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http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013021402000148.html
【放送芸能】
漂う核のゴミ 警鐘を鳴らす 倉本聰
東京新聞 2013年2月14日 朝刊
雪がしんしんと降る北海道富良野市の郊外。トドマツの原生林に囲まれた脚本家・倉本聰のアトリエは、昼間でも静寂が支配する。夕張、芦別、上砂川…、周りの炭鉱町をモチーフに作・演出した舞台「明日、悲別(かなしべつ)で」が全国各地で巡演されている。そこに込めたのは「世の中を少しでも変えたい」という思い。厳冬の森にあって倉本は熱い思いをほとばしらせた。 (浅野宮宏)
エネルギー政策の転換という国策で衰退した架空の炭鉱町「悲別」を舞台にしたシリーズ最新作。原発問題を織り込んだ。きっかけは東日本大震災による福島第一原発事故。「『悲別』って石炭で食っていた地方の町が崩壊し、町全体が捨てられ、古里を失う棄民の物語。でも福島は違う。町があるのに帰れない」
調べて知る。炭鉱閉鎖と原発が始まる時期が符合し、炭鉱労働者が原発労働者になっていた。しかも東京のために送電されていた福島原発。浮かび上がったのは、地方を踏み台に中央が豊かさを保つ図式。「原発で下請けに採用され、一番危険な所に放り込まれ、日本の高度成長を支えた人間が捨てられる怒り」が創作の源になった。
経済至上主義の呪縛からか原発と決別しない国や財界、電力による豊かな生活に飼いならされた日本人。一方で、復興が進まない被災地、相変わらず増え続ける使用済み核燃料という核のごみ。「このままじゃ、ごみ屋敷。あまりに無責任すぎる」と憂える。
「〜悲別で」では旧坑道に埋められたタイムカプセルに入った希望を目指す前作の筋立てはそのままに、核のごみを炭鉱跡に埋める話を盛った。「三百メートルの地下に希望が埋まってて、千メートルに今度は絶望を埋めようっていうのか」のせりふで、今日の課題を未来に丸投げしてしまっている同時代人に警鐘を鳴らす。
「実は、『北の国から』も同じテーマなんですよ。正直に言うと。エネルギーを自分でつくる話でしょ。その問題を露骨に出していたら絶対つぶされるんです。糖衣錠のように、核の部分を隠して、うんと甘みをつけ、テレビ局もだまさないといけない。それがテレビドラマの手法」。老成してなお気鋭。脚本家の真の顔が眼前にあった。
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富良野GROUP「明日、悲別で」の東京公演は十九〜二十一日、東京・初台の新国立劇場中劇場で。六千三百円ほか。トゥモローハウス=(電)03・5456・9155。
くらもと・そう 1935年、東京都生まれ。脚本に「前略おふくろ様」(75〜77年)、「北の国から」(81〜2002年)など。1977年、北海道富良野市に移住。84年、富良野塾をつくり役者、脚本家を育てる(2010年閉塾)。06年、富良野自然塾を開き、被災者支援にも取り組む。
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【関連記事】
芝居「明日、悲別で」作・演出倉本聰さんに聞く/上/原発即時ゼロ、それしかないと思っています
「しんぶん赤旗」 2012年12月02日 日刊紙 1面
原発の使用済み核燃料の処理や原発労働者の問題もからめ、閉山後の炭鉱町の人々を描いた芝居「明日、悲別で」が1月から3月にかけ、全国各地で公演されます。作・演出の倉本聰さんに、芝居のこと、原発ゼロへの思いなどについて聞きました。
(聞き手・大井民生) −芝居「明日、悲別で」には、原発の「崩壊現場で」危険な仕事をしている労働者の話がでてきますね。
倉本 炭鉱が閉山になった北海道の「悲別」の話を描いている芝居ですが、筑豊炭鉱がつぶれた頃から、炭鉱の失業者が原発で働くという動きがでてきていますね。炭鉱の廃坑の地下1000bに原発廃棄物を埋めようという計画のことも芝居にでてきます。
フィンランドのオンカロでは、地下450bに放射性廃棄物を埋めるということが現実に進んでいます。「危険だから開けるな」ということが書いてあるというんですが、それが何十万年後に地殻変動で地上に現れた時、その時の人類に今のフィンランド語や英語や日本語が理解できるのか、という問題がありますでしょう。吉村作治さんがエジプトの字を解明するのに時間がかかっているのと同じことが起こる恐れがあると思うんですよ。
−原発はなくした方がいい、という声が強まる中で日本共産党は提言「『即時原発ゼロ』の実現を」をだしました。この提言を支持していただいていると聞きましたが。
倉本 いい内容だと思います。というより、それしかないと思っています。原発は本来つくってはいけないものなんですね。つくること自体、天を恐れぬ行為だと思います。原発から出る廃棄物の処理方法すらみつからない。当分はわからないということでしょう。福島第1原発の4号機には使用済み核燃料が大量にある。未使用の核燃料もあるわけでしょう。非常に心配ですね。これから先どうするんだ、ということがあるのに、原発の再稼働などとんでもないと思います。
(〈下〉は4日付学問・文化面に掲載)
くらもと・そう 1935年東京生まれ。脚本家・劇作家・演出家。81年から始まったテレビドラマ「北の国から」は茶の間の人気を集め2002年まで放送。テレビドラマは「前略おふくろ様」「風のガーデン」など、映画は「駅STATION」など、舞台は「今日、悲別で」「ニングル」など多数。
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芝居「明日、悲別で」作・演出倉本聰さんに聞く/下/芝居を見た人の心の中の澱洗う“心の洗濯屋”です
「しんぶん赤旗」 2012年12月04日 日刊紙 10面
芝居「明日、悲別で」の作・演出、倉本聰さんへのインタビューの続きを掲載します。(〔上〕は、2日付1面に掲載) −『カムイミンタラ』という雑誌(富良野自然塾発行)で、倉本さんは「原発安全神話なるものは、3・11で完全に崩壊した」と書いておられます。
倉本 超党派の国会議員による「原発ゼロの会」というのができています。そこからロゴマークを作ってくれとたのまれまして、僕は水クラゲがいいといいました。大飯原発が一時ストップしそうになったでしょ。あれは水クラゲが大量に押し寄せたんですよ。大自然が原発反対運動をしたように僕には見えました。こんどの選挙のポスターは原発反対なのか、賛成なのか、明確にしてほしいと思います。政界・財界が何で原発を推進するのか、僕にはわからない。政界・財界だって人間の集まりじゃないか、と思うんだけど(笑い)。
大体、復興庁が東京(港区赤坂)に置かれていますよね。今年、気仙沼(宮城県北東端)に3日ぐらいいて、がれきの町を一望できる所へ行ってきました。がれきの処理がまだ行われていない。東京にある復興庁の窓の外に見えるのはがれきではなくて、ネオンなんです。こんなところに復興庁を置いてもリアリティーがないですよ。だから復興予算が復興に使われずに、へんてこなところに使われるようなことが起こっているんだと思うんです。
−今度の芝居は、東京の新国立劇場の中劇場という大きなところだけでなく、広く各地で公演するという展開になっていますね。
被災地から強い要望で
倉本 本当は別の演目で全国で公演しようという計画だったんです。ところが、ことし東北の被災地14カ所で「明日、悲別で」の公演を行った時に、「この芝居をすぐに、ほかの土地でもやってほしい」という被災地の人たちの強い要望がでてきたんです。「今、この芝居を全国でやらなければダメだ。それも東京以西で」といわれたんです。3・11の、あの時のみんなの気持ちをもう一回呼び戻さなくちゃダメだな、という気が僕もするんです。
「福島民友」「福島民報」「河北新報」などの被災地の新聞は今も震災や原発事故のことを報道しています。ところが中央の大新聞はすっかり変わってしまった。被災地の新聞との温度差はどんどん大きくなっています。
−『倉本聰の姿勢』という本では、大震災後、原発事故後の国の姿勢などを批判して「どうしようもない人災」といっていますね。
倉本 僕は戦時中に忘れられない体験をしているんです。小学3、4年の頃です。学校に配属将校というのがきまして、「特攻へ志願する者は一歩前へ」という。すると勇ましいのが2、3人前へでた。特攻というのは死にに行くわけでしょ。僕は度胸なくて出られなかった。隣を見たら親友が震えてる。2人で顔を見合ったとたんに2人とも前へでちゃったんです。その後、ほとんどの者が出た。最後まで出なかった2人ばかりの者にみんなが小さな声で「ひきょう者」といっていましたよ。それは僕にとって傷となって残っています。
今、会社の人間は自分の意思より、こういったら上からどういわれるか、ということが重要になっている。そういう意識が日本人の中にしみついているように思えますね。これは重大な問題だと思います。
−演劇についてはどういうものと、お考えですか。
芝居帰りは「いい顔」に
倉本 僕は自分の仕事というのは、心を洗う洗濯屋だと思っています。芝居を見た人の心の中の澱をどこまで洗ってきれいにできるか、ということが、自分の仕事だと思っています。テレビだと、どれだけ洗えたかがわからない。芝居は終わるとロビーへ出てくる人の顔が見える。ジャン・ジロドゥというフランスの劇作家が「街を歩いていたら、いい顔の人に出会った。彼はきっといい芝居を見た帰りに違いない」といっています。それを僕は高校時代に読んで、それでこっちの世界にきちゃったんです。やっぱり、いい顔にすることが一番大事です。面白かった、楽しめた、ということと、根源的にいい顔にするということとは違うような気がする。今、テレビドラマを見ていて、一般の人はいい顔にはなってないですね。
−いい芝居を見た後の観客は、確かにいい顔をしていますね。
倉本 ええ。僕は芝居が終わるとロビーでお客さんを見送るようにしているんです。被災地での公演の時、芝居に炭鉱のハーモニカ長屋のことが出てきたけど、仮設住宅を思い出した、とお客さんがいっていました。壁板1枚で、隣にいる人の声が筒抜けだといっていましたよ。
先日、東京芸大で「ジ・アート・オブ・ガマン」という展覧会を見てきました。戦時中、アメリカに住む日系人がみんな砂漠の中の収容所に入れられた。ハーモニカ長屋みたいな収容所に。その人たちが、何かしていないと自分の存在の証しが立たないということもあって、物を作りはじめた。ナイフ、刃物を与えられていないから、砂漠の中を歩き回って鉄の残骸を拾ってきてストーブで溶かして、たたき直してナイフを作った。貝殻を拾ってブローチを作った。倒木を拾ってきて彫刻にした。「きれいですね」といわれ、「あげましょうか」という。「本当ですか」と喜ばれる。もらって喜ぶ人にも、あげた人にも感動がある。何もないところから物を作っていくという人間のエネルギー。僕はこれが希望だと思っているんです。
−いい話ですね。
倉本 人間は感動を共有する動物です。そんな動物はほかにいないですね。見知らぬ者同士が隣り合って一緒に笑ったり、泣いたりする。だから芝居小屋や映画館ができたり、スポーツスタジアムができたりする、ということなんですね。
−テレビドラマの「北の国から」の世界は、独特の世界でしたね。
倉本 僕はテレビの場合には、薬でいうと糖衣錠にするんです。まわりの砂糖の甘味で核の苦みをわからないようにしながら食べてもらう。そうするとじわじわ薬の本質が効いてくる。それが僕の手法ですね。
(おわり)
〈公演日程〉 「明日、悲別で」出演=富良野GROUP 〈1月〉12〜26日=北海道・富良野演劇工場、28日=北海道・幕別百年記念ホール、30日=札幌市教育文化会館 〈2月〉1日=北海道・七飯町文化センター、4〜12日=静岡、兵庫、山口、14日=名古屋・愛知県産業労働センター、16日=兵庫県立芸術文化センター、19〜21日=東京・新国立劇場中劇場〔рO3(5456)9155トゥモローハウス〕、このあと3月にかけ大阪、京都、広島、福岡、岡山、茨城を巡演予定
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