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中西準子さん(環境リスク学研究者)のブログから:「いつまで続く、新型インフルエンザ−パラノイア?」(5/12〜26)
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投稿者 passenger 日時 2009 年 6 月 07 日 19:24:52: eZ/Nw96TErl1Y
 

中西準子さん(環境リスク学研究者)のブログから:「いつまで続く、新型インフルエンザ−パラノイア?」(5/12〜26)


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中西準子さんのブログ「雑感」
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak471_475.html#zakkan473

●●●雑感473-2009.5.12
「何時まで続くFlu Paranoia? −騒ぎ方で民度が分かる−」


●ある会議で

「今日の会議の出席者多いね。」「海外出張の足止め食ってるから、この会議に出てきた」「それで多いんだ」などと言っていると、アナウンス「XX先生は、海外から帰国後自宅待機で欠席です」。みんな大笑い。もう、笑い話になっている新型インフルエンザ。


●リスクは時間とともに変化

新型インフルのリスクがどの程度の大きさのものかは、最初は分からなかった。特に、メキシコでの感染者数に対する死亡者数が大きかったために、相当深刻な病気と考えざるをえなかった。

その場合、リスクが大きいと仮定して、厳しい対策を講じなければならない。しかし、今や、新型インフルに感染しても、その病状は非常に軽いことが分かってきた。つまり、リスクは大きくないことが分かってきた。

リスクの大きさは推定値なので、このように時間とともに情報量が変化することで、同じ現象でもリスクの推定値は異なる。そして、その推定値の大きさに応じて
対策をたてなければならない。ここが難しいところだ。

つまり、当初はリスクは大きいと推定せざるを得ないので、後から考えると大袈裟な対応をとらざるを得ない。しかし、情報が入り、それほどでもないと分かれば、対策は緩和されるべきだ。

私がここで書くことも結果論である。今の時点での結果論。それに対応することがリスク管理である。何も分からない時には、厳しい措置をとらねばならない。しかし、今やそれほど大きなリスクではないことが分かってきた。それに対応すべきである。

今回も、このケースだろう。しかし、どうも我が国はそれができない。


●何故、我が国はそれができないか?

第一は、リスクの大きさに応じて対策をたてるという考えがないからである。また、リスクには「大きさ」があることが分からず、ただただ、危険としか捉えないからである。

第二は、危険度が小さいと言うと、何かあった時責任を追求される、危ないと言っておいた方が身の安全である、という風潮が強いからである。最も厳しい措置をとる組織や人が偉いみたいになって、競争で厳しい措置をとる社会が作られる。

そして、末端の組織にいくほど厳しくなる。国の方針を県が受け継ぎ、市が受け継ぐ、その都度、安全への忠誠度を誇示するために、厳しい措置がとられる。

第三に、WHOのミスリーディング。ただ、救いは日本からの代表である田代さんが冷静なことだが、意図的か非意図的かは知らないが、WHOのメッセージは明らかにおかしい。説明不十分である。これは後で書こう。WHOを偉いと思い込み、錦の御旗にしている人が、日本には多いので、WHOのミスリーディングに乗ってしまう。


●インフルエンザのリスクとは何か?

インフルエンザのリスクは、今の状況では、次の式で表現できると考えていいだろう。

リスクの大きさ=(ウイルスの感染力)×(接触機会)×(1−免疫力)×(深刻度)÷(個人の体力・国の体力)

新型インフルで、これらの要因の大きさはどうか?

<リスクを左右する要因>

ウイルスの感染力:特に通常のインフルと変わらないようだ。

接触機会:ウイルスの種類によらない。(今回のように外国で発生している場合には、我が国では、水際作戦という方法がとれる。これはいい手段である。)

免疫力:新型なので、これが問題とされている。つまり、これが0だというので問題になっている。

体力:他の病気の場合と変わらないが、先進国では途上国に比べ、個人の体力も国の体力も大きい。国の体力とは、高度な医療処置へのアクセスである。途上国に滞在していると、やや問題になるが、それでも、日本という強さは相当あるだろう。体力があれば、リスクは相当小さくなる。

深刻度:病気の深刻度は、感染者当たりの死亡率で表現できる。この大きさがリスクを大きくする最も大きな要因だが、今回はこれが非常に小さい。つまり、弱毒である。

免疫がないということは大きな問題だが、それ以外は、むしろリスクが小さいことを推定させる要因ばかりである。特に日本にとっては。


●強毒化するという説明

人から人への感染で強毒化するという説明がある。そういう可能性はあるので、観察は必要だが、だからと言って、今は弱毒性だということは動かない。強毒化は、どのウイルスにもその可能性がある。特に、新型の場合、予測しにくいという面はあるが、このウイルスがswineからきていることを考えると、それほど大きいとも思えない。

しかし、その可能性はあるので、とりあえずは、感染があまり広がらない対策をとることで考えるしかない。それ以上のことも考えろということは、あらゆるウイルスに対し、そういう可能性を加味して対策をたてろということになり、できない相談である。

(ここまで書いて時間切れ。様々な用事で時間がなくなりました。また、次の機会にします。今週は、Googleの書籍サービスのことを書こうと思っていたが、それもまた、別の機会にということになってしまった)

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●●●雑感474-2009.5.19
「いつまで続く、新型インフルエンザ−パラノイア?(その2)−発想の転換を−」

●私とインフルエンザ
   私は、インフルエンザには神経質だ

 
私は、平均的な人と比べてインフルエンザに神経質である。何故なら、高齢であること、多くの人に接する仕事をしていること、それに加えて、インフルエンザの予防接種を受けることができない体質であることからである。

どちらかと言えば、私は予防注射には熱心な方である。ところが、数年前、インフルエンザの予防注射をした後、少し熱が出て、腹部のあたりに赤い発疹が広がった。ちょうど土曜日だったので、そのまま過ごし、もう問題はないなという状態になってはいたが、月曜日の朝にその病院に行った。

多分、注射の副作用だろうとのことで、抗ヒスタミン剤のようなもの(?)をもらって1回服用したが、それで終わってしまった。その薬が効いたというよりは、自然に治ってしまったという感じだった。

次の年の冬に、予防注射を受けに病院に行ったが、許して貰えなかった。私は何カ所かの病院に行き、そもそもそれほどの副作用と言えるだろうかとお医者さんに詰め寄ったが、どなたもNOだった。でも、これだけ高齢だし、予防注射をしてほしいと繰り返したが、注射の副作用の方が怖い、二度目は大事(おおごと)になると言われ、それほど怖いなら仕事をやめるしかないですね、とまで言われた。

だから、私は、熱があります、咳がありますという状況で、会議やゼミに出席する人には非常に冷たく、帰ってもらったこともあるし、以前から、研究室に手消毒のために抗菌剤をおいていた。

インフルエンザに神経質な私だが、今回のインフルエンザに対する国や自治体、ひいては企業などの対応、それにWHOも含めて異常だと思う。もっと抑えた、小さな対策であるべきだと思う。

勿論、私のようにすでに70歳をすぎつつあり、かつ、予防接種を受けることのできない、薬にアレルギーのある個人の対策と社会の対策は異なるべきで、私が書くのは、社会の政策に関することである。

しかし、社会政策を論ずる場合に、自分がおかれている状況は影響を与えるので、まずは、自分の個人的な状況を明らかにしたいと思って書いた。環境政策や社会政策を論ずる際に、特別の企業とか市民団体から、資金を受け取っているかを明らかにした方がいいというのと同じである。


●新型インフルエンザ第2ステージ

渡航歴のない人が新型インフルエンザに感染していたことが分かって、日本中に今までになかった動きが広がっている。動きと言うより、騒ぎと言っていいかもしれない。今日も十分書くだけの時間がなく、結論だけですが、乞ご容赦!

(最近、家族のことでおめでたいこと、心配なことが次々と起こり、どうにも時間がなくなっています。あと2ヶ月くらいは、見出しに少しの説明だけみたいな状況が続くかもしれませんが、しばらく勘弁してください)

先週も書きかけて途中になってしまったが、今回のインフルエンザの症状は非常に軽い。感染力は強い(ROの値が大きい)という報告もあるが、通常の季節性インフルエンザをここまで調べることはないことを考えると、ROが高いということもないように思う。

強毒化の可能性は追跡すべきだが、とりあえず今は軽いので、軽いインフルエンザとして考えるべきである。その上で、今回とるべき対策は、通常のインフルエンザの場合と同じでいいと思う。

つまり、ある程度集団発生があった、もしくは集団発生の可能性が高い場合に、一定の措置をとる高リスク集団(子供、妊婦、高齢者、病人)に対し、通常より高い防疫体制をとることである。


●何故、そう考えるか?

本来ならば、もっと詳しく理を追って書くべきだが、時間がないために、結論から書くことになるが、私はこう思う。

少し、今の問題から離れてみたい。

インフルエンザは、今後も続々と新種がでてくるだろう。それのすべてに対して、人類は、こういう態度、一切感染があってはならないという立場で臨むのかということである。

新種のインフルエンザウイルスは、次々と生まれてくるだろうと私が予測するのは、発見の技術が進歩してきたからである。

そういう場合に最も重要なのは、そのウイルスがもたらす病気の深刻度(重症か軽症か)によって、対策を分けるということではないか。今のように、感染自体が大問題みたいな考え方でいると、費用はいくらあっても足りない。

片方で、“風邪”を撲滅するために膨大な資金を投入し、他方で、飢餓で多くの人が死んでいる状況を考えると、やはりバランスが必要である。

また、より根源的な問として、ウイルスの発生という自然現象に対し、何が何でも封じ込めるという思想自体がおかしいのではないかとも思う。ここに発想の転換があってもいいように思う。つまり、被害を一定程度に抑えるという考え方である。


●さらに、考える

このウイルスの国内感染に気付かなかったのは、影響が軽微だからでもある。したがって、多くの国にすでに広がっているだろう。これが、夏か冬かは知らないが、広がってくるだろう。今後も外国からもやってくると思う。これをすべて止めるのは、どう考えても不可能だ。

高リスク集団への配慮をしつつ、集団感染をなくすという程度の対策が適切だと思う。出張を禁止したり、集会を禁止したりするのは、特に感染が広がっている地域や集団以外では、無意味な措置だと考える。

(途中ですみませんが、今回はこれで終わりにします)

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●●●雑感475-2009.5.26
「良い方向に軌道修正ができたリスク管理の例になるのではないだろうか−新型インフルエンザの厚労省対応−」


●●A. 軌道修正は良かった−インフルエンザ−

●良い経験になった

新型インフルエンザ問題に対する厚労省、自治体、公的機関、マスコミの対応は、当初本当にひどかったが、5月19日に厚労省が方針転換を打ち出し、ようよう落ち着きを見せ始めた。

何回も書いているが、一番最初は、新型であること(本当に新型かどうかも疑わしくなってきたし、また、「新型」の定義がはっきりしないという問題も出てきているが)、メキシコでの死亡率が非常に高かったこと、それから、WHOのメッセージが危機感を抱かせる内容だったことから、相当大変なことかと誰もが思ったが、直ぐに、メキシコでは医療レベルが低く、重症になるまで病院に行かないので死亡率が高く出てしまうこと、米国などの例で見ると、感染しても症状は軽いことが分かった。

その時点で対策は緩和されるべきだったが、異常に厳しい対策が続いた。国の対策が厳しい上に、下に行けば行くほど厳しい、忠誠心競争が拡大した。しかし、遅ればせながら、厚労省が対策の緩和方針を打ち出した。この方針転換は評価できる。リスク管理という点で、日本にとって、ひとつの貴重な経験、lesson、良い意味の経験になったと思う。
 

●WHOとは何か

何回も書いているが、リスク管理は情報の量が増えてくれば、それに応じて変えなければならない。今回も、最初の厳しい措置は正しかったと思うが、その後の情報に対応できなかった。

これはいつものことで、(1)厳しい措置ほど正しい、(2)予防原則こそ正しい(*そう言えば、最近“予防原則”という言葉を聞かなくなりましたね)、(3)忠誠心競争、(4)厳しい措置で糾弾されたり処分されたりすることはないが、甘い措置だとクビになる、という状況が関係し、誰もが対策の緩和を言い出せないという状況がもたらすものである。

今回もそういう状況は変わらず、さらにそういう傾向に輪をかけて騒ぎを大きくした要因に、WHOの毎日のアナウンスがあった。

今回のインフルエンザの症状は軽いという情報が増え、かつ、我が国ではそれほど大きな問題にはならないということが誰の目にも明らかになりつつあるのに反して、WHOが、インフルエンザの警戒レベルをphase3から5へと上げ、さらには6への変更を議論するという状況があり、それが騒ぎを持続させ大きくさせた。

WHOの警戒レベルは、病気の深刻度は考慮せず、感染の地域的な状況で決めるのであって、phase6であっても必ずしも大変ということではないとの説明もあるが、毎日毎日のコメントは、ひたすら大変という印象を与えるものだった。今になって、これは感染の状況を示しているのであって深刻度は異なると言われても、それは言い訳にしか聞こえないような毎日のアナウンスだった。

ある新聞記者に聞いてみた。「もしかして、あのフクダさんとかいう方は、《phaseを上げますが、phaseとは感染の広がりであって、深刻度ではない》と注釈をつけているが、後半の注釈部分(下線【★引用者注記:この引用では下線のかわりに二重カッコ 《 》 で囲んだ】)をニュースで省略しているのではないか?」と。「フクダさんは、そういうことを明示的には言ってない」とのことだったので、私はWHOにいささか呆れている。

WHOも、病気の深刻度を考慮することを考えているというが、いずれにしろ、ミスリーディングがないようにしてほしいと思う。今回のインフルエンザをphase6にして、pandemicと称したら、やはりおかしいでしょう。後に書きますが、pandemicの定義そのものを変えるべき時にきているのだと思う。


●WHOはそもそも途上国を向いている

つぎに、WHOのアナウンスを受け取る、その日本の態度、日本人の態度にも問題がある。

WHOは常に正しいことを言い、それに従うのは当然という雰囲気があるが、それは、少なくとも日本では間違いだと思う。WHOは、世界中の人々の健康管理に努力しているが、それは、基本的に途上国対策である。地球上の健康問題はと考えれば、その99%か99.9%かしらないが、圧倒的に途上国の問題なのだから、そのことを主眼にするのは当然である。したがって、WHOの様々な勧告やガイドラインは、途上国向けであることを知るべきである。

米国や英国などの先進国は、WHOの勧告を国内に適用する時には、相当修正している。これは、水道水質ガイドラインなどでも同じである。米国の友人の一人は、WHOを途上国対策の面で指導するのは我々で、我々がWHOの言うことに従うなんて意味がないとまで言っていた。

今回の報道の中で、米国のCDC(疾病対策センター)はWHOの決めたphaseについては、深刻度を考慮して発表しているというのがあったが、「なるほど」という感じである。

我々も、WHOの勧告をそのまま受けるのではなく、日本に適合するかを考えて適用すべきだろう。


●感染度の基準にも問題があるのでは?

WHOは感染の程度を、いくつの大陸に波及したかで決めると聞いたことがある。今回のphaseの決定も、いくつの大陸に広がったかで判断していると思う(私の推察で、あまり正しくないかもしれない)。

かつてなら、別の大陸にも感染することは大変なことで、その大陸内での広範囲の感染があって、はじめて別の大陸に移行したであろう。ところが今は、人や貨物を乗せた航空機が飛び交い、1日でも感染が他の大陸にも広がる。ところが、WHOの判断基準は、そういう状況を加味したものになっていないように思う。

飛行機で1日で感染が広がるから、より厳しい対策が必要で、だから、従来の基準でいいではないかという考え方もあるが、これでは、いつもパンデミックと宣言しなければならなくなる。「感染の広がり」について、今の時代に合った定義が必要になっているのである。


●今回の軌道修正

以上のような問題はあるが、とりあえず軌道修正が行われた。リスク管理は、情報に応じて対策を変えるべきだということがはっきり認識されたことはいいことだと思う。

何故、対策を緩和せざるを得なかったかと言えば、それは、様々な禁止措置が経済的な損害をもたらし、限度を超えたこと、さらには、医療機関の能力を超え、医療従事者の負担が大きい上に、もっと深刻な病気の治療ができなくなってしまったからである。私がしばしば言うように、まさに、リスクトレードオフ問題なのである。

安全対策は、ひとつのリスク(インフルエンザ)だけを見て、そのリスクを0にしようとすれば、他のリスク(経済的なマイナス、他の病気治療)を大きくするという状況を見据えて、ほどほどにしなければならないということが、誰の目にも明らかになったと思うし、それで、一定の決断ができたということだ。


●誰の功績か?

最終的には、厚労省の方針転換が決め手になるのがだが、それに至るには、いろいろな動きがあっただろう。今回は、専門家が、割合早くからそれほど大きな問題ではないという意見を出していた(5月1日、専門家諮問委員会(委員長:尾身茂自治医大教授))。また、国立感染症研究所の田代眞人氏(WHO緊急委員会日本代表)が、常に、症状は軽い、毒性が強い方に変異する可能性はほとんどないと言い続けたことも大きなことだった。こういう立場の方は、大変だ、大変だと言うことが多いので。

極め付きは、大阪府の橋下知事の働きかけだという報道がある。もしそうなら、これも面白いし、今後に良い経験を残してくれたと思う。


●橋下知事の行動と功績

5月7日の橋下知事の発言には、がっかりした。橋下さんあなたもですか?という気持ちだった。

以下の記事があった。“橋下知事は学校の臨時休校や外出自粛を求める際の要件が国から示されず、都道府県任せになっていると指摘。「都合のいいところだけ分権だ。国を挙げて危機対応をするという意気込みが厚労省には感じられない」と批判した(スポーツ報知)。

あれだけ、地方自治を言う人が国からの統一的な基準を求めている、リスク管理は自治の基本、自分でまずは基準を示すべきだ。当然国としての統一的なことが必要になる場面もあるので、その際は、地方の考え方の総意としての統一見解であるべきではないか。それが、国になにかしろと言っている。もっと厳しい措置をと言っているのだと受け止めた。

しかし、そうではなかったようだ。と言うのは、週間ポスト(6月5日号)には、大阪府庁の衛生部門の職員のいかのような談話がある。

「知事は、今回のインフルエンザは弱毒性と分かっているのに、戒厳令のような措置をとるべきではないという考えで、再三、政府に見直しを要望してきたが、厚労省の動きは鈍かった」。

その後橋下知事は、積極的に舛添厚労相にも抗議し、18日には厚労省に乗り込み、舛添大臣に直談判し、このままでは、大阪の経済が壊滅的な打撃を受けること、通常のインフルエンザ対策に踏み切ってもらわないと困ると、強く訴えた。

翌19日、厚労相は対策を緩和するという方針を出した。最後は、橋下知事の行動が引き金になった。

厚労省が、割合早めに方針を転換したことも良かったが、それが、現場を知っている知事の強い要求でできたというのも、とても良かった。新型インフルエンザ問題は、日本のリスク管理の良い例になったと思う。NHKはじめマスコミはまだ騒いでいるが。NHKのニュースにはあきれますね。


●独り言

「今回は、割合うまく行ったのではないでしょうか?BSEなどと比べて。BSEと言えば、未だに全頭検査している県があるそうですね。お金持ちですよね。本体の危険性の大きさは変わらないとしても、リスクは推定値なので、情報の多寡に応じて推定値たるリスクは変化する、それに応じて対策は考えるべきと言ってきましたが、今回はそれが、できましたよね。良かったと思います。でも、中西準子という人間の優位性は低下しますよね。アハハ」(ある新聞記者との会話で)


●B. 私の雑感が読めなくなった−北京より−

北京大学の先生から、私の「雑感」が読めなくなったとの連絡が、3ヶ月くらい前に入った。北京にある別の研究機関、個人の家などいくつか試して貰ったが読めない。毎週読んでいたのに。

広州の友達に聞いたら読めるということなので、中国全土ではないらしいとのこと。中国では、政府がnet情報を制限しているという話しがあるが、私の雑感を中国情報部がcutする理由も見つからない。日本にいる友人が、毎週pdfにして送っているらしいが、どうしたのかな?

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