http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/689.html
Tweet |
(CDレビュー)奇蹟のニューヨーク・ライヴIII ブリテン:戦争レクイエム
小澤征爾 | 形式: CD
http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E8%B9%9F%E3%81%AE%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B4III-%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%B3-%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0-%E5%B0%8F%E6%BE%A4%E5%BE%81%E7%88%BE/dp/B004VN7UUA/ref=cm_cr-mr-title
6 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
生者の悔恨としての音楽
2012/2/13
By 西岡昌紀
音楽は、作曲家が、自分の心の秘密を隠す場所である。ベートーヴェンの晩年のピアノ・ソナタにも、ブラームスのピアノの小品にも、ショスタコーヴィチの第5交響曲にも、或いはベルクのヴァイオリン協奏曲にも、作曲者の心の中の秘密が隠されて居ると、私は思ふ。それは、人に語る事の出来無い秘めた恋の記憶かも知れない。或いは、権力者への秘められた怒りであるかも知れない。だが、それが何であるにせよ、その秘密は、作曲者にしか分からない。聴く者は、それをただ、想像する事しか出来無いのである。
ベンジャミン・ブリテンのこの戦争レクイエムにも、私は同じ事を感じて居る。この曲には、作曲者ブリテンの心の中の秘密が、何か隠されて居ると、私は思ふ。それは、何であろうか?この曲が、第二次世界大戦の戦死者の為に書かれた曲である事から考えれば、それは、間違い無く、あの戦争についてのブリテンの感情に関はる秘密であるに違い無い。それを、私は、この曲を聴き続けて来た人間の一人として、想像で言ってみたい。ブリテンは、あの大戦において、自身の祖国(イギリス)に正義は無かったと言ふ思ひの持ち主だったのではないだろうか?彼は、そして、その思ひを自身の秘密として、この曲の音楽の中に隠したのではなかったか?私は、この曲を聴く内に、そう思ひ始めたのである。それは、この曲を貫くブリテンの感情が、死者を悼む感情と言ふよりも、生者としての悔恨である様に思へるからである。−−悔恨である。−−即ち、あの大戦(第二次世界大戦)において、自身の祖国(イギリス)に正義が有ったと考える多くのイギリス人とは違ふ感情を、ブリテンは、あの大戦について抱いて居たのではないか?と、私は、この作品を聴いて、思ふのである。真実は、もちろん、ブリテンにしか分からない。だが、私には、このレクイエムを貫くブリテンの感情は、自身の側に正義は無かったと言ふ感情である様に思はれてならないのである。
このCDは、小澤征爾氏が、食道癌との戦ひを乗り越えた2010年12月に、カーネギー・ホールで行なった演奏会のライブ録音である。そのせいだろうか。何かそれまでと違った精神的境地から演奏された音楽を聴いた気がする。これは、小澤氏の病気の事を意識して聴くからではなく、本当にそんな気がするのである。「怒りの日」など、本当に素晴らしい。何かに勝利した者の叫びの様な物を私は、この「怒りの日」に感じる。そして、オーケストラも、合唱も、日本人である。その事を、私は、特にこの演奏における合唱の声に感じた。−−この演奏における合唱は、日本人の声である。−−小澤さんは、自分が日本人である事を非常に意識して居る芸術家だと私は思ふが、死を意識させられた闘病の後で、自分が日本人である事を再度意識したのだろうか?そんな事も考えた。私は、このCDを永く聴き続ける積もりである。
(西岡昌紀・内科医/ドレスデン爆撃から67年目の夜に)
http://blog.livedoor.jp/nishiokamasanori/archives/7111705.html
*
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。