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小生の人生最初の記憶は、大阪駅前の焼け跡に広がる闇市で迷子になった時の記憶だ。叔母が連れて行ったらしい。曾根崎警察署に保護されて西向きの正面玄関で警官に買ってもらったアイスキャンデーをなめながら、強い西日を受けながら迎えを待っていた時のことが、映画の回想場面のように時折よみがえってくることがある。敗戦を2歳で迎えたから、おそらく翌年、3歳の夏のことだろう。
初めて権力者の理不尽さを感じたのは、小学校3、4年生のころ、誰か「偉い」人が東海道線で通過するとかで大阪駅周辺の小学生が、集められて日の丸の小旗を振って迎えるために並ばされたときのことだった。長い間寒い路上でふるえながら待たされて、ただ機関車の前に日章旗を交差して菊の紋章をかざした列車が通過しただけのことだった。たったそれだけのことで、栄養失調状態の児童を寒風のなか長時間立たせた行為に、子供心に激しい憤りを覚えたものである。「朕はたらふく食ってるぞ、汝ら臣民飢えて死ね」のプラカードを掲げて敗戦後最初のメーデーに参加した人のあったことを後年知って、激しく共感したものだった。
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僕は一貫して疑問なのは、子どもの社会認識と歴史認識はどのようにして(あるいはどのような段階を経て)形成されるのか、という問題。例えば、子どもは、どのようにして「社会」というものの存在を理解するのか?社会には歴史というものがあるということをどのようにして理解するのか?
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
例えば小学生5、6年生に「日本の歴史」という認識があるのかどうか。沖縄の小学生に、平城京だの平安京だの言ってもピンと来ないだろう。逆に、グスク時代や三山時代とか言っても本土の小学生にはわからない。本当に小学生に「日本の歴史」を教えうるのか?
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
むしろ、小学生にとっては、例えばお父さん、お母さんの時代、お祖父さん、お祖母さんの時代と、自分たちの生活を遡ることの方が身近でリアルなのではないか。そうやって戦前まで遡れば、小学生の歴史としては上出来ではないかと思うのだが。
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
もちろん小学生にとっても、石器や、縄文時代の遺跡、土器、古墳などは興味を引く対象だろう。しかしそれは異文化、異世界の出来事であって、今に繋がる「日本の歴史」ではない。
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
僕が日本史を勉強し始めた頃は、江戸時代はまだ今に繋がる「日本の歴史」だったが、中世まで遡ると、異文化とは言わないが「今に繋がる」という感じはしなかった。
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
しかし最近では、中堅の近世史研究者でも、江戸時代は異文化に思えるらしい。時代が変わったといえばそれまでだが、いまだに僕には馴染めない。
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
すでに戦争が終わって68年たった。68年と言えば、明治維新から満州事変までより長い。「戦後」で一括りにして、「あの戦争」と言えば誰でもわかるという時代でなくなっていることは明らか。
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
ももクロが終戦を1038年と言ったり1975年と言ったりしているのは、それくらい戦争は遠い昔の話で、「今」との繋がりがさっぱりわからないから。これは歴史ではない。だから、そもそも子どもにとって、歴史的な認識というのは、どのような発達段階を経ながら成立するものなのか、それが知りたい
— GAKU (@GAKU_IZ) August 15, 2013
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