を高熱で溶解して、体外へ移動しやすくするための発熱。
この発熱が起こるとスムーズに清浄化作用が進むので、細菌は毒素と供に体外へ。繁殖活動も必要なくなる。
ウイルスの場合は間接的に細胞破壊に貢献した後、発熱の後は役目を終えて活動は収束する。
一見、高熱がウイルスをやっつけるかの様に思われるが、ウイルスの役割が終えただけの事。
高熱の段階になると毒素溶解で液状になって移動できるようになるから、目的の細胞破壊の段階は終わるからだ。
高熱を冷やしてはいけないのは毒素の排泄途中を抑え込んで再び内向させるからだ。
この様にウイルスや細菌が(病原性に見えるだけのことだが)活動する時は、宿主の血液や細胞の状態によるのである。
本末転倒を学理にしてしまったので、医学が実際の治療には役に立たない理由である。
口蹄疫の場合は、宿主を全部殺してしまえば「確かに感染も発症もしない」からだが、これでは「頭が痛いから頭を切り取ってしまえ」方式である。
医学には「自然治癒」という教えは無いと聞くが、まさにそのまま実行すればこうなる。
医学者も医師も国の上級官僚も現代教育の最先端を習っているものだから、頭が良いほどこの教育(医学教育)を確りたたき込まれてしまっただけのこと。
むしろ、あまり学問などに縁のない様な人の方が直感的に自然の仕組みが理解できるだろう。
ただし、これは医学教育に対しての話しであって他の科学研究についてすべてであるとは言っていない。
子供にも分かり易くと・・・書いたが、これじゃまだまだ難しい表現だったようだ。
質的にはかなりの核心に近づいているとは思うのだが?
理解しにくいところは素人の作文だからご勘弁を。
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