http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/650.html
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口蹄疫騒動は掲示板を賑わせていますが、どうも鳥インフルエンザとかに共通している「おかしなウイルス理論」に振り回されているかのようです。
ウイルス学者は生体の病気を臨床上で確かめながら研究していないのでしょう。
いわば机上の理論的であり、顕微鏡下や試験管、ビーカーの世界をこの自然界全体と同じだと錯覚してしまったのかも知れません。
だから、そこから産まれた医学、獣医学がどうも的外れというか、科学的と称してもやっていることがあまりにも稚拙過ぎます。
どうやら人間の世界に何かのウイルス病が蔓延しているのかも知れません。自覚症状無しに。
防疫対策の結果がよければ何も言うことはないのですが。今のやり方だと将来は大変は防疫政策をやることになりそうだからです。
今回はいつもちょっと刺激的な書き方ですが、とても参考になるブログから一部転載しました。●本文にて全文ありますので、直接そこで読んでください。
(口蹄疫について私の簡単な結論は最下部にあります)
ーーーーーーーーーーーーーーーー以下転載記事ーーーーー
つれづれすくらっぷ
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/933383/
あまりにも、われわれは通常ウイルスに感染していない、と錯覚してないか?
インフルエンザ、はしか、みずぼうそう、おたふくかぜ、肝炎ウイルス、HIV・・・。脊椎動物は、なぜ、T細胞やB細胞を含めた高度な免疫機構を発達させてきたのか。
その意味をよく考え、そのための正確な知識を身につけておかねばならない。
騙しの手口に引っかからないために。そしてそれは、実は至極ありふれた存在であり、知らぬまま感染の経験を繰り返しているのだと思慮しておいたほうがよい。
《細菌とウイルスとでは、私たちの免疫反応が異なる》
《「免疫は、異物を「排除」するための機構ではなく、ほかの微生物との「共生」をいかにスムーズにするか、そのための機構である。つまり「免疫」とは、生体防御というよりも、「共生のための手段」に思われてくるのである》
《異物の大きさによって顆粒球またはリンパ球が優位になり、生体防御の機能が働く。》
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/608153
ウイルス排除・根絶という思想は、ウイルスという存在に対して間違った考え方である。
それは、やろうとしてもできもしないことだ。「できる」と思いこませられることは、できるそぶりをした悪魔的な偽善欺瞞の輩を招きよせることになるだけだ。
ウイルスに感染しなければ病気にならない、という考え方は一理ありそうでいて、実は間違った考え方である。
ウイルスになるべく(絶対)感染しなきゃ病気にならないとか、できるだけウイルスを遠ざけて感染を避けることが大事だとか、ウイルスは見つけ次第根絶制圧してしまわなきゃいけないとか、そういう騙しの嘘をつく人間を信じてはいけない。
たとえ行政の人間であっても、肩書の偉い御用学者であったとしても、厚生労働省や保健健康に関わる国際的機関の公式発表だとしても・・・。
ウイルス感染症についていえば、軽症で済むうちにさっさと感染して罹って経験しておくことが肝要だということ。罹らなければいいという短絡的な考え方は、成長したあとで重篤な病気になる体質をつくり、わざわざそのような機会を招くことをするようなものである。
あまりにも知識がたらなすぎるように思われるのである。さっさと軽くかかってしまうことを意識すれば、ほぼワクチンも必要がない。
というよりも、自然に罹ることが天然のワクチンのようなものなのである。
ウイルス感染は回避すべき「悪」ではないのであるし、外部から突然やってくる外敵でもない。いま、ウイルス感染政策を主導しているものたちは、あまりにも異能異形の輩であるように思われてならない。厚生労働省や農林水産省の施策担当者ならびに御用学者たち・・・。あまりにも臨床現場の知とは異質である。
「人類はウイルスと共生する。しかし、ウイルスの働きが生みだす病気に対しては徹底して対抗する。人類の英知をもって――。」 日沼頼夫
【勉誠出版 --ウイルスはどこにでもいる】
http://www.bensey.co.jp/book/1347.html
【勉誠出版 --ウイルスと人類】
http://www.bensey.co.jp/book/1321.html
ニワトリのウイルスは排除・根絶ができると思いこむのは、アカい(理念・観念優先型のキチガイ的)妄想・・・。ウイルス(感染)によって起きている疾患の本態を知らないのだろうね。
ただただ排除しさえすれば、それをし続ければ、病気は予防できる、回避できると信じて疑わない信仰でもあるらしい。
笑いを通り越して戦慄すら感じる。
ウズラ26万羽の殺戮を平然とやれる集団的なキチガイ状況は、もはや正気の沙汰ではない。
われわれの社会は、いっちゃなんだが、宦官時代のシナのレベルに堕してしまってるよ。とても情けない話だ。かつてソビエトでは「ルイセンコ政策」なるものが席捲したという。
それと同じ轍を踏んでしまってるんだが、行政に関わる公務員たちよ(議員も含めて)、自らの愚かさを自覚すべきである。
農水省はキチガイ組織と化してしまったな。2004年京都・浅田農産事件、2005年茨城・愛鶏園事件・・・。
かたや、動物愛護法制度で、下らない「動物愛護センター」を増殖肥大させ、動物販売業を届け出制から許可制へと改め、有資格者を配置しなければ販売できないようにさせて、しっかりいんちき専門学校利権を支持支援し、かたや、科学的な根拠もあやふやな疾患を法定伝染病に組み入れて、不条理な大量殺戮に追いやる制度をわざわざつくり施行する。
霞ヶ関中央官庁は狂ってるよ。それを軌道修正できない、役所はおおかた正しいことをやってる、と思いこまされてる日本国民もまた狂ってるよ。
これもまた、われわれ日本人の知性劣化と、他人事感覚、無関心、無責任の姿の顕れだな。
民族浄化政策に等しい愚策失政である、
鳥インフルエンザ「清浄国」政策。
わが国の農水省という役所の中の人たちは思考停止に陥ってるのか、それとも目的と手段(方法)の倒錯状態(ウソとホントのスリカエ我田引水の詐欺師)にあえて徹しているのか・・・。
ーーーーーーーーーー転載終了ーーーーーーーーーー
私もこの防疫理論というか、獣医学の根本が間違っているように思います。
世間で騒いでいるのは、「この医学が正しい」という事を前提にしていろいろな議論がされているようですが、「もしも」この獣医学(正統な現代医学の範疇なのだろうが)に間違いだらけだったとしたら、全然的外れな対処法をやっているわけです。
それが結局は家畜業の方を苦しめ、多額なる国の血税を使いまくる。
どうも西洋文明の落とし穴にはまった日本国は「世界の型」的役割をさせられていると思えます。
ただ、大きな視点でみれば、今の畜産業はまったく不自然な飼育(飼料から始まって)をしているので、家畜動物もかなり不健康状態であり、それを食べる人間も不健康になるという点を考えると今回の病気発生の良し悪しは天の意思なのかと思えます。
それと世界の食糧事情は逼迫しつつある事です。
家畜にまわす食料がどれだけ不効率であるかは知られていますので、家畜業の衰退は自然的に直接ひとへ渡る食料が増えるわけで、世界の飢餓状態に貢献することになります。
それはそれとして、
なにも感染してもいない家畜まで殺すというこの政策の裏には、やはり間違った医学思想が世界中に蔓延しているということです。
その中でもこの日本の上層部にある専門家がすっかりこの思想にかぶれてしまって、社会の指導的役割を果たしている、とすると、直ぐには変えられないでしょう。
もう少し時間が経たないと皆が理解できないようです。
理解するには多くの国民を含めて「どうもおかしい?」と思わせるほどの、大失敗でもないと無理なのかも知れません。
それまでは、ここに転載飲用した記事も、おそらく、「大本営発表に抵抗するレジスタンス的非国民の発想」として無視されるでしょうが。
このページのコメント覧にも参考になるものがありましたので、一部転載しました。
ーーーーーーーーーー以下一部転載記事ーーーーーーーーーーー
2009/03/01 06:35
Commented by ニッポニア・ニッポン さん
農水省と御用獣医微生物学者たちは、疾患についての考え方がおかしい。ウイルスの病気は、ウイルスを排除・根絶すれば事足れりと思っているらしい。ウイルスを根絶するには宿主ごと根絶してしまえばいいという短絡脳・・・。「馴致」あるいは耐過養生という現実的な対処を何も知らないらしい。感染が「ない」ことを前提にしているようだ。ありふれてるなんて、まったく意識の蚊帳の外なんだろうね。閉鎖脳あるいは自閉症脳あるいは学習障害者あるいは高機能発達障害者の群れを見ている錯覚に陥るのだが・・・。きちんと免疫を獲得してウイルス感染に対する耐性を身につけすこぶる健康に生活している個体を、検査でたまたまウイルス感染の痕跡を確認できたからといって、宿主ごと根絶対象にしなきゃいけない「制度」のほうがおかしいということだ。科学オンチの文官が無知でバカなのはしょうがない。だが科学知識の専門家がそういう考え方をするのならば、科学者で政策に関わっていることの存在価値や存在意義はまったくない。誤謬政策を軌道修正するために科学の知があるのではないか。まったくあきれてしまうよ。
2009/03/02 01:44
Commented by ニッポニア・ニッポン さん
「抗体陽性」ってことは「ウイルスの感染経験があった」ということ。感染しても病気にならないということでもある。病気にならなければ、ウイルスがあろうがなかろうが、生体にとっては別に重大なことはなにもなく普通に「共生」してしまうということ。根絶政策にはほとんど意味がないということでもあり、むしろそういう状態にもっていくのが現場の古くからの技法である。「清浄化」「清浄国」というのはよくいって「タテマエ」、悪く言えば「偽装」そのもの。農水省はあからさまな「偽装」政策をやってんだよ。
ウイルスと生物との長い間の関係を、「家畜伝染病予防法」をヤブカラボーに盾にして振り回す「思考停止」「思考放棄」の方々は、理解できないバカの壁が存在してるようだ。「免疫」が無効だとでも思い込んでるのだろうね。思考の貧困、知識の貧困そのものだ。獣医だろうが人医だろうがウイルス感染疾患の基本は同じだろうにね。何か人間とは異なった特別なセオリーでもあるのかね?獣医学界は・・・(笑)。
病気に強く(重篤に)罹るか、やんわり軽症で済むかは、けっしてウイルスの性状に原因があるのではないのだが、件の鳥インフル御用学者たちはわけても、そういうウイルスの違いがあたかもあるように演出する不思議な魔法使いらしい(笑)。ウイルスに弱毒型だの強毒型だのとレッテルを貼りたがってね。はたまた「高病原性」だのというレッテルも同じたぐいだけどね。疾患現象は一義的にウイルスの感染で決まるわけではないということに、もっと認識を深めたほうがいいな。生体側の免疫機構とのバランスの問題だ。同じ種類のウイルスの中に括られるものはウイルスの性状にさほど大きな違いはない。あるのは、それが感染できる宿主の側の免疫状態や体調や体質に違いがあるからこそ、疾患の病態も多様であるということにすぎない。ウイルスのほうだけを向いても、病気のことは何もわかりはしないよ。
ーーーーーーーーーー転載終了ーーーーーーーーーー
私の結論としては、
不自然な畜産から産まれるのは不健康な動物である。
不健康な動物だからいろいろな病気が発生する。
病気はその不自然を改善する働きがある。それが病気に罹って獲得する自然免疫である。
不自然的抗体をつくって病気に罹らないようにするという予防接種は、まったく不自然であるから、効果があっても一時的であり、ますます不健康にする。
そして、また病気の原因となって発症する。
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