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最近、世界中のファンからの質疑応答をネットではじめ、若い世代に愛を説き知恵を授けんとふるまう芸術家・文化人オノ・ヨーコ。たいていの日本出身の国際人は専門分野に守られた部分人格の持ち主なので、知識人であっても根源的な問題について大いに語るような奔放さ・柔軟さは持ち合わせていない場合が多い。
又、日本人は宗教や、その代用としての行動規範の体系を持たないのが多数派なので、一般社会に向かって説法をするだけの倫理的な基盤がないのである。オノ・ヨーコは本格的な哲学研究者でもなければ、東洋思想のエクスパートでもないが、まるで昔のマハリシに預けられたような役割を世界の中で果たさんと啓蒙的な言論を発信する稀有な日本人女性だ。
日本人が世界の人々に啓蒙的な立場で教訓を述べる・・・・となると、昔なら必ず古い体質の嫉妬族が足を引っ張らんと登場した。典型的な例として思い出すのが、法政の柄谷行人が英訳の著書を発表したときの、吉本隆明の反応である。(そんなモン、いちいち聞かんでいいのに)吉本は嫉妬のあまり「あの程度の内容を英訳する必要はない」とまるで日本の恥だとでも言いたげに揶揄したのだ。オノ・ヨーコのいいところは、そういった内外からの声をものともしない図太さを持っていたことだ。図太さだけではタジマ・ヨーコも負けないだろうが、信念を通すための底力とは実に批判を封じ自分を生かすディベートの力であり知性を意味するのである。ほんとはね。
さて、ヨーコの知性に出会おうか?
質問:What would you consider a notable avant-garde art form today?
(今日、アヴァンギャルド芸術で名を成すために用いる形式とはどんなものだとお考えですか?)
ヨーコの回答:It’s a waste of time to try to qualify what is a notable avant-garde art form.Think of something that will not create something useless as a competition.
(アヴァンギャルド芸術として評価を受けようなどと努力することは時間の無駄です。展覧にかけられた場で、見るべきところがないような駄モノは処分してしまいなさい)
痒いところに手の届く英検準4級チベットよわーのプロ泣かせな凄訳はともかくとして、これが現在のヨーコが持っている芸術観である。未完成と題されたインチキな「前衛作品」を量産していた人とは思えないような澄み切った正観に感動さえ覚える。
人間は成長するのだなあ。ヨーコさんの政治論や慈愛や摂理をめぐる見解に学ぶことはないが、自分が志した芸術に対しては本当に真実が見えているみたいだ。
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