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ミュージカル映画として成功した「アナと雪の女王」曲の完成度、映像とのマッチング、楽曲の歌いやすさ、極めて高いレベルにある
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投稿者 TORA 日時 2014 年 5 月 10 日 12:41:09: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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ディズニーミュージカルとしては、これはもう傑作としか言いようがない。それぞれの曲の
完成度、映像とのマッチング、楽曲の歌いやすさ、それぞれが極めて高いレベルにある

2014年5月10日 土曜日

ミュージカル映画として成功した「アナと雪の女王」


◆「アナと雪の女王」は日本伝統のオタク文化的視点から評価すべき?文化相対主義のススメ 5月9日 新井克弥
http://blogos.com/article/86094/

ディズニーアニメ史上空前の大ヒット
ディズニーアニメ映画「アナと雪の女王」がディズニーアニメ史上、空前の大ヒットとなっている。世界でもそうだが「ディズニー大好き国」日本では、これに拍車がかかった状態。興行収入は現在100億を突破。3月に封切りされたにもかかわらず、勢いはとどまることなくそのままゴールデンウイークに突入。この時期に放たれた大作邦画「相棒V」「テルマエ・ロマエU」「名探偵コナン」「クレヨンしんちゃん」を押しのけて堂々の一位を維持。ミュージカルでもあるため、サウンドトラックも大ヒットで、ディズニーアニメとしてはアルバムとして初めてのオリコントップを記録。映画館では「シング・アローン」と呼ばれる、映画を見ながら一緒に観客が歌うという企画も全国で開始され、まさに「アナ現象」が起きている。

しかし、ちょっと面白いことがある。それはレビューの評価だ。総じて高い評価を獲得しているが、一方で、少数だが五つ星中星一つ、つまり最低の評価を付けているレビューもある。つまり、三つ星が少なく、評価が大きく別れるのだ。僕は最高の評価も、最低の評価も、この映画が備えるメディア性がなせる業、つまり正当な評価とは必ずしも思えないと考えている。そこで今回は「アナ」の評価がどのような立ち位置からなされているかについてメディア論的に考えてみたいと思う。

高い評価の多くが盲目的・礼讃的
先ず高い評価。とにかく「すばらしい」と手放しでこれを褒め称える。「これぞディズニープリンセス物語」「これぞディズニー映画」みたいな位置づけだろうか。ただし、こういった評価はきわめて保守反動的なもの。ディズニー教に入信しているディズヲタの萌えなのでレビューとして見るべきところはない。また「アナ」ブームが起こり、レイト・マジョリティーやラガードとしてこの映画を見た層は「みんな行くから」「ディズニーだから」という、きわめて保守的な理由でこの映画に足を運んだだけ。要するにブームに乗っただけの大衆なので、これらのレビューは「子どもによい」「音楽が楽しい」「家族みんなで楽しめる」といった紋切り型の定型になる。いずれにしても、作品の内容についての評価とはみなせないだろう。

低い評価はいくつかのパターンに
マイノリティだが低い評価の場合は少々複雑だ。いちばん安っぽい評価が「しょせんディズニーという、子ども向けを専ら作っているところの作品。くだらないに決まっている」というもの(こういう指摘をする人間は、当然ながらディズニーランドも「こども向けの遊園地」と決めつけるという「思考停止」を行っている)。

次のレベルは「私のディズニーじゃない」というもの。つまり自分ならではのディズニー像、ディズニープリンセス像があり(まあ、これも得てして定型だが)、それに対してキスを絶対化せず、最後にプリンスを見捨てる、さらに愛が姉妹関係に向かってしまう「アナ」の展開が許せない。クレヨンしんちゃんに登場するネネちゃんがときおり叫ぶ「いつものママじゃな〜い!」ってなリアクションだ。

だんだん理屈っぽくなってくると「原作のオリジナリティを踏みにじっている」というものが登場する。これはもう数十年も指摘されている”ディズニフィケーション”という様式に対する批判だ。ディズニフィケーションはオリジナルからバイオレンスとセックス、複雑な人間の関わり合いをとり除き、ストーリーを単純で毒のない「お子様ランチ」にしてしまうという手法(メタ的にはこういった手法こそがアメリカ的なグローバリズムを振りまく「毒」と批判されることもある)。さらにこれらが大ヒットすることでコピー=改変であるディズニー作品の方がオリジナルを凌駕してしまい、こちらがオリジナルに取って代わってしまうといった現象をさす。「シンデレラ」「リトル・マーメイド」そしてこの「アナ」がその典型だ(いずれもストーリー、とりわけ結末が異なっている)。で、これも毎回登場する「お約束」の批判だ。

そして、もっとも理屈っぽい批判が「ストーリーが陳腐である」というもの。なんでプリンスが突然根拠もなく裏切り者になるんだ?、アナとエルサの姉妹愛に根拠が感じられない、人物描写の彫り込みが浅い、なんで突然歌い始めるんだ?エルサが雪山に登る理由、アナがエルサを助けに行く理由、ハンスが姉妹を殺害しようとする理由があまりに無根拠(13人兄弟の末っ子なので王子となる可能性がないといった程度でしかない)など、まるきりいいかげんなシナリオですっかり興が冷める、というものがそれだ。

低い評価に共通するのは「文化絶対主義」
僕はこういった批判をある意味では「そのとおり」と肯定する。毒々しい展開はないし、ディズニー世界からすれば逸脱しているし、ストーリーは勝手に踏みにじるし、だいいちシナリオがバタバタしている。そう、これらの評価はあながち間違いとはいえない。しかし、これは他のディズニー作品の傑作と評価されている作品群にも該当する。たとえばクラッシックのプリンセス三部作の主人公白雪姫とシンデレラ、オーロラはすべて人格的なキャラクターとしては実に薄い。オーロラに至っては最も成熟した身体と容姿を持ちながら、精神的にはどう見ても幼児、つまりネンネで脳味噌カラッポという感じにしかみえない。ストーリーも実に荒唐無稽だ。

確かに、これは「それらの側面からのみ作品を見る」という前提からすればそうなる。だが、ここに「文化相対主義」的視点を導入するとちょっと話は変わってくる。文化相対主義とは自分が属しない異文化を評価する際には自らの評価基準ではなく、当該の異文化の基準に従って評価するという視点。まあ「郷に入れば郷に従え」というわけだ。たとえば日本の古典「忠臣蔵」を考えてみよう。ご存知のように、これはキレやすい殿様・浅野内匠頭が殿中で刀を振り回して吉良上野介をケガさせ誰がために切腹を命じられ、この怨念を晴らすべく家臣たちが仇討ちをする話だが、その結果、四十七士は吉良邸に討ち入り、吉良の首はもちろん廷内にいた家臣たちも次々と殺害するという「テロ」を敢行する。宝塚歌劇やAKB48も考えてみるとおかしい。宝塚は荒唐無稽な芝居を、キンキラキンに着飾った女性たちが大してうまくもない歌と演技でショーをやっているだけだ。AKB48に至っては容姿は二流、踊りも二流、歌も二流、アタマも二流の「並のちょっと上」程度の女性軍団にすぎない。でも、こんなふうに表現されたら四十七士ファンも宝塚ファンもAKB48ファンも、そりゃ怒るだろう。どうみても評価の基準は別のポイントにある。
(中略)

一方、ディズニーミュージカルとしては、これはもう傑作としか言いようがない。それぞれの曲の完成度、映像とのマッチング(時計音やマリンバによる効果音がきわめて効果的に使われている)、楽曲の歌いやすさ、それぞれが極めて高いレベルにある(「メリーポピンズ」「リトル・マーメイド」に匹敵する)。さらにこれらは24カ国にローカライズされ、各国で喝采を浴びた。そのローカライズの仕方もかなり徹底している。そして、その中でも日本版は秀逸の一つに入るだろう。日本語を使うことへのこだわりが強く、僕が調べた範囲では曲の中でカタカナは「ドレス、ロマンス、ドア、サンドイッチ、クール、パワフル」の六つ、つまりほとんど日本語化している英語しかなかった。そしてハッキリとした日本語。意味は限りなく「超訳」だが、それが逆に日本語によく馴染んでいる。おかげで、日本ではアメリカ版より松たか子と神田沙也加、ピエール瀧らが歌う日本語版のほうが圧倒的に支持を受けている(僕は最初英語版を機内で複数回見たが、その後映画館であらためてみるときには日本が版をチョイスした)。で、賛否両論を生んではいるが、みんなで歌う「シングアローン」という映画館で合唱するスタイルすら生んでしまった。そう、「アナ」は日本にミュージカル映画というジャンルを認めさせてしまったという点では、間違いなく革新的なのだ。新しい分野を切り開いた。だから当然、こちらのジャンルでは五つ星だ(ちなみに星一つの酷評をしているレビューも「音楽はよい」と留保を加えるものが多いのは「なにをかいわんや」である)。

ということで、「文化相対主義」的視点から「微分」してみれば、この映画は間違いなく傑作なのである。哲学やイデオロギーについて評価するなら、紋切り型の「ストーリー」の視点から語るといった「保守反動的」なヤボなことをやるのではなく、「ディズニープリンセス物語」(この詳細については本ブログ「『アナと雪の女王』に見るディズニー文化の進化」を参照されたい)での論考と「ディズニーミュージカル」の視点から語るというのが正解。そう、忠臣蔵、宝塚歌劇、AKB48のように(忠臣蔵はミュージカルではないが(笑))。そして、これは間違いなく日本人の感性に合った「萌え」を促すオタク文化の嫡流・結晶でもある(つまり忠臣蔵、宝塚歌劇、AKB48はオタク文化という日本固有の文化?に抵触している)。


(私のコメント)

「株式日記」では文化評論も時々するのですが、文化は分かる人でないと分からないので、音楽を聴いても絵画を見ても、良さが分かる人は鑑賞力の優れた人しか良さは分からないのであって、凡人は人の評価を見てそれに追随して行くだけだ。つまり文化は違いの分かる人でないと良さが分からないのであって、多くの人は流行に追随しているだけだ。

あれだけテレビで騒いだ韓流ブームも内容が伴っていなかったから一過性のブームで終わってしまった。テレビで取り上げればブームになり、テレビで放送しなくなれば終わってしまうようなものは作られたブームだからだ。韓流ドラマを見ても結局は「冬のソナタ」を超えるものは出てこなかったし、NHKもいろいろと夢をもう一度とやっては見てもブームは起きない。

ブームが起きてそれが長く続けば本物と言えるのでしょうが、ビートルズやローリングストーンズなどいまだに現役で日本公演などを行っている。良さが分かる人がそれだけいたという事でしょうが、ポールマッカートニーもまた武道館でコンサートをするようです。はたしてジャニーズ系やAKB48などのグループが30年後も活躍しているかと言うとどうだろうか?

映画などは作られたら永久に残るしDVDなどでも観賞され続けられるものですが、韓流ドラマのほとんどはゴミとして忘れ去られるようになるでしょう。テレビドラマでも傑作ならばDVD化されていつまでも観賞されるのでしょうが、日本のアニメなどは世界中で放送されて、古いものでも未だに放送されている。

もともと子供向けに作られたものだから、ストーリーは毒にもならない薬になるものばかりで世界的に普遍的な価値観があるものだからだ。ディズニー映画も同じようなもので戦前のアニメ作品もいまだに観賞されてきている。子供向けだから政治性も少なく優れたストーリーと音楽で時代の流れを感じさせないものが多いからだ。

「アナと雪の女王」もアンデルセンの「雪の女王」を原作にしたディズニー流に作り変えた作品であり、ストーリー的にはケチのつけどころのある映画なのでしょうが、新井氏によればミュージカル映画として「これはもう傑作としか言いようがない。それぞれの曲の完成度、映像とのマッチング(時計音やマリンバによる効果音がきわめて効果的に使われている)、楽曲の歌いやすさ、それぞれが極めて高いレベルにある(「メリーポピンズ」「リトル・マーメイド」に匹敵する)。さらにこれらは24カ国にローカライズされ、各国で喝采を浴びた。」と評価しています。

私はDVD化されてレンタルビデオ屋で借りてみようと思いますが、ユーチューブなどでも動画で一部配信されているので見る事が出来る。特に日本語版の出来が良いらしく松たか子の「レットイットゴー」は世界でも賞賛されているらしい。「アナと雪の女王」はミュージカルや音楽映画としてみれば傑作映画なのだろう。

さらにアメリカのアニメは3Dアニメで100%コンピューターで作られたアニメであり、スタジオジブリのような手書きで作られた2Dアニメとは異なる。最近ではコンピューターグラフィックスも進歩して実写と変わらないくらい精巧なCG映画も作られていますが、ディズニーアニメは漫画的な描き方の登場人物で描いている。

2Dアニメと3Dアニメとどちらがいいかと言うのは評価は分かれますが、ディズニーのような3Dアニメは膨大な費用と人数がかかり、多くの技術的に蓄積も必要だ。スタジオジブリのような2Dアニメは少人数で費用も少なくできますが、作品内容が評価の分かれ目になるだろう。3Dで作られても駄作は駄作であり、2Dでも作品が良ければアニメ映画として評価されるだろう。

「アナと雪の女王」は世界で1000億円以上もの営業成績を上げたヒット作品ですが、日本でも100億円以上のヒット作品になった。作品のストーリー的には評価が分かれる作品であり、あくまでもミュージカルや音楽映画としてみれば傑作なのだろう。「アナと雪の女王」の作品は本場のミュージカル作家が作ったものであり、それをディズニーがアニメにした。

長編アニメ映画も世界で作られていますが、やはりアメリカが質量ともに圧倒的であり、日本アニメがたまにノミネートされるだけだ。欧米ではアニメ映画は子供用と言った見方をされていますが、「アナと雪の女王」は日本ではミュージカルや女性向けに宣伝がなされて成功した。「風立ちぬ」にしても子供には退屈なアニメ映画であり評価は分かれた。

映画は特に総合芸術であり、台本のストーリーや演出や役者の演技や撮影技術や音楽やプロモーションなどあらゆることが作品の出来にかかわってくる。最近ではお笑い芸人までが映画監督として映画を作っていますが大失敗している。一発ギャグのように簡単にできるものではなく、さまざまな優れたスタッフをそろえないと優れた映画はできない。

「アナと雪の女王」もブロードウェーの作家と役者と、ピクサーの3Dアニメ監督の才能が結びついてできたものであり、アメリカでしか作れない。アニメ映画は世界で受け入れられやすいからヒットすれば1000億円の売り上げを誇る映画となる。さらにサントラ音楽がヒットすれば相乗効果でCDまで売れるようになる。韓国では映画産業を国家ぐるみで支援していますが、成果に結びついていないのは文化的に成熟していないからだろう。アニメでもアメリカに対抗できる作品が作れるのは日本だけだ。

 

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コメント
 
01. 2014年7月27日 12:13:54 : NIvqjURMrU

遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは

http://blog.goo.ne.jp/luca401/e/b312971f1505ea79400753f21a1e365a


アナと雪の女王考 隠されたディズニー 盗作問題 同性愛 なぜ日本版が支持されるか


@語られないディズニー

Aアナと雪の女王 は 『聖闘士星矢』のアスガルド編のパクリ

B アナと雪の女王 は同性愛を示唆している

C なぜ日本版の歌が評判呼んだか「 ありの ままで 」という絶妙な作詞 

 


02. 2014年8月02日 10:19:39 : 9pXbzgLZ5Y
一番いい日本語バージョンで浅田姉妹が滑ってるよ。

だらごろこぱんだ
http://daragorocopanda.blog.fc2.com/blog-date-201408.html


03. 2014年10月04日 14:17:32 : SFE28UTlJ2
http://www.akb48matomemory.com/archives/1007890896.html

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