05. 2010年6月17日 23:30:40: 0Vlmqxhudk 投稿者です。 01さん03さんとも、言ってることが矛盾してるんだが、その矛盾に自分で気づいていないことが問題なんですよ。 こう申し上げても理解できんだろうが。比嘉氏についても、この人は農学博士というれっきとした科学者だが、その科学者が科学を全面否定した立脚点にたって発言し、行動しているということ。 矛盾してるんだが、本人は涼しい顔をしている。 つまりこの人は、科学者という衣(学位)をまとい、自分は科学者だと主張しながら、現時点ではわけのわからないEMとかいうものを媒体として「EM教」の布教にはげんでいる。 だから世間は混乱し、多くの人々はこの人を詐欺師と目しているわけです。 逆にこの人が、行く先々で「私は一方では農学博士の学位をもっているが、同時にEM教の教祖でもある。今日は科学者としてではなくEM教教祖として布教活動に来ました」とでも言って回れば、世間は納得するのです。 「ああ、この人は宗教家なんだな」と。 誤解しないでほしいことは、俺はEMを否定しているものではない。 だが、あたりまえだが肯定もしていない。 現時点では前にも言ったが“わけのわからないもの”との位置づけが正しいと思っている。 「君子危うきに近寄らず」の諺にならい、俺は“わけのわからないもの”には手を出さない。 比嘉氏が自身は科学者であり、EMは科学であると主張するなら、彼は自身の手により科学的方法をもってしてEMを検証しなくてはならない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6%E7%9A%84%E6%96%B9%E6%B3%95 比嘉氏が自分自身で「EMは科学では検証不可能なもの」であることを知っているのなら、少なくともそれを科学者という立場で世に送り出すべきではない。 そして比嘉氏の最大の罪は、科学者である自身が「そんなことは百も承知」であるにもかかわらず、それについては頬かむりしていること。 科学者でありながら、科学に対して背信しているわけです。 何度も繰り返すようだけど、比嘉氏が宗教家の立場で「EM大明神のおかげで口蹄疫は防げた」と発言するのは問題ないわけです。 いや問題あるかな・・・・・(謎) 世間は01さん03さんみたいな人々を「○○信者」と呼ぶ。 あなたがたを含めた「○○信者」の皆さんは、ものの考え方のベースが「信ずる者は救われる」なんですよね。 その思考ベースはあなたがたの中では普遍性があり、一度何かを信じたら、後ろを振り返ろうとはしない。 そして、ものごとに対して懐疑的な態度で臨む人々を軽蔑する。 でも我々世間一般の住民は、常に未知なるものを解明しようとする「科学的思考」をベースとしたパラダイムに住んでいる。 だから科学的検証を踏んでいないEM等々に、我々世間一般の人間が疑惑の目をむけるのは当然だし、「信ずる者は救われる」を思考のベースとしているあなた方が、その思考ベースを土台として我々を説得しようとしても、必ず失敗するのです。 「信ずる者は救われる」のは、宗教の世界なんです。 宗教で科学は否定できないし、同時にまた科学で宗教を否定することもできない。 宗教と科学、どちらが上でどちらが下という話でもない。 01さん03さんが、例えば「神」と対峙する時、「信ずる者は救われる」の世界の住民として対峙するのが正しいでしょう。 でも、あなたがたがEMのようなものに対峙する時は、科学的思考のパラダイムに戻り、科学的思考をもって対峙すべきなんです。
|